Something, kinda love

11月8日、木曜日。

夜、久しぶりにビートルズを聴いた。日付が変わると同時に全世界同時発売でホワイトアルバムのスーパーデラックス版が出るというので、ホワイトアルバムの冒頭を少し。正直なところ、アルバムの1曲目が「バック・イン・ザ・USSR」ということも忘れていた。いつごろからビートルズを聴かなくなったのだろう? 確か20代の中頃までは、毎年大晦日に帰省するとアナログのベスト盤(赤い奴と青い奴)を全曲通して聴いていたものだ。いつしかその習慣もなくなってしまった。たぶん、ビートルズはイントロからエンディングまで全部知っている気になってしまったのだろう。

高校のとき、山形市内の名画座でビートルズ映画の三本立てをやっていて、入れ替えがなかったので二回し、つまり六本続けて見た。僕がビートルズを聴き始めたころ、ビートルズは既に解散していた。小学校まではほとんどクラシックしか聴いたことがなく、中学に入ってから何故かマカロニウエスタンのサントラ(つまりエンニオ・モリコーネ)を聴くようになり、その次に聴くようになったのがビートルズだった。最初はポール・マッカートニーが好きで、生まれて初めて買ったシングル盤もポールの「Live and Let Die」だった。それが気がつくとジョンの方が好きになっていた。たぶんこういう経緯は大方のファンに共通したものだろう。ジョンが射殺されたとき、僕はそれほどショックを受けなかった。世の中というのはそういうことが起こり得るものだと思っていた。三島由紀夫の割腹自殺も、岡田有希子の飛び降り自殺も、そういうことがあり得るのだと思った。むしろベルリンの壁が崩壊したときの方が不思議な感じがした。例えば9.11とか、にわかには信じ難いことも眼前で起こり得るのだ。それは東日本大震災も同じだ。結局のところ、現実というのは何でも起こり得るのだ。

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夢を見ていた。何の夢だったか。それほど悪い夢ではなかった。何か曲を作っている夢だったか。いずれにせよ10時過ぎに目が覚め、起きようと思って起きたら1時間ワープしていて11時15分だった。

朝食後、相場のトレードをしていると弟から電話がかかってきて、今日こちらに来るということだった。弟は先週末から今週はずっと休みを取っているらしい。2時過ぎに弟夫婦が仙台からやってきた。昨日作ったコタツが役に立った。弟夫婦は母に面会に行き、僕は煙草一本分遅れて合流した。すると母は寝ていた。弟夫婦が来ているからと母を起こすと何やら様子が変だった。まったく呂律が回らないし何を喋っているのか分からない。それに、母は目を開けて起きているのにいびきをかいていた。これは非常にまずい状況なのではないかと思った。一体全体、何がどうしたのか分からないが、何かよろしくないことが起こっている。先日病院に一緒に行った看護師がやってきて熱を計ると7度1分あった。昨日インフルエンザの予防接種をしたのでその影響ではないかという。いずれにせよ特養のかかりつけの医者は今日は休診日だという。母は相変わらず目を開けたまま大きないびきをかいている。最初に部屋に入ったときには横を向いていていびきをかいていなかったので、横を向けてみるといびきは少しましになった。弟夫婦は母を心配しながら仙台に帰っていった。僕も帰宅したが、母のことが気になってどうしようもなく、夜にもう一度見に行くことにした。スパゲッティを茹でて早めの夕食を済ませて6時半過ぎに行き、特養の職員からあれから熱が7度7分まで上がったということを聞く。部屋に入ると母は横を向いて眠っており、いびきはかいていなかった。僕は起こさないように黙ってベッドの脇に座っていたのだが、母が目を覚まし、喉が痛いという。やはりインフルエンザの予防接種が原因っぽい。前述の看護師がまた顔を出す。そのうち母は仰向けになって寝ると、また日中のような大きないびきをかいた。どうやら仰向けになるといびきが出るようだ。僕はじっとベッドの脇でスマホでニーチェを読んでいた。するとまた母は目を覚まし、いびきをかきながら何事が言うので聞いてみると「心配しなくていい」と言っていた。母はまた横を向いたがまだいびきをかいていた。しかしそれも次第に治まってきた。8時になると玄関が閉まるので、7時45分に特養を後にした。駐車場の車の中で、オロナミンCを飲んで煙草を一本吸った。夕方弟がLINEで母を心配していたので、様子を電話で知らせなければならないがなんだか気が重かった。帰宅後、台所で珈琲の生豆を煎り始めて、また煙草を一本吸ってから弟に電話した。

今日がこういう日になるとは、昨日は思ってもみなかった。つまり、明日がどういう日になるのかは明日になってみないと分からない。

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