August 14, 2006

最近5時起きが続いていたので、睡眠薬を初期のころにもらっていたエバミールというものに変えてみた。すると、今日は6時に起きた。1時間違うと大分違う。なんか寝た気がする。すぐ昼寝をしたいと思うほど眠くもない。とはいうものの、まだ2時間以上時間が余っているので、こんな時間に更新でもしてみようという酔狂な気になった。もっとも、今日という日はまだ始まっていない。

いまだお盆の真っ最中なので、昨日に引き続き、亡き祖母の話でも書いてみよう。僕の両親は二人とも教師で、つまり共働きだった。したがって、僕はおばあちゃん子として育てられた。祖父は父がまだ小さいころに亡くなっていた。小さいころ、祖母は僕の鼻をつまんでよく引っ張った。鼻が高くなるように、ということらしかった。それが効果があったのかどうかは疑問だ。家族旅行に行くときは、大概が祖母が留守番をしていて、家族全員で旅行に行ったのは一度だけだ。大阪万博の年、つまり70年に北海道に旅行をした。夏だった。そこで僕は初めて青函連絡船に乗った。もっとも、そのころは切手を集めるのに夢中で、札幌でも街中を見学することよりも、デパートの切手売り場に向かった印象の方が強い。初めての一家全員の旅行から帰ってみると、家中にしらみが湧いていた。父の顔を上をしらみが這っていたのを覚えている。祖母が入院したのは僕が高校生のころだ。それが胃癌だったと聞かされたのはそれから15年も経ってからで、当時はくも膜下出血かなんかだと思っていた。学校の帰りに祖母が入院している病室を僕はよく訪れた。ひとつには、小遣いをせびるためである。当時、僕はもう既にパチンコを始めていた。ある日、いつものように僕が病室を訪れると、祖母は急に財布からお札を部屋中に撒き散らし始めた。僕は酷くびっくりした。そのころ、祖母は頭がちょっとおかしくなっていたのだと思う。僕は酷く悲しくなった。祖母の病状が悪化し、退院して自宅で寝るようになった。当然寝たきりである。日々衰弱していく祖母を見ていくのは辛かった。日が経つに連れて、祖母はほとんど一言も発しなくなっていた。ある晩、僕は祖母のベッドの傍らでひとしきり泣いた。何故だかしらないが、涙が止まらなかった。これまで祖母に吐いてきた数々の嘘などに対する罪悪感もあったのだと思う。しかし、どうして急にその晩涙が止まらなくなったのかは分からなかった。その翌日、祖母は亡くなった。祖母は干からびて、固まったように見えた。もう人間のようには見えなかった。僕はそれをただ呆然と見ていた。祖母はもういないのだ、と思った。あるいは、どこかに行ってしまったのだ。涙は前日にもう枯れていた。以前もどこかに書いたことがあるのだけれど、前夜の涙は虫の知らせという奴だったのだろうか? それは今考えても不思議だ。どこかで僕は祖母の死期を悟ったのだろうか。それとも、祖母が無言のうちになにかメッセージを僕に伝えたのだろうか。あれからもう30年近く経つ。僕は祖母のことを思い出すこともあまりなくなっている。記憶の中の祖母はいつも穏やかな顔をしている。昨日も書いたけど、もし本当にお盆に死者が帰ってくるのなら、僕は祖母と話をしてみたい。僕はばあちゃんに、ごめんな、と言いたい。それは祖母の生前にいろんな嘘を吐いたこと、それに今の僕のこんな体たらくに対してだ。そして、きっとばあちゃんは、笑って許してくれるに違いない。祖母は、そういうばあちゃんだったのだ。

Posted by Sukeza at August 14, 2006 07:08 AM
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