January 25, 2006

目の前に「破滅」と書いてあるドアがあって、その前を僕は行ったり来たりしている。そんなことを考えた。しかし、不思議なことに僕は落ち着いている。たとえもう既にドアが開いているとしても。

今日はパチンコで32,000円負けた。いわゆる不ヅキという奴だ。十分勝てる台を打ってのことなので、昔なら気にも留めないようなことである。しかし、今日はちょっと応えた。32,000円あればあれが払えたなあ、などと考えた。32,000円を業務4)のほうに回せば、結構な勝負ができたなあ、などと考えた。帰って不貞寝をしてリセットを試みた。今日はリセットするのに時間がかかった。結局、夕食を彼女と一緒に食べることでようやくリセットできた。明日はパチンコが打てない。どうやら注文していたPCが届きそうなので。それに、例のトイレの水漏れの修理も明日来ると言っていた。しかし、いずれにしても、昔のようにパチンコの借りはパチンコで返す、という熱い思いはない。むしろどちらかと言えばうんざりしている。業務からはずすべきかなあなどと。今の僕にとって、パチンコとはその程度のものでしかない。昔のように釘がアイたりシマったり、そういうパチンコは今は望めそうにない。

ここに25歳の若さで自殺した女性編集者の日記があって、今日はそれを読んだ。ご存知のとおり、僕もここ5・6年ばかり、鬱病とパニック障害で医者に通っている身である。しかし、自殺を考えたことは一度もない。はずだ。ちらりと頭に浮かぶこと、たとえばホームで電車を待っているあいだに飛び込むこと、などを考えないでもなかったが、所詮それはただの想像に過ぎない。僕にはそんな願望も、勇気もない。しかし、この場所にある膨大な引用はなんなのだろう。数限りない「怖い」という文字は。いったい何がそんなに怖かったのか。自分自身なのだろうか。それとも世界? 生きること? 僕の同級生もひとり、確か二十代後半で自殺した。以前書いたけれど、ちょっとだけ付き合った女の子も自殺した可能性がある(いまだに事故か自殺かわかっていない)。彼らはどこに行きたかったのだろう? ここではないどこか? 僕は破滅を目の前にしてもここにいるしかない。他に行く場所もないし、行きたい場所もない。敢えて言うならば、過去に戻りたい。しかし、結局は同じ人生を歩んでしまうに違いないのだ。それにしても、本当に自殺してしまう人の、この見苦しさはなんだろう。繰り返し、繰り返し、死のうと試みる。それはちっとも美しくなんかない。ただ見苦しいだけだ。日記の最後にはぽっかりと虚無がある。あなたはそんなものを求めてやまなかったのか。

Posted by Sukeza at January 25, 2006 11:43 PM | TrackBack
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