July 12, 2006

マテラッツィはジダンになんと言ったのか?

ちょうど今、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」という本を読んでいるのだが、両者が口をつぐんでいる間は(たぶんマテラッツィは絶対に言わないだろうし、ジダンも恐らく言わないだろう)、フェルマーの定理のようにいつまでも謎として語り継がれていくのだろう。その意味で今回のW杯は大きな謎を残した大会となった。

それでも僕はジダンの肩を持つ。ジダンは利己的なところのある中田とかと違って、その人間性ゆえに誰にでも愛されている素晴らしい選手だ。ジダンは優しくて厳しい眼をしている。ジダンのとった行為そのものは確かにレッドカードに値するが、そこには厳然たる理由というものがあるのだ。それが例え「ハゲ」という一言だったとしても。ジダンはその最後の試合で、スポーツマンシップよりも人間の尊厳を選んだ。ジダンの頭突きは、ジーコの唾吐きとは明らかに違う次元にある。これが野球だったら、乱闘に真っ先に飛び出した選手が賞賛を浴びたりする。その意味でサッカーとは厳しいスポーツだ。しかし、暴言を吐いた選手は、それが審判に対してでなければ、罰せられることはない。これは大いなる矛盾だ。つまり、マテラッツィは何の制裁も受けない。暴言を吐いた当の本人は無罪放免というわけだ。かくして、ジダンという稀代の名プレイヤーは、自分の選手生命をレッドカードと共に終えた。これを愚行と呼ぶのは簡単だ。つまり、ジダンはキレたのだ、と言うのは簡単なのだ。だが、ジダンがそんな男でないことは、みんな知っている筈だ。ジダンは最後に、見事なヘディングシュートを決めたのだ。

Posted by Sukeza at July 12, 2006 12:02 AM
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