アルジャーノンに花束を

1月6日、日曜日。

改めて、自分はハードボイルドに生きることはできないと今日気づいた。それどころか僕は人一倍感傷的な人間なのだった。ラヴェルのパヴァーヌのように、一見単調なようでいてどこか感傷的な人生。どのみち僕は感傷的な人生を感傷的に歩んでいる。

9時23分にアマゾンから本が届いて起きたものの、二度寝して10時48分起床。すると寝くじっていてまさしく首が回らない状態だった。外は予想に反して晴れていた。日中は今朝届いた相場の本をひたすら読んだ。ひとつには最近長時間読書をしていないということ、もうひとつはツイッターとかで短い文章に慣れてしまったことで、読み続けるのは一苦労だった。なので休み休み。それでも半日かけて夕方には読み終わった。読むのに挫けそうになっていた途中、業務を続けるべきなのかどうなのか行ってみるというアイディアが頭に浮かんだ。やってみてダメなら引退、みたいな。しかしその気持ちも宙ぶらりんなまま日は傾いて、日が暮れるころにはいつの間にか外は雪が本降りになっていた。

6時半ごろに母のところに行くと、母がKちゃん(町内のいとこ)が奥さんのMさんと一緒に来たというので、それは手帳に書いておくべきだとベッドの上半身を起こして手帳を渡して書かせた。すると母は和俊の和という字は書いたものの俊という字が書けずに手が止まってしまった。僕がにんべんをまず書いてと言ってもピンと来ないようだった。何度も失敗して先に進まないので、僕が昨日の欄に「俊」と例を書いてこれと同じように書いてと言ったのだが、それでも母はなかなか書けず、まず字がよく見えないのだという。それで眼鏡をかけさせたのだが、同じだという。なんとかかんとか、妙に歪んだ「俊」という字らしきものを書く。これでは奥さんの名前を漢字で書くのは無理だろうなと思って、ひらがなでもいいからと僕が言うと、不思議なことに時間はかかったものの真由美という名前を漢字で書いた。名前に続いていつものように「きてくれた」とひらがなで書くように言ったのだが、「き」という字すら書けなくて完全に手が止まってしまった。そして、驚いたことに母はひらがなを忘れてしまったと言う。

しょうがないので手帳はそれでしまって、僕はなんだかすっかり哀しい気分になりそうだったが、ほとんどひらがなで書いてあるピノキオの絵本を開いて母と一緒に読んだ。それまで、なんでこんな絵本がここにあるのだろうと不思議に思っていた。たどたどしいスピードで母は5ページぐらい音読した。僕はいたたまれなくなって、今日はこの辺にして続きは明日読もうと言った。いつのころからか、母は何を訊ねても「わがんね(分からない)」と言うようになった。そして、いろんなことをほとんど忘れたのだという。毎日来ているのに、僕は何故そんなことに今日まで気づかなかったのだろう。僕のことを忘れないでくれと母に言ったのは、もしかしたら母はそう遠くない未来に僕のことすら忘れてしまうのではないかと思ったから。ダニエル・キイスが書いたアルジャーノンみたいに。

帰るとき、僕は少し泣いた。母がそれに気づいたかどうかは分からない。年が明けて初めて流す涙だった。駐車場で暖機運転をしながら煙草を吸った。亡くなった父のことを考えた。僕は毎朝仏壇の父に母のことをお願いしているのだ。父はその生涯を通して、どんなときも、いついかなるときも必ず僕を助けてくれた。父が僕を助けてくれなかったことなどただの一度もないのだ。母がどうか僕のことを忘れないように、そのことだけを願った。

そのまま降りしきる雪の中を業務の店まで行った。夜行くのはたぶん初めてだ。一応儀礼的に今まで打った台の釘を確認すると、予想通り好転はしていなかった。いずれにせよ、僕は車のエンジンをかけっ放しだった。もう僕は業務から身を引くつもりだった。カウンターに行って貯玉を全部交換した。1万9千円とちょっとだった。帰り道にコンビニに寄って、それを口座に入金した。長いこと、本当に長いこと業務でじたばたした。紆余曲折があるロング・アンド・ワインディング・ロードだった。だがそれももうさよならだ。Say goodbye to Hollywood.

雪はまだ止まない。

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