May 07, 2004

一日中、会社を辞めることばかり考える。正直、今の行き当たりばったりの会社のやり方、方針は納得できない。これだったら俺じゃなくていいじゃん、と思う。なにも長い連休の後だからというわけではなくて、とにかく会社というものが不快だ。そんなわけで何度も今会社を辞めたらどうなるか、ということを想像する。以前のように、当座食っていくぐらいのことはたぶんできるだろう。しかし、以前と違うのはもう年齢的に将来というものが見えない、将来などというものがどこにもない気がしてしまうのである。もはや今となっては、仕事を捨てることはすべて捨ててしまうことにほとんど等しい。生涯パチンコ打ちのプータローとして生きることと同義である。これもまた非常に大きな精神的苦痛を伴うことは身に沁みて分かっている。もはや、会社に行くのと、無頼として生きるのと、どちらがストレスがより大きくてどちらがより不快か、というあまり嬉しくない選択を強いられている。なにを今さら、という人は多いだろう。仕事が面白いわけないじゃん、会社が楽しいわけないじゃん、と。もちろん、そんなことは百も承知だ(たぶん)。これでも今の会社で七つ目なのだから。しかし、困ったことに、一時期、今の会社はちょっと面白くて、そこそこ楽しめる会社でもあったのだ。その落差が生理的にどうしても納得がいかない。このまま会社にいてストレスを蓄積する一方の人生というのもどうかと思う。だが前述のとおり、今の僕には選択肢というものがほとんどない。おまけにやたらと保守的な両親というものもいる。やれやれ、果たしてどうしたものか。とにかく、間欠的に訪れる会社辞めたい病というのは、ほとんど不治の病である。

という具合に、なんともやり切れない病気に襲われつつ、おまけに驚いたことにいまだに風邪が治らず、食欲もない僕は、なんらかの気分転換を切実に求めていた。こんなときは、KIll Billのような映画を見るに限る、と思って駅ビルのレンタルビデオ屋を覗いてみると、ずっと貸し出し中だったKill BillのDVDが一本だけあった。というわけでしばしの現実逃避、という感じでKIll Billを見た。・・・しかし、なんつーサイテーの映画なのであろう。悲しいことに僕は日本人で、悲しいことにこの映画は日本を舞台にしてしまっている映画である。ああ、なんでこんなにヤクザが大勢集まって、拳銃一つ持たず全員日本刀で斬り合いをやっているのだ? なんで日本刀持って飛行機に乗れるの? なんでみんな日本刀持って堂々と街中を歩いてるの? ・・・なんて疑問を抱いてはいけない映画なのだろう。しかしなあ。唐突に流れる梶芽衣子の唄う演歌が象徴している違和感は拭いきれない。やたらとちぎれ飛ぶ手足にはちっともリアリティがない。歌が象徴しているように、この映画のアイディアのひとつになったと思われる梶芽衣子主演の「女囚さそり」シリーズのどれかの冒頭で、手錠を掛けられた梶芽衣子が電車のドアで刑事の手首を引きちぎるというシーンがあったが、そっちの方が遥かに陰惨な印象を受けた。リアリティのなさという点ではどっちもどっちなんだが、お馬鹿さ加減では遥かにKill Billの方が上である。しかしながら、どうしてもこういうB級、C級嗜好というのは肌に合わない。どうしてもリアリティを求めてしまうのである。結局、一番ぐっと来たのはアニメのシーンだった。漫画を描くのは漫画が一番、ということに皮肉ながら気づいた。

Posted by Sukeza at May 7, 2004 02:03 AM | TrackBack
Comments
Post a comment









Remember personal info?