白い表紙

9月3日、火曜日。

母の退院が今週の金曜日、6日に決まった。3時に特養の職員、母の主治医、リハビリ担当の医師が母の病室に集まって現況とリハビリの方向を打ち合わせ。今のところ母は骨折した足の痛みも訴えておらず、立つのに苦労するものの介助でポータブルトイレを使うことはできる。リハビリは特に通院をしなくても特養でできるということになり、退院が決まった。手術前は結構痛がっていた骨折箇所だが、そう言われれば最近は痛がらず、思いのほか順調に来ているようだ。正直なところ、母にとって病院よりも特養の方がいいかとなるとどっちもどっちなのだが、自分の都合だけで言えば病院への往復は1時間以上かかるので、うちから車で3分の特養に移った方が助かることは助かる。今日も母は特養の職員を見て笑顔を浮かべた。

それはともかく、昨夜特に遅く寝たというわけでもないのに、今日もまた昨日とほぼ同じ11時16分に起きた。というかそこまで寝てしまった。睡眠時間9時間。なんでこんなに寝るのか。で、毎日どこか嫌な後味の夢を見る。

夢の中でどういう立ち位置の存在かは分からないが、とにかく一人の女性の名前を覚えなければならないのだが覚えられない。何故か夢の中で母は喫茶店を経営しており、そこで働く外国人ウェイターと話す。件の女性の名前を思い出そうと雑誌をめくって名前を探すのだが、その雑誌は何故か左開きで表紙が真っ白なデザインだった。それだけの夢なのだが、要するに肝心なことを覚えられないということで上手くいかないという思いで目が覚める。簡単に言えばここ三日ばかりの夢はすべて上手くいかない夢なのだった。所詮夢などというものは唐突に場面が切り替わり支離滅裂なものなのだが、どうもそれをネガティブな暗示のように思ってしまうのだ。考えてみると素晴らしいカタルシスのある夢を見ることなどほとんどない。夢は目が覚めたところで終わってしまうものだから。

一概に夢の印象ばかりではないのだが、もう少し頑張らなければならないという焦燥感は常にある。よって病院に行く前に相場のポジションをそれなりに持って、母の病室でスマホで利確、なんてことをやっていたのだが、どうしても中途半端になるのは否めない。病院から帰宅後の夕方もポジションを取ったがこれまたすぐに利確してしまった。相場のチャート、レートをずっと見れているわけでもないので、どうしても切れ切れになる。夜の指標時はチャートを見ていたが、様子見に徹する。総じてチャートを見ている時間が短く、集中力が持続しない。日中に関しては母が入院している間は致し方ないのだが、夜のモチベーションが低いのが気になる。

それはそれとして、高野和明「13階段」をアマゾンで買おうかどうしようか迷っていたのだが、試しにこの日記で検索をかけたところ7年前に読んでいたことが判明。うむむ。

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