April 15, 2004

近頃の天敵である上司が出ずっぱりだったこともあり、比較的平穏に一日は過ぎた。日本一人騒がせな3人はイラクで解放され、大学の後輩である作家が自殺した。

中上健次の「枯木灘」を読み終わった。中上健次を読むのは初めてではない。うちにある「十九歳の地図」の奥付を見たら昭和63年版だった。最初に読んだのは学生のときで、当時付き合っていた彼女が「十八歳、海へ」を読んでいたので、興味をそそられて読んでみたのだった。二十歳のころだった。しかしながら、恥ずかしながらこの「枯木灘」を読んでいる途中で、中上健次が被差別部落の出身だということを初めて知ったのだった。それでようやく彼のキーワードである「路地」の意味も明確になったというわけだ。一度、確か「重力の都」を読んでいて、その重苦しい文章に根を上げて、もうこんな作家読むものか、と投げ出したことがあるが、今回は何故かそんなことはちっともなく、むしろその内容同様に濃密で鬱積した文章を楽しむことができた。改めてその描写力に驚かされた。被差別部落という背景を知らなくてももちろん読むことはできるが、知っている方がよりその世界、濃厚な血の話を理解できる。和歌山というところは不思議なところだ。同じ田舎でも僕の田舎である山形とは違う匂いがする。より男臭いというか。僕の田舎も同じように閉鎖的な土地ではあったが、中上の書く紀州はより猛々しく、荒々しい。前の会社には社長が二人いて、そのうちの一人が和歌山出身だった。関西弁丸出しで通し、野球とやくざの話しかしなかった。相手のことを「自分」と呼ぶのに随分と違和感を感じたものだ。中上健次を読むと、いつも紀州というところに行ってみたくなる。しかし、たぶん僕にはまったく水が合わないだろう。同じプリミティヴな土地であっても、住んでいる神が違う、という感じなのである。

Posted by Sukeza at April 15, 2004 11:25 PM | TrackBack
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