孤立と喪失

12月29日、月曜日。

着々と世界から孤立しつつある、という気がする。もしかしたら気のせいかもしれないし、そうであって欲しいとは思うのだが。

ずうっと昨日の日記のことが気になっていた。あんなこと書くんじゃなかったなあとうじうじと考えた。後半部分だけ削除しようかとも思った。だがもう手遅れだ。これでたぶん僕はまた何人かの友人を失うかあるいは不愉快な気分にさせてしまったのだろう。単に自分が気に入らないということをこんな場所に書くべきではなかったと反省したのだが、いまさら削除したりしたところで少なからぬ人(まあこの日記の読者は非常に少ないが)はもうこの日記を読んでいないだろうから、すべてはもう手遅れなのだなと思った。それに、いつかは書いてしまったことだろう。何度見ても考え直しても、気に入らないものは気にいらないしおかしいと思うものはおかしいのだから。宗教あるいはある種のドグマ、もしくはイデオロギーの類(この場合は神秘主義だが)にハマっている人をいくら批判したり痛罵しても、当の本人はまったく聞く耳を持たないだろうし気にも留めないだろう。それがハマる、盲信するということだから。だから本質的にあんなことを書いてもまったく意味はなく、ただの憂さ晴らしに過ぎないのだ。そして書いた当人である僕自身にとってメリットは何もなく、ただデメリットしか残らない。残念でした。僕はただ自分自身の中にくすぶっていたものを吐き出したに過ぎない。それで何か爽快感でもあるなら別だが、嫌な感じが残っただけだった。

こうして僕はいろんなものを失っていく。

いつもなら電話に出る幾人かの人間に繋がらないのもそういった喪失の一環だと思っていた。しかしヨウタロウが電話に出ないのはどうやら紅白に出る準備をしているからのようだ。と、本日紅白の出場歌手一覧を見て思った。

有難いことに今日も雪は降らなかった。何度寝かして9時過ぎに起き、今日も業務に行き、今日もツイていなかった。本日は映画を見ておらず、代わりに本を読んだ。夕方台所で本を読んでいると胃の辺りが重くなって気分が悪くなり、またテーブルに突っ伏して少し寝てしまった。恐らく遅い昼食後に食べたポテトチップスのせいだと思う。お蔭でちっとも食欲がなく腹が空かない。

日が暮れてから今日も母のところに行く。恐らく世界で今僕を必要としているのは母ただ一人だけだから。しかしながらたった一人でも自分を必要としてくれる人間が存在することに感謝したくなる。

夜はYouTubeでJim O’Rourkeのアルバムを3枚立て続けに聴きながら本を読む。執拗な反復、果てしない継続、断片的な分かりやすさと総体的な不可解さと曖昧さ。ラリってでもいないとかなりヘビーではあるがどこか懐かしく、学生時代のロック喫茶や深夜喫茶を思い出す。

年内は相場をやらないと宣言したのだが、どうやら欧米では今日から実質的に年明けになるというので一応指値だけしておいたら夜になって忘れたころにひとつ成立して少しプラスになった。

というわけで、ニック・ホーンビィ「ア・ロング・ウェイ・ダウン」読了。4人が代わる代わる独白するというスタイルのせいか、いささか饒舌に過ぎた感。それと訳のせいかはしゃぎ過ぎに思えるし彼の作品としては少しユーモアの方向性がずれている気が。もう少し一貫性が欲しかった。

そういえば業務の帰りに郵便局に寄ろうと思ったら駐車場が一杯で諦めた。そんなわけでいまだに年賀状を出せていない。

このところ、毎晩梅酒を飲んで酔っ払っている。これを書いている今もそう。不思議なことに、ビールひと口飲んだだけで真っ赤になる筈の僕が、真っ赤にならない。何事も慣れということなのか。ということは、いつかこの孤独にも慣れるのか。


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