Realforce

5月9日、木曜日。

昨夜寝たのは3時過ぎ、今朝9時41分に起きたのだがあまりにも眠くて朝食後に昼をまたいで昼寝。

で。

昨日鹿島がマレーシアのチームに負けてしまったのがあまりにもショックでトラウマになりそうなので、気を紛らわせようと昨夜からなんとなくアマゾンや価格コムやヤフーでパソコン用のキーボードを見ていた。別に今使っているキーボードに特に不満があるというわけではなく、強いていえばバックスペースキーとナムロックのキーを打ち間違えてしまうくらい。今まではキーボードの打鍵感とかそういうことにこだわったことはなかった。要するにストレス発散のためになんか買い物をしたかっただけなのである。今使っているのはデスクトップPCを買ったときについてきたもので、その前に使っていたのはケーズデンキで1000円ぐらいで買ってきた奴だった。で、いろいろとキーボードを見ているとほとんどが2~3千円の安いものなのだが突然2万円以上するものとかがある。ほぼ10倍の値段。一体なんでこんなに高いんだろうと気になっていろいろと調べてみると、一口にパソコン用のキーボードといっても構造的にいろんな種類があることが分かった。一番安いのはメンブレンというもので、1000円ぐらいの奴とかはみんなこれ。ちょっと高いキーボードはメカニカルといってキーを押す構造が違って使う軸によってタッチや音が違うらしいことが分かった。それで一番気になったのがとにかく全部値段が高い東プレというメーカー。ここだけが静電容量無接点方式というものを使っている。一番安いものでも19000円ぐらいでほぼ2万円以上する。アマゾンのレビューとかを見ると皆絶賛している。なんだか急に欲しくなった。

実際問題として僕がキーボードを打つのは何かを検索する以外ではこの日記を書くぐらい。昔のように小説を書いているわけでもない。なので今までキーボードに関しては割と無頓着だったのだが、世の中には非常にいいキーボードというものがあるということを知ると途端に使ってみたくなってしまった。そう言われると確かに今使っているキーボードはタッチがちょっと重い。深夜に散々迷った挙句に前述の東プレのキーボード(Realforce)のフルサイズで一番安い奴をアマゾンのほしい物リストに入れる。次点として1万円ぐらいのメカニカルキーボードも入れておく。

というわけで一晩経ってその一時の欲求がどうなったかというと、失せなかった。昼寝から目が覚めて昼食を摂りながら、またアマゾンやら価格コムとかを見始める。ひとつには今週の相場が米中の交渉次第で様子見の様子を呈しているせいもある。価格コムで一番値段が安い店で注文する寸前までいく。あとクリックひとつというところで思いとどまる。大体パソコンのキーボードごときになんでそんな高いものを買わなきゃいけないんだとも思うし、それとは逆にいい物を使うのであれば年を取ってからじゃなく今のうちという気持ちもある。アンビバレント。そこでふと、先日ヤフーのカードを申し込んだときにTポイントを4000円分もらったことを思い出す。ヤフーショッピングでは同じものがさっきの店よりも1000円ぐらい高いのだがTポイントを使えば1万5000円ちょっとで買える。これは(相対的に)安い。価格コムよりも3000円安い。買うべき。と思ってしまって、スマホのヤフーショッピングのアプリからとうとう注文してしまった……。むむむ……。気がつくと散財。それもかなりの贅沢。また無駄遣いをしてしまったのか。

とは思うものの、考えてみれば毎日使うもの、一生(と言うと大袈裟だが)2000円ぐらいのキーボードをとっかえひっかえ使うのと2万円弱のものを長く使うのとどちらがいいのかというと、何せ値段が10倍ぐらい違うから安いものを10個買えるという考え方もあるがなんていうか人生として大分違うんじゃないかという気が。上手く言えないけど質のようなものが。

そんな風に考えてこれはあたら無駄遣いではないと考えることにした。ちと言い訳くさいが。ちなみに買ったのはこれ

自分に対する言い訳が成立すると、今度は先日ワイヤレスを買ったばかりのマウスを見始める。というのもワイヤレスの静音マウスは非常にいいのだが、唯一、10分使わないとスリープモードに入ってしまうので使うときにいちいち右クリック(左クリックをしてしまうと間違ってトレードの注文ボタンを押しかねないので)をしなければならないのが面倒なのである。それに若干クリックの感度にムラがある。相場のトレード、特に秒単位のスキャルピング(超短期取引)をするときにマウスの感度というのは非常に重要だ。というわけでまたしてもアマゾンで延々とマウス、それもワイヤレスではなく有線のものを見始める。当たり前だがこれがピンからキリまである。とんでもなく安いもの(330円で送料無料というものもあった)から何万もするものまである。夕方は延々とマウスを見ていたのだが、なんとか買うのを我慢する。というのも、マウスの場合はキーボードと違ってこれはというものがなかった。高いものは大体ゲームに使うゲーミングマウスで余計なボタンがいろいろとついていたりする。そういうのはいらない。要するにクリックの感度が高くてクリック音がうるさくなければそれでいいのだが、どうもどれがそういうものに当たるのかよく分からなかったし、よさそうなものは形状が気に入らなかったり(分厚いものは嫌)ということで(幸いながら)選べなかった。実際のところ、今使っているワイヤレスマウスの有線版があればそれでいいのだが。

そんなわけで今日のところは買い物心に振り回されて一日が終わる。トレードは4回だけ。なんか今週は相場のチャートを見ている時間自体が少ない。相変わらずZuluTradeは含み損を抱えていて一時期200ピップス近い含み損にまで膨らんだ(自分なら到底ここまでリスクは背負わない)が、今見ると幾分戻した。自分ではこういう含み損の抱え方をしないので一体どうしたものかよく分からないが、ポジションのロット自体が小さいのでとにかくどうなるかもう少し様子を見ることにする。っていうかこの場合それしか思いつかない。

明日(日付が変わったら今日だが)は母の誕生日。本来ならそこにこそお金を使わなければならないのだが、母は何もいらないと言う。近所の洋菓子店で小さなケーキを買っていこうと思っている。

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Nope

5月8日、水曜日。

ジョホール(マレーシア) 1-0 鹿島。今日はノーコメント。

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VPS騒動

5月7日、火曜日。

何の夢だったか、なんらかの夢を見て起きると10時56分。いささか寝過ぎ。日中暑かったという印象の連休に比べると今日は15度ぐらいと、日中こそ暖房は入れなかったがちょっと寒いくらい。夜は暖房オン。

今日は連休明けなのでまず例の無料期間のはずなのに4月分9.53ドルの請求が来たAWS(アマゾンウェブサービス)の問題を解決しようと。朝食後に見ると既に9.53ドルはクレジットカードから引き落とされていた。AWSのサポートに問い合わせ(請求のことで訊きたいので電話をかけて欲しいと要請)をすると驚いたことに瞬時にスマホに電話がかかってきた。こういうところはアマゾンて凄い。で、サポートと延々と電話で話したところによると、今回の問題はVPS(MT4を動かすための仮想サーバー)を構築するのに、間違えてEC2ではなくてLightsailでインスタンス(サーバーのことらしい)を作ってしまったことにそもそも原因があった。とあるブログを参照しながらインスタンスを作っていたのだが、どうも手順がブログよりも簡単なのでおかしいなとは当時思ったのだが、結果的にVPSができてMT4もインストールできて動いたからまあいいやと思っていた。どっちにしろ一年間は無料なのだからと。問題は、Lightsailのプランの中で無料じゃないもの(若干容量の多いもの)を選んでしまったことにあるようだった。つまり結果的にわざわざ有料のものを選んでしまったということらしい。とはいうものの、無料というバナーを延々とたどっていってできたものなのだから請求されるのはおかしいんじゃないかと食い下がると、それではLightsailのインスタンスを削除したら返金を検討すると。そう言われると困った。削除してしまうとMT4を24時間稼働させるためのVPS自体がなくなってしまうことになる。

VPSがなくなってしまっては元も子もない。それではと、もう一度AWSのトップページからたどって今度はEC2でサーバーの構築を試みた。すると、どうやら前述のブログに書いてあった手順通りになるのでこれでインスタンスを構築することができそうだ。今度は有料のプランを選んでしまわないように無料と書いてあるプランの中から選んでインスタンスを作る。手順はLightsailよりも複雑で、例のブログがないと途方に暮れてしまうくらい難しい。途中、EIPというサーバー用のアドレスを間違って違うリージョン(オハイオ)に2つ作ってしまい、それは有料になってしまいますよとサポートに言われて慌ててEIPのアドレスを解放したりと、試行錯誤の上バタバタながらなんとかインスタンスができた。だがリージョンを選ぶのを忘れて東京で作ってしまった。ブログによるとリージョンを東京にするよりもロンドンとかにした方が料金は安いらしいが、これはもうしょうがない。

サポートに念を押すと、どうやらこのEC2で作った方のインスタンスは今度こそ一年間無料で使えるらしい。あとはこのインスタンス上でMT4が動けば(できれば複数)いいわけである。長々と付き合ってもらったサポートにはあとで料金表とかもろもろのURLをメールで送ってもらうことにして一旦電話を終え、これで試してからLightsailの方を削除するかどうかまた連絡するということにした。

アイコンをクリックするだけだったLightsailと違って、EC2の方はログインして立ち上げるのにリモートデスクトップを立ち上げなければならない。なので最初はちょっとめんどくさいのかななどと思ったが、一通りやってみると無事MT4をインストールして動かすことができた。ログインも一番最初は複雑なパスワード(変更の仕方が分からなかった)を入力しなければならないが次回以降はただリモートデスクトップを立ち上げるだけだった。これで全部無料のプランで組んだEC2のインスタンスでもVPSの役割を果たすことを確認して、またサポートに連絡。またしても瞬時に電話がかかってくる。さらに先ほど延々と話をしたサポートの人に繋いでくれた。こういうところはアマゾンのサポートはホント凄い。

で、サポートの人と話しながらLightsailのインスタンスを削除。サポートの話で気になったのは、前述のEIPというアドレスがインスタンスに関連付けられていないと料金が発生するということで、一応自分では間違って作ったものを消したつもりだが若干不安は残る。正直なところVPSの使い勝手という点ではLightsailの方が使いやすい。で、EC2もLightsailも従量制で料金が発生するのだが、サポートに月額いくらになるか訊ねたところ、どうやら有料の場合はLightsailの方が若干安いということが判明。と、ここまでくるとさすがに話はややこしく、とどのつまり構築するのは大変だがEC2でサーバーを作れば一年間無料で使える。しかしその無料期間が終わって有料になった場合はLightsailの方が安いということ。なので、とりあえず一年間はEC2のインスタンスを使って、一年後有料に切り替わる頃合いになったらLightsailのインスタンスに切り替える、という作戦がよさそうということになった。まあEC2の方が高いといっても500円ぐらいの違いなのだが……。

という具合に昼ごろから延々とアマゾンのサポートと電話で話して、ようやっとEC2でVPSができて解決するころには驚いたことにもう夕方になっていた。つまり、ほぼ半日サポートと電話で話していたことになる。なので、向こうから電話をかけてくれるというのは本当に助かる。ちなみに、これがLightsailの電話サポートだと本来有料らしい(正確なところはよく分からなかった)。

話がまったくパープリン(死語?)な人もいるだろうから一応説明しておくと、AWS(アマゾンウェブサービス)の中で仮想サーバーを作る方法として、EC2とLightsailという2種類の方法があるということです。で、有料になった場合は一時間いくらという従量課金で、一ヶ月目一杯使ったとして1400円から2000円ぐらい(使わない土日とかにサーバーを停めておけばもうちょっと安くなる)。なので、お名前ドットコムのfx用の月額制のVPSと比べると使う容量にもよるがAWSの方が若干安い。安いといっても何百円という程度の差しかないので、サーバーを構築してMT4をインストールするのが面倒という人は最初から月額制のVPSを使った方が楽だろう。しかし、VPSにMT4をインストールできない人がMT4のEA(自動売買プログラム)を扱えるとは思えないのだが……。

夕食後、AWSのサポートの人から料金表とかのURLを書いたメールが届いた。サポートの人も大変だなあと思った次第。そんなわけでVPS問題でほぼ一日が潰れ、今日はトレードどころではなかった。チャートを持続的に見ることができなかったので相場の動きにもついていけず。一見問題が解決したように見えるが、一番の問題はそのVPS上で動かしたEAがいい結果を出せるかどうか。損失ばかりを出すようではそれこそ本末転倒。しばらく様子を見るしかない。ちなみにこれまでひとつだけ動かしていたEAは一応いまのところプラスになっている。一方、ZuluTrade(ミラートレード)の方は含み損を抱えまくっている。今日はトレイダーズプロという無料でEAを使えるサイトを使って、さらに2つEAを稼働させた。どうなることやら。

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雷とチャルメラ

5月6日、月曜日。

ようやっと連休が終わる。助かった。この連休中に何が気になっていたかといって、差し歯が取れてしまったら歯医者が休みだから最悪だなということだった。

何時ごろだったか、午後トイレの水を流すのと同時に気味の悪い音がした。なんだか地の底から聞こえてくるような音だ。ある種の心霊現象かと思ったら昼から雷が鳴っていたのだった。雷鳴はしばらく続き、落雷の音がした。5時ごろに母のところから帰るときには雨は上がっていた。ところが、夕食後の夜、台所でYouTubeの動画を見ていると動画の音が聞き取りにくいぐらいの雨の音。そしてまた雷。その土砂降りの雨の音の中、チャルメラの音が聞こえてきた。この雷雨の中、しかも(この田舎町にしては)夜中に一体何を売っているのだろうか。以前から気になっていた。ただ単にチャルメラの音を聞いただけではそれが何を意味するのか分からない。これが都内だったらラーメンの屋台だと思うだろうが、この山形の片田舎の町で大半の人が夕食を済ませた時間に、しかも土砂降りの雨の中ラーメンの屋台など引いて通るのだろうか。ましてそれが商売として成り立つとはとても思えない。そういう意味でもこのチャルメラの音もまた、ある種の心霊現象のような気がした。

今日の母はいつにもまして頼りなかった。先日来、令和の令という字を書けなくて苦労していたので、今日も書かせてみたのだがやはり覚束ない。スマホで撮った「令和」(ホールの前に飾ってある書)を見せながらでもなかなか書けない。しょうがないので生年月日を書かせてみると、昭和の和が抜けたりする。終いには「分からない」を連発してしまう。それがどの程度分からないのか、今日がいつもよりもひときわ分からないのか、そういうことも僕にはだんだん分からなくなってしまった。なんだかちょっと悲しくなってしまい、雨上がりの特養の駐車場の車の中で煙草を一本吸った。

夜、ツイッターで阿部和重が神町三部作の最終作を書き終えたとツイートした。

以前にも書いたが神町は最上川を渡った隣町。それにしても、もう二十年になるのか。僕が最初に阿部和重を知ったのは、ケイが「アメリカの夜」を読んでいたからなのだが、そう考えると確かに二十年前だ。笑っちゃうがその二十年前に既に僕はこのsomething newを書いていた。ケイはそれを読んで僕に神戸からメールを送ったのだ。まだブログなんてものは存在しなかった。エディターでHTMLで書いていた。そう、考えてみれば今だってそんな風にHTMLで書いたっていいんだ。それにしても、二十年以上、僕は一体何を書いているのだろう?

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Lost in the Hurrah

5月5日、日曜日。

Marc Jordan、久々に聴いた。っていうかiTunesを立ち上げること自体が久々。毎月apple musicに980円払い続けてるのにほとんど聴かないという。

例によって何らかの夢を見て起きたら11時近かった。で、台所で朝食を摂りながら外を見ると今日もまた尋常じゃなく晴れていた。それで発作的にこれは旅に出なくては、と思ったのだった。もちろん日帰りで。無計画なことこの上ないのだが一応目的地はある。震災の被災地をこれまで一度も訪れたことがないので、一度は行った方がいいかと常々考えていた。ひとまず距離的に一番近そうなので宮城県の女川を目指すことにした。ネットのグーグルマップを見ると、尾花沢からひたすら国道347号線を行けば石巻にたどり着き、女川はその先である。一応拡大した地図をプリントしておく。問題は347号線が大崎から108号線に変わるというところだが、地図で見る分にはひたすらまっすぐ行けば大丈夫そうに見える。(これが間違いだった……)

とにかく12時20分に出発してみた。目算としては3時か遅くても3時半に到着すれば日帰りで戻ってきて母のところにも寄れる。仙台まで1時間半なので2時間半あれば行けそうに思えるが。

13号のバイパスは東根を過ぎて尾花沢を目指すところは空いているしまるでアメリカのフリーウェイを走っているようだった。尾花沢から347号線に入り、ひたすら進む。県境を越えると加美町という町に入ったがこれがやたらと広い。時速60kmで走っているのに抜けるのに1時間ぐらいかかる。途中の山道は素晴らしく美しい。ところどころ山肌にまだ雪が残っている。この季節の山は秋の紅葉とはまた違った微妙な色合いを見せて美しい。

ようやっと加美町を抜けると大崎市に入る。ふと気がつくと宮城県に入ったらやたらと空が広い。うちのところよりも広いのは、地平線に山の稜線がないからだ。うちのところは360度山の稜線がある。それに、宮城県の信号は山形県と違う。LEDなのか。それにしてもいい天気で、気がつくと暑い。一応念のためにGジャンも持ってきたのだがそれどころか袖をまくる始末。外気温は26度もある。

とか言っていると、347号線が終わり、右か左に曲がらなければならなくなった。どっちか分からない。とりあえず海の方に向かうということで右に行ってみると、108号線ではなくて4号線に乗って仙台方面に向かっていることに気づいた。これは逆方向。慌てて左手の道に折れる。ところが、その適当に入った道がどんどん狭くなりただの農道になり、気がつくと干上がった川の堤防の上にたどり着いていた。ここはどこだ? 完全に迷ってしまった。

道はとっくに車が擦れ違えないほど狭くなっている。とにかくこの状況を脱しないととんでもないことになると、堤防の上をちょっとでも広い道に出るまで走る。この時点で自分がどの方向に向かっているのか完全に見失っていた。なんとか普通の道に出る。時間はもうとっくに2時を回っていてこれは3時半までに女川というのは到底無理、どこを走っているのかすら分からないのでもう戻るしかないと思うものの、どうやって戻ればいいのか分からない。ただの県道を適当に走っているとまた道が狭くなって行き止まりっぽくなる。どうやら大崎市の古川近辺をひたすらうろうろしているだけのようだ。まったくでたらめに走っていると、ようやく347号線に出た。もう戻ることしか考えていないので加美町方面へ。ようやっと見たことのある風景が。

加美町を尾花沢方面に戻りながら、そこでようやくスマホのGPSを使ってグーグルマップを見ればよかったと気づくが後の祭り。なにしろカーナビもついていない車に乗っているからそういう発想自体になかなかならない。

尾花沢方面は空いていて前後を走る車もいない。例の美しい山間を走っていると、山道の途中で何やら人が立っている。見ると、車がガードレールだか電柱だかに衝突して前面が大破していて、救急車も出ていた。さすがに止まって写真を撮るのは不謹慎かと通り過ぎた。ひたすら帰り道を急ぐが、これだけ長い間運転するのは久々なのでとっくの昔からケツが痛くてしょうがないし、行きの途中でコンビニで昼食を摂っただけで後はひたすら走り続けているのでめっちゃ疲れている。実際、これでは一体何しに来たのかまったく分からないなと思う。これは旅に出たというよりもただ道に迷っただけではないか。このまま帰るとただのドライブに終わってしまうので、途中にある銀山温泉に寄ろうかと一瞬迷う。しかしもう4時を回っているし銀山温泉に向かう交差点を温泉旅館の送迎バスが曲がっていくのを見て断念。

13号のバイパスを途中までぶっ飛ばしていたのだが、村山市あたりから渋滞。やはり連休なのか。スタンドでガソリンを入れて5時ごろにようやく帰宅。疲れ果てた4時間半のドライブ。おまけに何故か物凄く腹が減っている。コンビニで菓子パン1個買っただけだからか。あまりに腹が減ったので、母のところに行く前に蕎麦でも食べようと6時近くにまた車に乗って(かなりうんざりしている)蕎麦屋に行ってみると既に閉店。もう1軒の蕎麦屋に行ってみるがやはり閉店。こういうときはこの町で一番流行らない店だがそれほど不味くないあの店なら大丈夫だろうと行ってみると、出前に出てますという札がついて鍵が閉まっていた。唖然として帰宅、冷凍のごはんをレンジで温めて夕食を済ませ、母のところに向かう。真面目な話、もうボロボロに疲れていた。

というわけで、なんの予定もない連休というのも一応旅らしきものをしようと思っただけで一日は終わるということが判明。今日の教訓としては、何の計画もなく発作的に旅に出る場合は最低限泊まってもいい支度をしてからでるべき、ということだった。それにしても、カーナビな……。

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Vampire

5月4日、土曜日。

朝アマゾンからワイヤレスマウスが届いた。二度寝して朝食後に開けてみると、なんだか見たことがある。と思ったら今まで使っていたメーカーの同じもののデザイン違いではないか。要するにまったく同じものを買ったのと同じ。

昨日届いたメールが気がかり。英語のメールだが、例のVPSとして使っているAWS(アマゾンウェブサービス)の月額請求のメールだった。はて、AWSは一年間無料じゃなかったのか、だから使ってみたのだが。もう一度AWSのトップページを見てみると、仮想サーバのLightsailは一ヶ月無料とある。すると、一ヶ月無料を一年間無料と勘違いしたのか。ここでもう一度AWSをググって見てみる。するとやはり無料トライアルは一年間とある。それではなんで4月分9.5ドルの請求が起きているのか。問い合わせのサポートを見たら日本語サポートは連休中は休み。なので連休明けに問い合わせるしかないが、一体何がどうなっているのやら。一ヶ月無料としても、始めたのが4月だからまだ無料のはずなのだが。ただ、調べてみるとお名前ドットコムの月額定額VPSよりもずっと安いことは確か。それはともかく、無料と有料の違いは限りなく大きい。

今日は雲一つない快晴。あまりにも天気がいいので母を外に連れ出したいと3時ジャストに特養に行くと、母は寝ていた。しばらくそのまま寝かせていたが、30分ほどして起こして車椅子で外に連れ出した。それで燦燦と日が降り注ぐ駐車場で二人でしばし外を眺める。

帰宅後、またもや猛烈に疲れていた。母を車椅子に乗せて駐車場をうろうろするだけでなんでこう毎回こんなにも疲れるのか。DAZNで札幌対神戸の試合を見ていたのだがあまりにも疲れているのでベッドに潜り込む。そのまま少し寝てしまった。なんでこんなに疲れるのかというと、もしかしたら日光に当たるだけで疲れるのかも、と思った。僕は昔から直射日光に弱く、しばしば今でいう熱中症になった。逗子マリーナのプールサイドでユーミンのツアーの打ち合わせをしただけで熱中症になったし、ゲーム会社の社員旅行で休憩で寄ったつま恋でも具合が悪くなった。かようにそもそも日光に弱い。とはいうものの、20分ばかり日に当たったからといってこれほど疲れるだろうか? これではまるで吸血鬼だ。やれやれとしか言いようがない。そもそも考えてみるとちょっと前まで一時間ぐらい散歩していたじゃないか。これでは整合性が取れない。

今日は変なことが続く。夕食後に台所でノートパソコンを見ていたら突然ブラウザのFirefoxのアドオンが全部無効になった。その後ツイッターのタイムラインを見たところ、どうやらアドオンが一斉に無効になる不具合が起こったらしい。ところが不思議なことに書斎のデスクトップの方のFirefoxは大丈夫なのだ。これは一体どういうことだろうと思っていたら、この日記を書いている最中に遂にデスクトップのFirefoxでも全部のアドオンが無効になった。一体何が起きているのか?

ともあれ、何も予定のない日をなんとか乗り切った。いい加減うんざりする連休も残すところあと2日。早く終わらないかな。それとも明日もまた天気がよかったら日帰りでどこかに行ってみるか。震災の被災地を訪れてみるとか。

先日来取り掛かっている曲はどうにも手詰まりに。Aメロの16小節だけエレピを打ち込んでみたものの、恐らくメロディ自体が気に入らないのだと思う。一番気になっているのはAメロとサビがほとんど変わらないところだが、いっそのことA-B-AもしくはA-B-A’という構成にして大サビを別に作るか。しかしそもそもセンチメンタル過ぎるんじゃないか云々。

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Along the Nile

5月3日、金曜日。

鹿島 3-0 清水。ほぼ完勝だった。ほぼというのは前半の清水のフリーキックをGKのクォン・スンテが弾いた場面は完全にゴールラインを割っていて、実質清水が先制していたはずだからだ。これは明らかな誤審だが、ゴールラインテクノロジーもVARも採用していない以上、審判が見極められなければ仕方がない。これで1-0とかで勝ったらなんか後味が悪くなったかもしれないが、今日の鹿島は前節とは見違えるように素晴らしいパスワークが随所に見られ、取るべくして点を重ねた。前半は先制ゴールを挙げた土居聖真の好調ぶりが目立ったが、試合を通して一番出来がよかったと思えたのは三竿健斗だった。今季怪我から復帰したばかりのころの三竿は目も当てられないほどの酷い出来だったが、今日の場合はそれ以前と比べても明らかに上手くなったと思えるくらいだった。これはもう、先々長谷部みたいになるんじゃないかと思わせた。後半になって素晴らしいパスワークから2点を追加して、結果として文句のつけようがないものになった。前半の清水のゴールが認められていたとしても今日は鹿島が勝っていただろう。久しぶりに留飲が下がる思い。

と、今日書くことはそれぐらいしかない。今日は週末だし夜に米雇用統計があったので相場は基本おさわり程度にトレードしただけで後は様子見。

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1986

5月2日、木曜日。

長い長い夢を見た。夢の中で、元妻は六本木の風俗に勤めていた。夢の習いで僕は六本木で道に迷った。夢の中の六本木には六本木通りも外苑東通りも存在しなかったのだ。それからバスで実家に帰るのだが、バスの中は隣に座った女の子とナニをしたりと無茶苦茶なことになり、深夜に帰宅すると父と母になんで遅くなったのか、なんで会社を休むことになったのか説明しなければならなかった。そして、いまだかつて存在したことのない姉にこれこれこういうわけでこれからは毎月これだけの出費がかさむと言われて頭を抱えた……。

姉って誰だ?

朝、特養からの電話で起こされた。母が昨日の夜から蕁麻疹が出たので特養のかかりつけの医者に連れて行くという。その後もう一度電話があって、ステロイドのプレドニンが処方されたと聞いてびっくり。プレドニンは抗がん剤のひとつとして自分がかつて飲んでいたので。飲んで数日後に副作用で途轍もなくだるくなる。あとでググってみると、抗アレルギー剤として処方されることもあるようだし、母が処方されたのは最低量だった。

夜、することがなくなってなんとなくYouTubeで自分が業界の現場に入った1986年にレコーディングした曲の動画を何曲か見てみた。この年は最初にレコーディングした南野陽子のシングル(スケバン刑事の主題歌)がそこそこヒットし、それから1986オメガトライブの「君は1000%」がヒットして、そこから連鎖反応的に少年隊の「デカメロン伝説」荻野目洋子「六本木純情派」と立て続けにヒットしてラッキーな年だった。あっという間に新川は売れっ子のアレンジャーとなり、マネージャーとしての僕の仕事は仕事を取ってくることよりも仕事を断ることがメインになった。「君は1000%」はI泉さんとの最初の仕事だったのでことに印象深い。あれからもう33年になるのか……。1989年、つまり平成元年には新川は雲母社を辞めていたので、カルロスに最後に会ったのは1988年ということになる。高輪のプリンスホテルだった。ひとり名前を思い出せなくて古いアドレス帳を開いてみると、懐かしい名前がぼろぼろと出てくる。そういえばこういう人いたなあという人たち。みんなどうしているんだろうか。亡くなってしまった人も何人かいる。というか結構いる。つまり、若くして亡くなった人がそれだけ多いということだ。

1986年。僕は毎日必死だった。自分でスケジュールを入れていたのでしょうがないが休みは月に二日あるかないかだった。今でいうと完全に過労死レベル。しかし、考えてみれば今でも必死なのは同じなのだった。いつでも、どんなときでも僕は必死だった。それがどんなに愚かしいときであっても。そして、それはたぶんそれだけ自分が愚かだという証左なのだろう。いついかなるときであっても、賢く生きることとは無縁だった。正直な話、上手に生きられる人がうらやましい。

そういえば今日はワイヤレスマウスをアマゾンで衝動買いしてしまった。ワイヤレスのマウス、2つ持ってるのに。

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Reiwa

5月1日、水曜日。

そんなわけで平成が終わり令和になった。例によってまったくテレビを見ていないので、何がどう変わったのか分からないし実感もない。とりあえずカレンダーはめくった。

先日届いたUSBからHDMIに変換するアダプター、結局使えなかったのでアマゾンに連絡して返品することにした。サポートが要領がいまひとつよくなくて時間がかかっている間、Webでアマゾンの注文履歴を見たら「商品の返品」というボタンがあったのでそれをたどっていったらなんのことはない、簡単にできた。箱に詰めて印刷したラベルを貼るだけで、あとは日本郵便に電話して集配してもらうだけ。送料も着払い。そういえば何年か前にも動作しないスピーカーを返品したことがあった。どうやったかすっかり忘れていたのである。

午後3時過ぎに母のところに行ってみると、母の部屋に弟夫婦(from 仙台)、弟の長男夫婦(from 盛岡)、弟の次男(from 東京)の5人がいてびっくりした。てっきり甥っ子二人だけが来るのかと思っていたので。こうしてみると家族とはなんと賑やかなことだろう。厳密にいえば弟の方は分家になっていて、実質今の僕の家族(本家)は母と僕だけ。ずっと二人でひっそりと生きてきたので、家族が一堂に会するとこんなにもテンションが高いものなのかと改めて思った。で、甥っ子の嫁が妊娠しているということを聞いてまたびっくり。弟がおじいちゃんになるということになる。なんだかまったくもってピンと来ない。

弟が持ってきたデジタル一眼レフのカメラを三脚に据えて、みんなで写真を撮った。撮るときに「チーズ」ではなく「れいわ」と言って。母までが「はい、れいわ」と言ったので驚いた。弟の家族たちが帰るとまた僕と母だけになり、静かな時間が戻った。さっきまでのあの賑やかさは一体なんだったんだろうという感じで。

母の部屋でスマホで相場のレートを見ると、ポジションがトータルでプラスに転じていたのでその場で決済した。ドル円は結局損切りしてしまったし、そのまま持っていればもっと利益を伸ばせたのだが、なんだか今日はもういいやという気分だった。昨夜深夜0時を回ってから何度かポジションを取ってほぼ全部損切りに終わったので、それを今日のプラス分から差し引くとぎりぎりプラスになっていた。これで一応、令和元年の初日はプラスだったということにはなる。

それにしても、弟一家のあのテンションの高さはなんなのだろう? 詰まるところ、あれが普通で僕があまりにもテンションが低いということなのだろうか。さもありなん、うつ病の人間のテンションが高くなるとロクなことがない。結局のところ、平成から令和になって気分が一新したりテンションが上がったりということはなく、今日のところはむしろいつもより消極的だった。

と、ここまで書いたところでさすがに今日の天皇の即位の様子をまったく見ていないというのはなんだなと思い、タブレットのAbemaTVのニュースでちょっとだけだが見た。ようやく少しだけ人並みに近づいた気分。

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4月30日、火曜日。

夕方まで雨が降っていることに気づかなかった。何時ごろだったか、午後だったと思うがモニターが届き、モニターアームに取り付けてHDMIの変換アダプターを繋ぐが何も映らない。唖然としてそれではとVGAの変換アダプターで繋いでみるが変わらず。どちらもドライバーをインストールしているのに何故認識しないのか? とここでハタと思いつき、USBをハブに繋いでみるとようやく映った。どうしてPC本体のUSBじゃなくてハブの方なら繋がるのか、理屈がさっぱり分からないが、とにかく使えたのでほっとする。

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こんな感じになって、写真には写っていないがこの左側にもう一台モニターがある。というわけで環境だけは整ったのだが、いわゆるところの平成最後の日のトレードは完敗に終わった。ストップを2回食らってぐうの音も出ない。とはいうものの、業務で考えるとごく普通の負け額でさして気に悩むほどではないのだが、今日のところはまずドル円でストップを食らい次にユーロドルでストップを食らいで、やることなすことすべて裏目に出たので精神的なダメージは結構ある。ところで、今回買ったモニター、今まで使っていたものと型番まで寸分違わず同じものだということにさっき箱をしまうときに気づいた。まあそれはそれでいいのだけれど。

母のところで7時のニュースを見たが、平成最後の日一色、ツイッターのタイムラインもまたそうだった。あらゆることが平成最後という冠がつく。何をするにも平成最後というわけだ。それはともかくとして、平成の30年というのはちょうど自分の人生の半分にあたる。それでは昭和最後の日はどうだったかというと、ほとんど記憶にない。新聞(当時は取っていた)の一面に「昭和天皇崩御」と大見出しが出て、街中の通行量も少なかったような気がするが、今回のようにあらかじめ今日で終わるということが分かっていなかったので昭和最後の日に何をやったかなんてさっぱり覚えていないのだ。

考えてみれば平成元年はバブルの真っただ中で、僕が最初にユーミンの原盤ディレクターをやり始めた年だった。あのころはトレンディドラマが真っ盛りで世の中がどこもかしこも浮かれていた。大概のものは領収書をもらえば経費で落ちた。食事をするのにも打ち合わせの経費で落とすためにわざわざ流行りのドラマに出てくるようなカフェバー(死語)とかで敢えて高いメシを食った。ほぼすべての人が車を持っているような気がした。青山の骨董通り近辺では国産車よりもベンツやBMW、サーブといった高級外国車の方が多く走っていた。喫茶店に入るとまだ珍しかった携帯電話で「6億までなら現金で払う」などと声高に喋る輩が普通にいた。

当時僕が付き合っていた人妻のジュンコの旦那もまた、バブルで儲けた不動産屋だった。無免許なのにポルシェとレクサスを持っていた。彼はバブルの崩壊とともに破産してジュンコとも離婚した。

傍から見ればあのころが僕の人生のピークだったのかもしれない。満員の武道館のアリーナで熱狂する人たちを、二階の一番後ろの壁に背中をつけて腕を組んで見ていた。で、俺は一体ここで何をしているんだろう? と思った。LAにレコーディングに行くと、学生時代からあこがれだった当時もっとも売れっ子のスタジオミュージシャンたちと普通に仕事をやった。当時のことを書き始めたら切りがないが、とにかくユーミンの原盤ディレクターをやるようになってから、いろんな奇妙なことが当たり前になっていった。人が聞けば面白がるような話はいくらでもあるが、いまだにこういうところには書けない。書いても差し支えないと思えるものは部分的にちょこちょこと昔のfragmentsに書いてある。

僕が雲母社(松任谷夫妻の会社)を辞めたのはちょうどバブルが終わったころだった。世の中がバカ騒ぎの夢から覚めて次第に現実的になっていったころ。僕も次第に現実的になり、毎年アルバムを一枚作って一年が終わるということをこの先何十年と続けていくのだろうかとぼんやり考えて、会社を辞めることにした。そうしないと、毎年延々と同じことの繰り返しになることが見えてしまったのだった。それこそ30年とは言わないまでも25年ぐらい先ぐらいまで。

今考えてみると、ユーミンの原盤ディレクター時代に仕事で関わったり付き合ったりした人間は皆いわゆるところの超一流の人たちばかりだった。そういう意味でもバブルだった。ある日会社に行くとオリコンのチャートの一番上に自分の名前が載っていたりしたのだ。そういうことが全部当たり前だった。

おっと、あと12分で書き終えないと平成が終わってしまう。いずれにせよ、30年を端的にまとめることなんて無理だ。雲母社を辞めたあとは会社をころころと変わり、そのうち僕も音楽プロデューサーと呼ばれるようになり、そのころに自分のサイトを始めた。そして気がつくとパチプロになっていたり、また音楽プロデューサーに戻ったりしているうちに僕はうつ病になった。それからの20年近くは薬の過剰処方で薬漬けになってへろへろになり、最後の会社を辞めてからはどんどん無茶苦茶になっていった。なんだかよく分からないまま、10年ぐらいが過ぎた。気がつくと結婚して離婚したりしていた。いろんな意味で長い長い悪い夢でも見ているようだった。

あと6分。

あらゆる意味で、平成だけじゃなく人生は夢のようであり、バブルのような泡のようでもある。子供のころ未来として夢に見ていた21世紀になったときも、つまり20世紀が終わりある日21世紀になったときも、そのときは別段何も変わらなかった。しかしながら、あのころはまだ誰もがスマホのような携帯端末を持って暮らすことなど想像もつかなかったことも確かだ。放っておいてもいつか時代は変わるが、それはある日を境に突然変わるわけではない。あらゆる日は昨日になり、あらゆる日は今日になる。

あと1分。

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