暁を覚えない春眠

3月6日、火曜日。

11時27分起床。それも一度も目が覚めずノンストップで。昨夜は2時半過ぎには寝たので9時間近く寝たことになる。一体全体、何をどうすればこんなに寝るのか。思い当たる節は、玄関先の氷塊を持ち上げたことぐらいだが、昨夜日記を書いた後に腰痛がしたのでまさかそれが原因なのだろうか? たかだかあれしきのことで。しかしながら、考えてみれば一時間散歩しただけで翌日寝込むくらいだから、可能性としてはあり得る。まああり得るなんて言っちゃえばなんでもあり得るのだが。

日中は相場のトレードも、最初に損切りした分を取り戻すのに四苦八苦。例によってあと1分、2分というところが待てない。なんでだろう? こうなるともう心理学的な側面の問題。結局、一日何もやっていないのと同じ結果に。要するに一言でいうと朝三暮四なのだ。この辺が平然と出来る日が実に少ない。っていうかほとんどない。むしろ手探りでやっていた始めたばかりのころの方がまだ耐えられていたのはなんでだろう?

母の(現在の)顔を覚えるために昨日撮った写真を何度も見る。しかしそれは写真の顔を覚えるのであって、それを手がかりに今現在の母の顔を脳内で構築するところまで至っていない。

寝過ぎたことといい、何かが足りないような気がする。それが何かがよく分からない。例によって長い夢を見て、夢の中で行き先の違うバスに乗ってしまい例によって迷う。迷う夢ばかりを見る。一日が終わるころになって、今日は何を成し得たかと思うと何もない。

そういえば今朝(といっても厳密には朝ではないけれど)の珈琲がやたらと美味しかった。いつもと同じように淹れているのに。夜も同じように淹れたつもりだったが、お湯の温度が高いと全然味が違う。淹れてから冷めればいいという問題ではない。沸騰した湯では駄目だ。なんかで珈琲は70度ぐらいのお湯で淹れるのがいいというのを見た気がするが、どうやらまんざら外れてはいないようだ。なんだかんだ、18歳のころから珈琲を淹れているが、ここまで温度に気を使ったことはなかった。

明日は4時に精神科の予約が入っていて、5時半にACLのシドニーFC対鹿島のキックオフ。なので、精神科が混んでなければいいのだが。

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