June 29, 2004

脚本家の野沢尚が首を吊って自殺した。彼はキーボードのYと同級生である。したがって僕よりは一つ年下というわけだが、写真を見ると随分と老けて見えた。.このところずっと読んでいた島田雅彦の小説には常に根底に自殺願望があるし、昨日は自分の首吊り自殺を実況中継した男の記録を読んでいたりもしたので、奇妙な因縁のようなものを感じる。自殺というのは一種の自己表現的な側面を持っているので、必ずしも動機は必要としない。だから常に不可解さがつきまとう。僕だって死にたいとか消えてしまいたいと思ったことはある。しかし、本当の意味で死にたいと思ったことはない。だからこうして生きているのだ。生き続ける人間には不意に自分の人生を終わらせる人間のことは理解できない。それはどこか、殺したいのに殺せないということにも似ている。そう考えると、反対側に転がることは案外簡単なことなのかもしれない。なぜなら、本当に殺したい、と思う瞬間など案外とよくあることだからだ。つまり、きっかけさえあれば、ということだ。動機ではなくてきっかけ。似て非なるもの。その違いはあまりにも大きい。

Posted by Sukeza at June 29, 2004 01:24 AM | TrackBack
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