アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

2月9日、土曜日。

ハナから何の予定もない土曜日、今日は6日ぶりに母に会えただけでもありがたいと思わなければ。東京や千葉では雪が降ったらしいが、山形のここではちょっと雪がちらついた程度。

夜、アマゾンのプライムビデオでリドリー・スコット監督「ブレードランナー ファイナルカット」を見た。

初めて見るファイナルカット版ではラストのレイチェルと車で逃げるハッピーエンドがカットされており、そのせいもあって終始とてつもなく暗い。レプリカントの寿命が短いというのは、所詮寿命がある人間のメタファーである。いろんな意味で救いがない。デッドエンド感。こうやって改めて見ると、果たしてこれは巷で言われているほどの傑作なのだろうかという疑問を覚える。映像は終始ありとあらゆるガジェットで満たされているが、どこか決定的な何かが欠けている気がする。主要な登場人物はとても少なく、それ以外の町を歩く人々などは省略された記号のようだ。結局のところ、映画というものは尺の限界もあるので、すべてを語り尽くすことは難しいのかもしれない。リドリー・スコットはその分を映像に詰め込めるだけ詰め込んだ。たぶん最初に見る人はそれに圧倒されて終わるだろう。だがここでは背景を持つのはレプリカントだけで、人間の側にはそれがない。だからメタファーとしての劇を見ている感じが強い。それがなんかしらのアンバランスさをもたらしている。ディテイルにはこだわっているだけに。ここにあるのは80年代の人が考えた猥雑な未来。劇中はほとんど都市の一角だけで話が進む。それだけにリドリー・スコットにとっては蛇足だったラストの引きの映像(今回はカットされている)が唯一その外の世界を映して救いをもたらしていたのだが。思うに、40年後の未来は今とさして変わらないのではないか。そしてその変わらない部分こそが希望なのである。

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