痛み

朝起きて階下に行ったら、カーテンもブラインドも閉まっていて変だなと思い、母の部屋に行ってみるとパジャマの上を脱いで上半身下着で寝ていた。それを見て僕はキレてしまった。たぶん、怖かったのだと思う。僕は母を起こして散々怒鳴り散らした。その後も母は上の下着を脱いだり着たり、挙句の果てには2枚重ねて着たり、言っていることも要領をまったく得ない。意味不明だ。

どうしたらいいのか皆目分からなかった。入院時の調子に戻ってしまったと思った。このままで冬を迎えたら母は風邪をひいてしまうだろうし、肺炎になって死ぬかも知れない。それを僕は寝ないで様子を見続けるなんてことは出来ない。もしかしたらそれが面倒だという気持ちもどこかにあったのだろうか。とにかく、このままではまた入院させるしかないとそのときは思った。朝迎えに来る予定の介護施設に電話して事情を話し、それから精神病院へ電話して相談した。担当医はいたのだが電話では相談に乗れないとのことだった。そのうち介護施設の迎えが来た。結局母は行くと言ってデイサービスに行った。

統合失調症という病気はホントに悲惨だなと思う。もちろん、僕の対応が間違っていたことは分かっている。僕は母を抱き締めるべきだったのだ。だが、デイサービスから帰っても母の調子は変わらず、風呂に入っている間も僕は大声を張り上げてしまった。物凄いストレスだ。こういった怒りはなかなか抑えようがない。まるで意図的にはぐらかされているような気がして、途轍もなくいらいらする。それを抑えるのは容易ではない。努めて小さな声で囁くように話すしかない。前提として、ある種の諦念が必要だ。つまり、最初からすべてを受け入れなくてはならない。それが出来る日と、たまに今日のように出来ない日がある。

朝の出来事であまりにもストレスで疲れ、業務後に3時間昼寝してしまった。一日の中で気持ちが波のように上下する。途方もなく疲れる。頭痛がしてくる。だが僕はすべてを受け入れ、母と生きていかなければならない。結局のところ、日々目まぐるしく変わる母の状態に僕は右往左往している。振り回されている。僕が母に怒鳴るとき、僕はホントに怖いのだ。不安なのだ。

デイサービスに行っている6時間あまりの間、母は特に奇矯な行動はしなかったようだ。そうすると、まるで母は僕に対して意図的に奇矯な言動をしているのではないかと勘繰りたくなる。いつの間にか、僕は疑心暗鬼と被害妄想に捕らわれてしまっている。

この毎日は本当に疲れる。僕はまだたぶん、覚悟が出来ていないのかもしれない。もしくは、どこか割り切れていないのかもしれない。自分自身も含めて、格闘のような日々。

横山秀夫「クライマーズ・ハイ」は読み終わり、別記事としてこの下に書いておいた。今まで本を読んだ感想もごっちゃになってカテゴリー分けしていなかったので。そのうち本の感想だけ別ブログ化するかもしれない。先日借りたラクサバのサーバに、WordPressもMovable Typeもインストールしてあるから、Movable Typeはブログを複数個作れるので、fragmentsやらmyfm(音楽紹介)やら本の感想やらはそちらに別個でまとめようかと思っている。といってもこの調子だから、いつになるやら分からないが。

先日10ヶ月振りに弾いたものをCubaseに移してミックスしてみたが、とても人様に聴かせられるようなものではなかった。

何故か9月のアクセスは物凄く多かったのだけれど、月が替わって10月になり、途端にアクセスが極端に減った。こんな陰鬱な日記ばかり書いているのだから当たり前なのか。

煙草1本吸ったら眩暈。今日の煙草は19本。楽天の田中がとうとう開幕23連勝、昨シーズンから27連勝。どこまでいくのだろうか。

眩暈のせいでちょっと気分が悪い。明日の朝、母はちゃんとパジャマを着て寝ているだろうか。新たに読み始めたのは大江健三郎「個人的な体験」。


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