January 15, 2005

最近、文学とはなにか、ってなことを常々考えていて、で、結局のところさっぱりわからんのであった。これでも一応仏文の出身なんだけれど、授業なんかいつも上の空であったし、近頃思うのは純文学とエンターテインメントの境目というのはどこにあるのか? ってなことである。たぶん、純文学系の人に言わせれば、日本のミステリーとかにあまりにも拙い文体や表現が多すぎる、とかってことも言いたいこととしてあるんだろうけど(実際僕もそう思う)、しかし最近の文学賞の傾向を見るとますます混乱を極めるのである。時代や世代に寄りかかったもの、もっと言えば媚びたものが多すぎる。とにかく最近の文学賞作品というのはつまらんものや出来の悪いものが多すぎるし、かといってエンターテインメント系の「このミス」とかに至っては、酷すぎて読む気にもなれない。

てなことを考えたりするのも、ここんとこジョイスの「ダブリンの市民」をちょこちょこと読んでいる(短編集なので)のだけれど、この、プロットらしきプロットもなし、カタルシスらしきものもないが、確かに生活を切り取ってはいる小説をいったいなにをどう読めばよいのか、と首を捻ってばかりなのだ。簡単に言えば面白くない。しかし、文学であることは分かるし、ちょっと間を置くと読みたくなる。この不思議な感覚が文学なのか? 昨日芥川賞を受賞したばかりの阿部和重の「グランド・フィナーレ」を掲載した雑誌をたまたま買っていたので読み始めたけれど、話としてはこっちの方が遥かに面白い。阿部が文学ではないなどと言うつもりは毛頭なくて、むしろ十分すぎるほど文学っぽい。なんでかっていうと、たぶん語彙によるところが大きいような気が。文学っぽい語彙。まあ僕に欠けているのはたぶんそれで、僕のすぐ近所で育って高校中退の阿部が駆使するような語彙を、仏文卒の僕が持ち合わせてないってことはどういうことなのだろうかと悩んだりもするのだった。

Posted by Sukeza at January 15, 2005 12:10 AM
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