What am I watin’ for

11月6日、火曜日。

10時19分にドアチャイムの音で起こされる。出てみると奉仕活動云々というので即ドアを閉める。むかついたが寝直す感じでもないのでそのまま起床も眠かった。しかし今見ると昨日と1分しか違わないんだな。アメリカの中間選挙を控えているので基本相場は様子見。なかなか手を出せず。なので業務に行ってみるが2時間当たらず、寝不足で頭の鈍痛が治まらないので帰って昼寝。4時半に母のところに。母はむくんでいる左足の傷を痛がる。しかし僕にはどうしようもない。何もできない。

というわけでJリーグ、柏 2-3 鹿島。ACLの決勝第2戦を控えているので、鹿島は決勝第1戦から全先発メンバーを入れ替えて完全ターンオーバー。幸先よく金森のゴールで先制するも、柏のえーと誰だっけ、フォワードの誰かに2点決められて2-1と逆転を許すが、コーナーキックから町田のヘディングで2-2に追いつく。すると後半、山口一真のプロ初ゴールで2-3と勝ち越し、これが決勝点となった。残留争いしている柏にはいささか申し訳ないが、全とっかえのメンバーで勝てたのはでかい。そういえば前節もほぼ同じメンバーで勝てたし。後は今週末のACL決勝アウェイ戦を待つのみ。

なんだか今日は妙に疲れてる。日中は寝不足の頭痛がなかなか引かなかったし。夜、YouTubeでなんとなく見始めたプロ麻雀、見ているうちになんだか止まらなくなりそうで途中で一時停止。そういえば麻雀は恐らく25年ぐらいやってない。やりたいなあ。点数数えられないけど。相場は明日の昼に米中間選挙の結果が出るまでは手を出せないな。

何故かもう眠い……。

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Where am I going

11月5日、月曜日。

最近ほとんど業務日記みたいになっていたせいなのか、この日記の読者も激減してほぼ絶滅寸前のようだ。もっとも、読者が一人もいなくなっても、これは日記であるのだから、日記であるうちは書き続けることになる。それにフリーのアクセスカウンターがどこまで信用できるのかも少々怪しいところではある。

とりあえず、70年代のジノ・ヴァネリは最高と一言言っておこう。

10時20分起床。昨日の疲れがまだ残っていて、週が明けて今日が平日の月曜日なのだという感覚になかなかならなかった。なんだかよく分からないうちに一日が過ぎた。相場少々。業務少々。

例によって6時半近くに母のところに行った。次のCT検査は来週の火曜日(13日)になったということだったが、時間が驚くべきことに朝の8時半、検査前に点滴を1時間やるので午前中に終わらせるためだと思うがこれに間に合うように起きるのはどう考えても無理、なので点滴が終わってCT検査をしているころになんとか間に合うように行くことにする。途中で母の左目の半分が真っ赤になっていることに気づき、最近「ウォーキング・デッド」を見ていたせいもあって物凄くびっくりした。慌てて看護師を呼びに行ったのだが、これは内出血で眼科に連れていっても薬は出ないし放っておいても治るということだった。なんか最近なんでもかんでもゾンビに見える……。

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辺境の夜

11月4日、日曜日。

そんなわけで今日は仙台のメトロポリタンホテルで弟の長男、つまり甥っ子の結婚式だった。

9時20分にアラームで起床、10時過ぎにホテルをチェックアウトしてからちょっと道に迷ったりして会場のホテルに着いたのは10時半近かった。喫煙所で一服してロビーに出るとちょうど叔父(母の弟)と出会ったので一緒に3階へ。控室で親族の紹介(とてもじゃないが覚えきれない)、新郎新婦と親族の写真撮影、それから結婚式、続いて披露宴。どうでもいいが、甥っ子の同僚とか友人とか若い人が多かったのは当たり前だが、スニーカー(一応黒)を履いているのは僕だけだった。ここでもまた場違い感が凄い。20年振りに会った弟の嫁の姉(昔は美人だった)に34年生まれですよね?同じですよね?と話しかけられ、昔はキラキラしてましたよね、原宿とか……とあまりにもケレン味なく話しかけられてちょっと怖かった。これまた20年振りぐらいの披露宴はいろいろ趣向を凝らしているのでやたらと長く、幸せというものは随分と騒々しく疲れるものだった。なんだかんだで終わったのは3時半、身も心もすっかり疲れ果てた。

恐ろしく疲れ果てているのに、そのまま車を運転して帰らねばならない。幸いにして、48号線は上りは恐ろしく渋滞していたものの下りはそれほどでもなく、1時間半ほどで帰宅。帰り道、ちょうどこの町に差し掛かったところで見えてきたこの町の夕暮れは恐ろしく美しかった。昨晩から帰りたい帰りたいと思っていたので、ようやくうちに着いて物凄くほっとした。昨日泊まった部屋の少なくとも倍の広さはある台所で珈琲を淹れて飲む。やっぱりこの町が一番安心する、うちが最高だとは思うものの、どうもそれだけではない。なんだかとても寂しいのである。台所の散らかり具合すら寂しい。それはもしかしたら今日の結婚式で物凄くたくさんの人間と会ったからかもしれないが、どうやらそれだけではなく、もっと根源的なところにさみしい要因はあるように思われた。

6時半ごろに母のところに行って今日の結婚式と披露宴の写真をスマホで見せた。帰りがけにスーパーに寄ってオムライスを買って夕飯。夕食後の夜になって、先ほど感じた寂しさは突如として決定的なものとなった。物凄く寂しい。あまりにも寂しくて、到着時の安心感がどこかに行ってしまった。自分の住むこの田舎町が辺境に思えてきた。その、ただでさえ辺境の町にたった一人でいる、それが恐ろしいほど寂しかった。これは実に不可解だ。僕は18のころから、人生の大半を一人で暮らしてきた。つまり、一人暮らしの生活というのはむしろ僕にとってはデフォルトなはずである。それが何故ここまで寂しいと思うのだろうか。

結局慣れるまでに少し時間を要した。とりあえず何かに没頭する必要はあった。それで例によってBABYMMETALの動画を延々と見たり、「ウォーキング・デッド」のシーズン1を見たりした。そうやってようやくこのうちに一人でいることに少しずつ慣れてきた。「ウォーキング・デッド」のシーズン1を最後まで見て面白かったが、やっぱり昨晩、深夜の仙台の繁華街を徘徊する人々が怖かったのは、ゾンビに思えたからなのだなと。要するにちょっとした対人恐怖症のようなものかもしれない。20年振りに会った同世代女子に異様に元気よく話しかけられて怖かったのもそういった対人ストレスなんだろう。その一方で、誰もいなくなった途端にウサギのように寂しくなるのだから人間というのは厄介なものである。

ひとまずこの二日間で分かったのは、今の僕に欠けているのは社交性とか協調性というよりもむしろ、社会性とか常識といったものじゃないかということ。とにかく疲れた。

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仙台の夜

11月3日、土曜日。

仙台の繁華街のど真ん中にあるホテルの狭い部屋でこの日記を書いている。考えてみると、仙台に泊るのは生まれて初めてかもしれない。中学生のころから今まで、仙台に来たのはすべて日帰りだった。

前述のように繁華街のど真ん中にあるので、深夜まで往来は人でごった返している。チェックインして食事をとろうと外を歩くと、通りを歩いているのが全部酔っ払いか娼婦か客引きのように見えてなんだか怖い。渋谷や新宿よりも、もちろん赤羽よりも、ニューヨークのマンハッタンのタイムズスクエア辺りよりも怖い。自分の場違い感があまりにも凄まじくて。考えてみれば渋谷でも新宿でもニューヨークでも、夜中に歩いている連中は皆自分のようによそものである感があって、そこまでの違和感というか疎外感は感じない。だが「男の案内所」とかがあり、その癖何をしているのかまったく不明な若い婦女子(大概独り)がほっつき歩き、どこから来てどこへ帰っていくのかまったく意味不明な若者たちがそぞろ歩く夜の繁華街は、なんだか見知らぬ祭りに迷い込んだような気がして実に居心地が悪い。夜も更けてから一階のセブンイレブンに買い物に出ても往来の人通りは一向に衰えず、一体こいつらはこんな時間に何をやっているのかと不気味に思え、ちょうど今見ている「ウォーキング・デッド」のゾンビのように見えてしまう。ひとつには、この部屋がこれまで泊まった中で歴代最低級に狭いせいもあるのかもしれない。うちの玄関ぐらいしかない。それもまた、居心地の悪さに拍車をかけている。

泊ってもすることがないのはハナから分かっていたことで、だからこそイヤフォンを買い直したり、ノートPCやタブレットを持っていけるようにリュックを買ったりしたのだが、それにしてもこの妙にざわざわする不安感は一体何なのかと思ったが、さっき夕食後の薬を飲み忘れていることに気づいた。その辺もあるのかもしれない。ちなみに、飲食店は掃いて捨てるほどあるのに、僕のような者が一人で入れるような店などひとつもないように思えて、結局何年ぶりかで吉野家で食べた。すると、驚いたことに吉野家のメニューから牛丼というものが消えてなくなっていた。まったく、リップヴァンウィンクルにでもなった気分だ。どうでもいいけど夜はやっぱり静かな方がいい。自分の住んでいる田舎町がいかに平穏で安心して暮らせる場所であるのかということを、改めて痛感した。その分、何も起こらないのだけれども。しかし旅なんか最低だ、早くうちに帰りたいと思う。去年久しぶりに東京に行ったときはそんな風に思わなかった。たぶん僕は仙台の夜の繁華街が嫌いなんだと思う。なんだか本当に、自分と同類の人間がさっぱり見当たらないような錯覚にとらわれる。

母も武蔵浦和に来たときはこんな居心地の悪さを感じたのだろうか……。きっとそうなのだろう。

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それはともかく。

ACL決勝第1戦、鹿島 2-0 ペルセポリス(イラン)。

終わってみると快勝だが、今思うと序盤のゴール前でのペルセポリスの決定的なシュートをスンヒョンが顔面でブロックしたのがすべてだったような気がする。あそこでゴールを許していたら、試合はまったく違うものになっていただろう。特に前半はどこに蹴っても相手がいるような感じで、見ていても非常にやりづらそうだった。何はともあれ、2-0というスコアで勝てたのは大きい。次が10万人入る大アウェイであるのだから。

で、原尞「それまでの明日」読了。

とまあそんな感じで、作者がいまどき携帯(スマホ)を持っていない探偵をカッコいいと思っている(たぶん)という勘違いがすべてのような気がする。固定電話だけで仕事をしているというか、固定電話だけで生活している人間を見つけるのは、山形の片田舎であってもほぼ不可能。もう今から15年も前かな、六本木の交差点で公衆電話を探し回って10分以上探しても見つけられなかった。もう今はSNSの時代。知らないでは済まされない。

どうでもいいけど早く帰りたい……。

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11月2日、金曜日。

今日もまたなんらかの夢を見て11時10分起床。3時に県立中央病院で母の診察。それまで間が持たなかったので時間潰しに業務少々。3時15分前に病院のロビーに着くと、ちょうど母と看護師が到着。今日はそれからが長かった。診察自体はすぐ呼ばれた。確か3時前だったと思う。ここで心臓血管外科の診察を受けるのは3年振り。前回は女医だったが、今回は30代前半ぐらいに見える若い医師だった。もっとも、医科長とか書いてあったのでもうちょっと年はいっているのかもしれない。左足のむくみが前回よりも酷くなったということで、造影剤を使ったCTを撮ることに。そのためにまず血液検査をやって、それから処置室というところで点滴。これが1時間ちょっと。それから1階に降りてCT検査。CTが終わるとまた2階に行って待つ。もうこのころは他の患者は誰もいなくて、僕らだけだった。しばらく待って診察室に呼ばれる。で、医者の言うことには左足の静脈のルートがダメになっていて代替の血管が何本もできているらしいがそれが静脈の役割をどうも果たしてないようで、それが原因で浮腫んでいるのではないかと。それはともかくとして、こういう症例は経験がないし聞いたこともない、なので分からないという。唖然。医者がどうしたらいいか分からないと言うのだ。で、この病院では分かる人間がいないので、山形済生病院の方が静脈に関しては詳しいはずだからそこで診てもらうのがいいという。これまた唖然。地元の病院でお手上げなのでこの県立中央病院にやってきたのに、そこでもまたお手上げで次に行けという。それではまるでたらい回しではないかと僕が言うと、そういうことじゃないと医者はムキになる。どうしますかと言うのだが、最初から選択肢は一つしかないのでどうしますも何もない。そこを指摘しても埒が明かない。とにかく紹介状を書くので待ってくれという。

二階の受付前のロビーで待っていると、外はもうすっかり日が落ちて、さらに病院内も照明が半分以上落とされて暗くなった。僕らの他にはスーツを着てノートPCをいじっているどうも医療会社のサラリーマンっぽいおっさんが一人いるだけ。看護師とこれではまったく埒が明かないという話をする。済生病院に行ってそこからまた紹介という具合になって、結局ブラジルに治せる医者がいるとかになったらブラジルに行くのか、などと。そもそも今日の話では現状のままで治療をしないでいるとどうなるのかという話すらない。延々と待って、一体これでは何しに来たのか分からないなと思っていると、受付の奥から例の医者が顔を出して、また診察室に来てくれという。時間はもう6時近かった。診察室に入ると、もう一度CTの写真を見直して、3年前のCTとも比べてみたところ、どうも左足の動脈と静脈が繋がってしまっている可能性がある、という奇想天外なことを言い始めた。つまり、動脈と静脈が合体してしまったというのである。論文を調べても症例が出て来なかったという。医者は動脈のCT撮影もしたいので、もう一度造影剤を使ってCTを撮りたいが、腎臓の状態がよくないので今晩入院して点滴をして云々……と言うので、僕がちょっと待ってくれ、そこまで無理して急いでCTを撮る必要はないのではないか、二日三日遅れたからどうというわけでもないだろう、それなら無理せず日にちを置いて撮った方がいいのではと言うと、じゃあそうしましょうということになった。そんなわけでいつの間にか招待状は書かないことに。週明けに連絡をもらうことにしてようやくお開きになった。帰り際看護師と話をしたのだが、たぶん医者も分かりませんじゃ格好がつかないと思ったのだろうと。

そんなわけですっかり夜の帳が降りたころに僕らは病院を後にした。結局、対処どころか診断すらまだ下せていないということになるが、僕が一番恐れていたのはもう足を切るしかないと言われることで、ひとまず最悪は免れたことになる。帰り道、あまりにも疲労困憊して腹も減らなかったが、一番疲れたのは点滴や検査を受けた母だろう。今日の医師の話を聞いている限り、まるで母の病状は物凄い難病の物凄いレアケースみたいな話になってる。まるで光明は見えず、ただ泥沼に入ってしまったようで。

すっかり疲れ果て、明日仙台に泊まる準備もろくすっぽ出来ていない。明日できることは明日やる。今日は今日できることをやっただけ。

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November

11月1日、木曜日。

気がつくと11月。一昨日からいまさらながらドラマ「ウォーキング・デッド」をシーズン1から見始めたのだけれど、今まで見なかったのはどうせゾンビものでしょ?と思っていたからで実際そうなのだが、いざ見始めるとこれが結構面白い。で、寝る前に見るといかにも悪夢を見そうな気がするのだが、不思議なことに昨日今日とどちらかというといい夢を見ている。だからというわけでもないのだが、結果寝坊している。今日も10時53分起床。

いかにも中途半端な時間に起きてしまったので、朝食後相場の想定をして(今日は指値をしなかった)から近所に町報を配り、それから三日ぶりに業務に行った。というのも今日は相場の想定に自信がなかったので東京の後場が明ける3時過ぎまでは様子を見るしかないと思っていたので。で、3時間弱で1万4000発の勝ちだから時給にすると4000円弱でそれはそれでよいのだけれど、320分の1の台で16連チャンしてこれではいかにも出玉が少ない。だからボーダーがきついのだろうがそれにしても百裂乱舞、期待出玉が少な過ぎ。まるで甘デジ並みだ。

3時半ごろに帰宅してから相場のトレード。今日はまずまず効率のいい利食いが出来たものの、結果的にはユーロドルの想定がドンピシャで当たっていたので、もっと欲をこいてもよかったかなと。これもまた結果論だが。前述のように当初の想定にあまり確信が持てていなかったのでしょうがないのか。

今日の母は口数が少なく、ほとんど喋らなかった。明日の3時に県立中央病院で診察を受けることになっているが、以前と同じことを言われると思うとひたすら気が滅入る。なんとかならないものだろうか。

それはそうと、夕方スーパーに買い物に行って二日分の肉を買ってしまい、考えてみれば明後日の夜は泊まりだということを失念していて、さっき気づいた。明日一日では到底食べ切れない。失敗。

今夜もまた気晴らしにBABYMETALのライブ動画を見る。我ながらよく飽きないものだ。何をしようかあれこれ迷うよりは楽だが。で、結局のところ速弾きの練習をするモチベーションはとっくにどこかに行ってしまい、ここ三日ばかりほとんどギターを弾いていない。なんていうか、今からギターが多少巧くなっても一体何がどうなるというのか、これといっていいことがあるような気もしないのだ。それともあるのかな?

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10月31日、水曜日。

長い夢を見て目が覚めるともう11時10分だった。今日は2時に母が町内の総合病院で診察を受ける日。外は強風に雨でまるでちょっとした台風みたいだったが、そのうち日が差してきて天気雨になり、変な天気だった。

2時ちょっと前に病院に行くとまだ母は着いていなかった。そんなこともあり今日は診察まで大分待つことになった。その間付き添いの看護師と話をしたのだが、母の左足は以前からあるかさぶたのところだけではなくて、もう一ヵ所、つまり二ヵ所から浸潤液が出ているということだった。それにむくみも酷くなっているという。ようやく診察の順番が回ってきて、看護師が足の傷にどういう対処をするか訊ねても独り言をぶつぶつ言いながら一本指でパソコンを叩くだけの医者はうちで点滴してもいいけどとりあえず県立中央病院に紹介状書くから診てもらって、と。要するにたらい回し。結局県立中央病院の心臓血管外科を予約(明後日)。前回心臓血管外科で診てもらったときの、左足を怪我すると治らないので足を切るしかなくなると言われたことがなんだかじわじわと現実味を帯びてくる。僕はそれが恐ろしくてたまらない。もしそうなったらと、母が不憫でならない。3時半ごろに病院を後にするころは、雨はまだ降っていたが北の空に虹が出ていた。虹を見るのは何年ぶりだろうか。母が意識をなくしたときだから5年振りぐらいか。果たしてこの先、虹のような希望はあるのだろうか。僕はすっかり憂鬱な気分になって帰宅した。

今日は19時キックオフの鹿島対セレッソ大阪の試合がある。それまでに気分を取り直すのが大変だった。しかし否が応でも気分を切り替えないと、もし母が足を切ることにでもなったら半永久的に憂鬱になってしまう……。

鹿島はGKのスンテと昌子以外の9人の先発を変えて、今週末に控えるACL決勝を見据えてのターンオーバー。リーグ戦初出場の久保田和音とか、若手が半分。しかし要所は昌子、犬飼、小笠原、永木と特に中央を締めている。とにかく山口一真、久保田和音、田中稔也、町田、小田逸稀という若手が勢ぞろいするのを見るのは初めて。対するセレッソは負傷の清武を除くほぼベストメンバー。一体どうなることかと思ったが、ゴールポストにも助けられてなんとか前半を0-0で折り返す。ときどきある決定機を若い前線はなかなか決められない。すると後半、コーナーキックから小田逸稀のゴールで鹿島が先制。小田はプロ初ゴール。この虎の子の1点をなんとか守り切って1-0の勝利。これはデカい。このメンバーで勝てたというのは非常に大きい。これで暫定3位浮上。この試合でようやく沈み込んでいた気分が高揚する。というか、こういうことでもないと今の気分はどうにも持ち上がりようがない。

今日はもろもろの合間を縫って相場はちょっとだけプラス。前述の試合観戦中に昨日アマゾンに注文したリュックサックがもう届く。リュックを自分で買うのは恐らく初めて。こんなもんなの?感はあるが……要するにノートPCとタブレットの両方を持ち運べればそれでいい。

いずれにせよ、ちょっと油断すると母の足のことを考えて気分が塞ぐ。これはもうどうしようもない。なんとかして治らないものか。

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大散財

10月30日、火曜日。

今日は朝9時半にディーラーが車検のために車を引き取りに来るというので、一応9時にアラームをセットしておいたのだが、アラームが鳴る前、8時53分に起きた。まことに人間の体内時計というものは不思議だ。

9時半になってもディーラーは現れず、先に灯油の配達が来た。満タンにして3万3000円弱と、去年と比べると1.5倍ぐらい高くなった感じ。それからアマゾンから荷物が届いた。今週の土曜日仙台に一泊するのに必要かと思ってイヤフォンを買ったのを忘れていた。車のディーラーは予定より遅れて、10時半近くに来て車を持って行った。車検代は8万2000円ちょっと。ちなみに軽自動車。そんなわけなので、午前中のうちに既に今日は10万を超える出費。大散財である。

車は車検を終えて夕方に戻ってくることになっている。今日は車がないので当然業務には行けない。歩いていくことも一瞬頭をよぎったが、片道小一時間かかりそうでとても今の体力じゃ無理。というわけで日中は大人しく書斎で相場のトレードをすることにしたのはいいけれど、仲値後の動きで取ったポジションを昼前に利食いしてしまうと動きの鈍い時間帯になり、東京市場の後場が終わる3時ごろまではちとすることがない。なので、昼ごろに1時間ほど昼寝。結局2時過ぎから相場のトレードを再開。夕方まで。で、またしても利食いをちびってしまって地団太を踏む。あと5分我慢できていればという例の奴である。今日のところは目一杯のロットでポジションを抱えていたので無理からぬことではあるのだが。

夕方、気を取り直して庭仕事少々。除草剤を撒いたりツバキの剪定をしたり。予定では6時ごろに車が届くはずなのだが、6時を回っても届かない。6時半を回ってもまだ届かない。連絡もないのでだんだん不安になってくる。ホントかよと。いずれにしても車がないと動きようがない。7時前になってようやく車が届いた。そんなわけだから今日は母のところに7時過ぎに行く。帰りがけ、今日は米を炊いていないし腹が減ったのでラーメン屋で夕食を済ませる。

今月は外食を3回、うち2回をラーメンを食べるという贅沢をしてしまった(当社比)。ラーメン屋にいると弟から電話。日曜日の甥っ子の結婚式の話。それで帰宅後、前日に泊まる準備のことが気になり、そういえば今持っているパソコンバッグには今のノートPCが入らないので、新しいものを買わなければとアマゾンで探す。で、15.6インチのノートPCが入るリュックサックをポチった。という具合に、たかだか仙台に夜一泊するだけなのにイヤフォンやバッグを買い直したりと無用の散財をしている気が非常にする。それでなくても今日は朝から大散財をしているというのに。

というわけで、事前に分かってはいたものの、今月は大赤字。

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回顧

10月29日、月曜日。

目覚めると、夜明け前……というのは大貫妙子だが、今日は目覚めると12時8分、お昼過ぎだった。

それはともかくとして、昨夜寝る前にメールをチェックしたら、見知らぬ方からメールがあって、僕の数年前のツイートを見つけて昔の(ネット上の)パチプロ仲間である大阪のKTさんのツイッターアカウントはこれじゃないかというものを教えていただいた。そのアカウントを見るとほとんどがバドミントンのツイートになっていて、「?」という感じだったが、今日ツイッターのDMで確かめたところ、確かにKTさん本人と判明。懐かしかった。彼とコミュニケーションを取ったのは15年振りぐらい?

で、夜になって最近とみに気になっていた、30年前に仕事をした人間で一人だけどうしても名前が出て来なかった人物を、やはりツイッターのDMで業界の人に問い合わせたところ、なんのことはない、ウィキペディアに名前が載っていたということが判明、どうにも思い出せなくて気持ち悪かった名前をようやっと思い出した。その辺の繋がりで当時仕事でやっていたオメガトライブ関連の動画をYouTubeであれこれ見ると、どうも自分の記憶が混同していたことが分かり、ジャッキー・リン&パラビオンのメンバーだと思っていたシンガーが1986オメガトライブの方だったりと、人間の記憶がいかに怪しいかということを身をもって知る。

それにしてもしかし、前述の人物(森口)をどうやっても思い出せなかったのに、名前を聞いた途端に思い出すというのは、人間の記憶の構造とは一体どうなっているのだろうか。以前何かで読んだところによると、人間の記憶は重要度によってプライオリティがつけられて重要なものだけを階層的に覚えている、というようなことだったような気がするが、実際のところは何かのスイッチというかきっかけさえあればどんな些末なことでも思い出すことができるというのは実に不思議だ。そういう意味ではあらゆる事象は脳内のどこか(海馬あたり)のシナプスに留められているのではないかという気すらする。ただそれを引っ張り出すためには、なんらかのきっかけでディレクトリ構造のようなものを辿っていかないと辿りつかない。ただ、我々が考えている以上に人間というものはいろんなことを記憶しているものなんだなと。そういう意味では、完全に忘れるということは実はあり得ないのではないかという気すらしてくる。

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今日はトレードを3回しかしてない。日中と母のところでスマホで取ったものと。明日車検なので銀行に行ったり町役場に納税証明書を取りに行ったりしてたので。さすがに今日は業務には行かないかと思っていたのだが、相場のポジションを利食いした後、夕方近くになってからなんとなく今日も行ってしまった。というのも、以前午後のこれぐらいの時間はむしろ空いていたような気がしたから。行ってみると案の定そうで、昨日の台も空いていた。見ると、昨日は結局5倍近くハマっていた。つまりあのまま追いかけていたら確実に死んでいたということなのか。それとも人が変わればタイミングも変わるのだろうか。ともあれ、頭上のデータを見ると今日は単発が3回。ということは、35%の通常しか当たっていないことになる。どれどれ、ということで打ってみると、今日は当たった。やはり通常。35%が4回続くのかよ、と思いながら続行するとまた当たった。驚くべきことにまたしても通常。しかしここから時短で確変を引き戻して12連チャン。8000発弱のプラス。こうしてみると、確率っていうのはよく出来ているものだなと。なんとなくどこかで辻褄が合うようになってる。そう考えると、徹頭徹尾悪いことばかり続くわけではないということになる。つまり、酷い目に遭ったらその分ぐらいのいいことも起こり得る。もちろん何事も完璧にバランスが取れてイーヴンになるわけじゃないと思うが。いずれにせよエネルギー保存の法則的な、もしくはE=mc2的な何かを感じる。僕らの人生や記憶は、なんらかの公式で等分になっているのではないかと。そんな気がする。

おっと、明日は朝ディーラーが車検で車を取りに来るので、今日は早く寝なければ。しかし、当たり前だが昼まで寝たので全然眠くない……。

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沈没後の世界

10月28日、日曜日。

手帳を見て驚いた。連続業務記録21日目。近年でこれだけ毎日行ったことはないはず。一体何が起きているのか。

で、今日は最近では恐らく初めて業務でめげた。簡単に言えば3時間一度も当たらなかったのだが、普通ならここまではやらない。5000発打ち込んだらヤメとか。今日は当初7000発までは打ち込んでもいいかなと思っていたのだが、あまりにも当たらないのでこれは一体どこまで行くのだろうという、自分はどこまで耐えられるのだろうという妙な好奇心が途中から出て来てしまった。結果、酷く気が滅入る羽目に。3時間といっても確率の3倍回して当たらなかっただけで普通にあり得ることなんだけれども、960回も回した自分がいかにもバカなんじゃないかと思えてきて、帰宅後もしばらく引き摺っていた。それで冒頭の話に戻ると、21日も行っていたら例えば4倍とか5倍ハマる確率は4~5%としても遭遇して当たり前と言える。昔時短中(昔は玉が増えた)に10倍ハマったことがあるのが最高だけれど、プロ時代は委細構わず打っていた。つまりああ今日は5倍の日か、と思うぐらいだった。ん? そういえば近年でも確変中(STじゃない)に5倍以上ハマったことはよくあったような気が。要するにこれぐらいでめげてしまうというのは、業務マインドとか言っても所詮仕事モードにはなっていないということであり。いずれにしても常々言っているように最近はネタとしてそもそも期待値が足りないのだからツキ次第でやっているということを、今日のところはふと忘れてしまったのだった。

そんなわけで帰宅後も異常に気が滅入り、ひとまず昼寝しようとベッドに潜り込んだのだが、これがまったく寝付けない。眠れないのであれば何か考え事をしようと思ったのだが、何を考えていいのか分からない(笑)。で、ようやく意識が薄らいだかなというところでドアチャイムが鳴って起こされて出てみると、車のディーラーの人だった。明後日車検なのだが、そのための営業のようだった。保険がどうのと言っていたので。で、当日いくら用意して下さいという金額が思っていたよりもずっと高かったので、さらに気が滅入ってしまった。それでもう一度ベッドに潜り込んで昼寝にトライする。眠れない。何か考える。以下繰り返し。という具合に、自分でも一体何をやっているのか分からなくなってしまった。気がつくと6時を過ぎていたので煙草を一服して母のところに行ったのだが。

日中はそんな感じで完全に気分は沈没していたのだけれど、夜になっていつの間にかそんなことも半分忘れてしまい、夕食後はヘタフェの試合(またもや柴崎の出番はなかった)を見て、以後U19代表の試合経過をツイッターで気にしながらまたしてもYouTubeで藤岡幹大の動画を見ているうちに、すっかりどこかに行ってしまった。

ここのところ毎日故藤岡幹大の動画を見ているのは単純に面白いから(ギターに関していろいろ発見がある)ということもあるけれど、ひとつにはこの歳になってようやく、俺も速弾きとやらをやってみようかななどと思い始めたからなのだった。というのも、バンドをやっていた学生時代のころから自分はあまり速弾きということには興味が持てなくて、というのもある程度以上の速いパッセージ、例えば32分音符が延々と連続するフレーズというものがそもそも頭に浮かばないから必要性を感じないということと、元々クラシック上がりでピックで弾いたのが遅かった(高校2年、3年から?)ということもあって左手はともかくとしてピックで弾くこと自体が苦手だったこともあってハナから諦めていた節もある。そうやって何十年も経って、来年還暦という今ごろになって、俺も速弾きしてみようかななどと酔狂に思い始めたのだった。それでピッキング自体を改めて研究中というか、そもそもピッキングにアウトサイドとインサイドがあるなどということすら知らなかった。とはいうものの、前述のようにクラシック上がりであるからコードの押さえ方とかも頑なにこっちの方が押さえやすいというポリシーはあったりして、それが故に左指のストレッチがあまり効かなかったり(練習してないから)という問題もあるのだが、それ以前にそもそも通常のフレーズを弾くときでもミュートをしながらピッキングするという意識すらなかったことに気づき、ああだからミスタッチやミストーンがやたらと多かったのかとか、今さらながら気づくことがやたらと多くて。それでもしかしたら自分のピックの持ち方も間違っているのではないか云々というように、一旦気になり始めると切りがなく。と、そんな練習をこのところしているので、もしかしたら学生時代と同等かそれ以上に速く弾けるようにはなってきてる。とはいうものの、だからといって何がどうなるというわけでもないのだが。つまり、自分の生活には何の影響も与えないのだが。

それはともかくとして、今朝方いわゆるところの緊急地震速報的なものが鳴って驚いて目を覚ました(8時半ごろ)のだが、見ると町内の災害訓練の知らせだった。そんなものをメールで一斉に送るなよと。一瞬びびったので。

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