1986

5月2日、木曜日。

長い長い夢を見た。夢の中で、元妻は六本木の風俗に勤めていた。夢の習いで僕は六本木で道に迷った。夢の中の六本木には六本木通りも外苑東通りも存在しなかったのだ。それからバスで実家に帰るのだが、バスの中は隣に座った女の子とナニをしたりと無茶苦茶なことになり、深夜に帰宅すると父と母になんで遅くなったのか、なんで会社を休むことになったのか説明しなければならなかった。そして、いまだかつて存在したことのない姉にこれこれこういうわけでこれからは毎月これだけの出費がかさむと言われて頭を抱えた……。

姉って誰だ?

朝、特養からの電話で起こされた。母が昨日の夜から蕁麻疹が出たので特養のかかりつけの医者に連れて行くという。その後もう一度電話があって、ステロイドのプレドニンが処方されたと聞いてびっくり。プレドニンは抗がん剤のひとつとして自分がかつて飲んでいたので。飲んで数日後に副作用で途轍もなくだるくなる。あとでググってみると、抗アレルギー剤として処方されることもあるようだし、母が処方されたのは最低量だった。

夜、することがなくなってなんとなくYouTubeで自分が業界の現場に入った1986年にレコーディングした曲の動画を何曲か見てみた。この年は最初にレコーディングした南野陽子のシングル(スケバン刑事の主題歌)がそこそこヒットし、それから1986オメガトライブの「君は1000%」がヒットして、そこから連鎖反応的に少年隊の「デカメロン伝説」荻野目洋子「六本木純情派」と立て続けにヒットしてラッキーな年だった。あっという間に新川は売れっ子のアレンジャーとなり、マネージャーとしての僕の仕事は仕事を取ってくることよりも仕事を断ることがメインになった。「君は1000%」はI泉さんとの最初の仕事だったのでことに印象深い。あれからもう33年になるのか……。1989年、つまり平成元年には新川は雲母社を辞めていたので、カルロスに最後に会ったのは1988年ということになる。高輪のプリンスホテルだった。ひとり名前を思い出せなくて古いアドレス帳を開いてみると、懐かしい名前がぼろぼろと出てくる。そういえばこういう人いたなあという人たち。みんなどうしているんだろうか。亡くなってしまった人も何人かいる。というか結構いる。つまり、若くして亡くなった人がそれだけ多いということだ。

1986年。僕は毎日必死だった。自分でスケジュールを入れていたのでしょうがないが休みは月に二日あるかないかだった。今でいうと完全に過労死レベル。しかし、考えてみれば今でも必死なのは同じなのだった。いつでも、どんなときでも僕は必死だった。それがどんなに愚かしいときであっても。そして、それはたぶんそれだけ自分が愚かだという証左なのだろう。いついかなるときであっても、賢く生きることとは無縁だった。正直な話、上手に生きられる人がうらやましい。

そういえば今日はワイヤレスマウスをアマゾンで衝動買いしてしまった。ワイヤレスのマウス、2つ持ってるのに。

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