続き

11月16日、金曜日。

今日は昨日ではないが、一応昨日の続きではある。

で、さっきちょっとやってみたら、ピックを持ち替えて人差指でタッピングするの、なんのことはない、できた。いつも中指でやっているのでてっきりできないものと思っていたのだが。たまたまYouTubeでスティーヴ・ルカサーを見たら彼も中指でタッピングしていた。要するになんでもいいのだ。いまだにチキン・ピッキングができないので練習してみるものの、いくらやってもできない。このところずっとピッキングで悩んでいるけれど、結局のところ人によって千差万別、どうでもいいっちゃどうでもいいことだ。別にヘヴィメタルを弾く必要があるわけじゃなし。ただしピッキングが恐ろしく下手なことには変わりはないので、当分はCのスケールだけひたすら練習しようと思っている。こんなこと、学生時代にもやったことがないが。

昨日の続きなのはそれだけじゃなくて、今日もやっぱりトレードで目一杯ポジションを持ったときには粘れない。逃げることばかり考える。ただし、今日もまた一度は目一杯ポジションを持つことができたので、それだけでよしとする。

今日は昼間四日ぶりに業務少々。二度STで当たったものの最初はスルー、次は3連だが4ラウンドのみと物凄い中途半端なツキというか、これはダメってことだなと即諦めて帰る。

というわけで親善試合、日本 1-1 ベネズエラ。渋滞で選手の到着がぎりぎりになって、それが一番スリリングだったという。森保ジャパン、簡単に言うと前線の四人がすべてっぽい。後半前線の四人を全員入れ替えた途端に物凄い退屈な試合に。見るモチベーションもがた落ち。今のところ一番替えが効かないのは大迫。鈴木優磨が代表でどれだけできるか見てみたかったが。そこそこやれそうな気はするのだが。杉本健勇はウドの大木っぽいし、北川はボールがないときの動き出しが足りない感。そんなわけで試合は見ている分には尻すぼみな感じが。かといって親善試合で前の四人を90分引っ張るわけにはいかないんだろうけど。

またこんな時間になってしまった。夜はひたすらギターの練習。っていうか、スケールを弾いているだけ。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

衝撃の事実

11月15日、木曜日。

あ、小田朋美のペリスコープのライブ配信見てたらこんな時間になってしまった……。

今日は何かと慌ただしく、それというのも今日は15日で隣組長として町内会費を集めなければならず、それにごみが納戸の床一杯になってしまい、いい加減ごみ処理場に持って行かなければならぬ。なおかつその合間に相場のトレードもせねばならぬ。

昼過ぎに町報を配りながら回ると3軒留守だった。なので後は夕方回ることにしてひとまず大量のごみを車に積んでゴミ処理場へ。帰宅後相場。今日はなけなしの勇気を振り絞って二度も目一杯ショート(売り)ポジションを持ったのだが、まずドル円はちびって微損で撤退、これはしかしそのまま持っていれば70ピップスぐらいのプラスになっていた。で、次にユーロドルのショートポジションを目一杯持ったのだがまたしてもビビって建値で決済、これはなんとそのまま持っていたら150ピップス以上のプラスになっていた。まあなんていうか、逃げられるときに逃げないで結果損切りというのが一番悔しいのである意味仕方がないのだけれども、それにしても勇気がない。

6時半過ぎに母のところへ。今日の母はほとんど喋らなかったが、足が痛いと言っていた。僕にはどうすることもできず、途中から母が僕の手を握ったので帰るまで握っていることぐらいしかできなかった。

夕食後の夜。日中のトレードがあまりにも残念だったので、今日はもう少し頑張ろうと10時ごろまでトレード少々。その後YouTubeで成毛茂の動画を見て唖然。先日もピッキングのやり方を検討する云々と書いたことがあったけど、改めて見ると親指と人差し指の屈伸でやるピッキング(チキン)が全然できないということに気づく。まったくもっていまさらだが、ピッキングの基本ができていないという衝撃の事実に気づいたのだった。元々ピッキングは苦手だったが、高校のときからピックで弾き始め、学生時代はサークル内でなんだかんだバンドで目立っていろいろ人のバックでもギター弾いたりしたんだけれども、この歳になって気づくとは。呆然。どうりで速弾きができないわけである。これはイチから練習せねば。しかしなんだなあ、なんでこんなにチキンができないかというと、我流で何十年と来てしまったのである意味自分のピッキングスタイルというものが出来上がってしまっているのだった。もう自分のピッキングフォームというものがあって。そういえばみんなはタッピングをピックを持ち替えて人差指でやっているが、僕は中指(と薬指)でしかできない。そもそもタッピング自体が苦手なんだけれども。

そんなわけでチキンで弾いてみようと思うのだけれど、ピックだけならそれなりにできるがギターを持った途端にフォームが微動だにしない。これはある意味凄いといえば凄いが……。しかしながらみんなができていることができないというのは。なんつーか、例えばスウィープとかはそういう名前を知る前から普通にやっていたんだけれども。いやはやなんとも。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

痛み

11月14日、水曜日。

なんだかよく分からないのだが、風呂上がりのさっきからあちこちが痛くなる。まず最初に右手の指全部が痛くなり、腱鞘炎っぽい?とか思ったが治まったと思ったら今度は左手の指全部が痛くなり、なんだこれと思っていたら右足の太腿に痛みが走り、一周回った形でまた左手の指が強張る感じで痛い。いててて。なんだろう、これ? ストレス? 今日一日はさしてストレスが溜まる一日だったとも思えないが。

というところでトイレに立ったらやっぱり右足の太腿に痛みが。五十肩の左肩は相変わらず痛いし、これではまるで満身創痍。

9時23分起床で睡眠時間は8時間に若干足りず、昼ごろに昼寝。今日は朝台所に行ったらとにかく寒かった。室温が13度しかなかった。日中は昼寝を挟んで相場のトレード、午後結構いいポジションが取れたがまたしてもあと1分というところが我慢できず。それでも40ピップス取れたのだからよしとしなければならないのだろう。ただ最近はここからもう一度相場に参加する気力がない。よって母のところに早めに面会に行き、帰りがけにスーパーに寄って買い物。夕食後珈琲の生豆を煎ってから茶の間のコタツでW杯のベルギー戦を後半の日本が2点リードしたところまで見る。こうしてみると、近ごろはどうも夜の集中力に欠ける。毎日夜になるとリタイアしている感。これは体力の問題なのかそれともメンタルなのか。往々にしてそういうときは両方だが。

うーむ、あちこちが痛くなるのもいろんな意味で身体もメンタルもなまっているのかな。体力もそうだが頑張る気力がない。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

病院日

11月13日、火曜日。

7時半にアラームで起きた。ちなみに昨夜は1時半ごろに寝たと思う。なので、最近の習いでいくと睡眠が2時間足りない。当然のように眠い。今日は母の県立病院の予約が8時半だが、最初が点滴だと分かっているので、大体9時までに着けばいいかという目安で起きた。ところが途中工事渋滞で結局病院に着いたのは9時を回っていた。しかし思っていたように9時半過ぎまで点滴で、造影剤を使う同意書を書くのも間に合った。それにしても予約が8時半というのは随分早いが、恐らく午前中に終わらせるためだろうとなんとなく思っていた。1時間点滴して、それからCTを撮って、その後診察して大体昼ぐらいではないかと。とにかく午前中はあまりにも眠くてもうぐらぐら。舟を漕ぎそうになる。予定通りCTは午前中に終わったものの、医者がその結果を踏まえて手術することも検討しているので、もし手術で静脈が回復した場合に心臓に極端に負担がかかる可能性があるから循環器内科で心臓の検査を受けてくれと。そんなわけで昼ごろから一階の内科に降りて診察の順番を待つがこれが新患扱いで待ち時間が長い。延々と待つ。ひたすら眠い。ようやく診察が回ってくると、驚いたことに5年前に最初に母のむくみを診てもらった医者だった。当時は内科の血液担当だったはず。それで、心臓のエコーを撮ろうということになり、一階奥で心臓のエコー検査。それが終わると一旦内科の分だけ会計をせよというのでまた待つ。眠い。ようやく会計を済ませてまた二階の心臓血管外科に。処置室で今度は左足の傷の手当て。もうこのころには3時を回っていた。昼食を摂る時間もないので空腹だし眠いし。しかし母は朝食すら摂っていないのだ。ついてきた看護師も同様に昼食を摂っていない。傷の手当てがなんとか終わって、ようやく特養に迎えに来てもらうように看護師が連絡。また小一時間待たなければならない。看護師は先に帰ってもいいですよと言うのだが、なんだかそれも申し訳ないので迎えが来るまで一階のロビーで付き合う。病院内のスタバでラテを買って、駐車場の車の中で煙草を一服しようかなと思っていたところ、それまで水を飲むのも嫌がっていた母が柔らかいパンを食べたいというので、二階の売店に行って買ってくる。二つ買って、ひとつは看護師の子にあげた。自分はラテを飲みながら煙草を一服できればいいやと思っていたのだが、そのタイミングすらなかった。案の定工事渋滞で迎えの車が来たのはもう4時になろうとするころだった。そんなわけで、午前中で終わるどころか、結局病院に7時間もいたことになる。その間吸った煙草は2本。昼食抜き。で、ひたすら眠い。帰り道には日が暮れてきた。なんのことはない、病院で一日が終わってしまった。次の予約は再来週の火曜日、9時半。うむむ。

帰宅すると5時近く、もう日は落ちていた。眠いのもそうだが昼食を食べていない。しかしあまりにも疲れ果てていてこれから夕飯の支度をする気にもなれず、またしても閉店間際の蕎麦屋に行って早めの夕食にする。

結局、終日寝不足なのに昼寝するタイミングすらなかった。相場のトレードをスキャルピングで少々やってみるが、あまりにも疲れていて続かない。疲れと眠気が澱のように全身に貼りついている。肩は凝り過ぎて五十肩の左肩が痛い。8時ごろまで台所で珈琲の生豆を煎って、それから何かをやる気力はもう残っておらず、書斎のソファに寝そべってタブレットでAbemaTVで麻雀を見る。最近何故か麻雀を「見る」というのが暇つぶしになってる。だが麻雀牌を握ったのはもう20年以上前だし、いまだに点数すら数えられない。

とまあそんなわけだから、先ほどからずっといつ寝るかということばかり考えている。これで早寝してしまうとまた早起きすることになり、そうすると不本意ながら朝型の生活になってしまうではないか。いやまあ、考えてみればこれから冬になると朝雪かきをしなければならなくなるからむしろそうした方がいいのかもしれないが。

何はともあれ疲れた。もう本当に、泥のように疲れた。しかし看護師は僕よりも早く、朝7時15分に特養を出て、しかも特養に戻ってもまだ仕事は終わらなかっただろう。つまりは普通に仕事をするということはそういうことでもあるのだ。考えてみれば昔は、スタジオに最長で21時間いたこともある。ああ俺はなんて堕落してしまったのだろう。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

Screwed up

11月12日、月曜日。

今日は相場でへまをやった。昨日の習いで行くと今日は禍福の「禍」の順番なのかななどとも思ったが、別に不運でも不幸でもなく、ただ単にへまをやっただけだ。ひとつは単に迂闊だっただけのボーンヘッド、もうひとつは例によっての取り損ね。これだけへまを重ねて結果一応プラスだったのだから、不運というよりもむしろ幸運だったのかもしれない。

今日はまだもうひとつ仕事が残っている。結構な大仕事だ。それは今すぐに寝るということである。というのも、明日は朝8時半から県立中央病院で母が点滴を受けてCT検査を受けるので、自分的には尋常じゃない早起きをせねばならない。何しろこの一週間、10時前に起きたことがない。多少遅れることは刷り込み済みだが、少なくともCT検査の前までには到着しなければならない。造影剤の同意書を書かなければならないから。一応7時半と7時45分にアラームをセットしているので、起きることは起きると思うのだが。

もう0時を回っている。予定では0時に寝る予定だったのだが、またしても迂闊なことに昨夜から見始めたデヴィッド・フィンチャー監督「セブン」をつい最後まで見てしまった。見るのが3回目なのに。またしてもへまである。まあとりあえずは1時半までに寝れれば上等という感じか。そんなわけで飲めない寝酒をもう飲み始めているのだが果たして。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

禍福

11月11日、日曜日。

昨夜はあれから、茶の間のコタツで手に汗握りながらACL決勝第2戦のペルセポリス対鹿島の試合を見た。カクテル光線の下、10万人のブブゼラの音で何も聞こえない中でプレーする選手たちを見て、改めてプロのサッカー選手のメンタルって凄いなと思った。GKのスンテがとにかく凄かった。あのプレッシャーの中でことごとく止める。伊達にACLを2度取っているわけじゃないんだなと。試合はまったくもって鹿島らしい試合運びでスコアレスで終わらせて優勝。しかし、最後の最後まで安心しては見ていられなかった。アディショナルタイムが残り15秒になってようやく、さすがに15秒で2点は入らないだろうと思った次第。深夜に絶叫しまくり。とうとうACLが取れた。感無量。大会MVPは鈴木優磨になったが、個人的には前述のスンテ、あるいは決勝第1戦で顔面ブロックしたスンヒョン(あれですべてが変わったと思う)、もしくは5得点したセルジーニョ辺りでもよかったかなと思う。スンテとスンヒョンにはいくら感謝しても足りないくらい。

そんなわけで深夜2時過ぎに大喜びしていたんだけれども、一方で母のことを考えると自分だけがこんな風に幸せでいいのだろうかという思いもまたあった。

なかなか試合の興奮冷めやらず、3時半ごろに寝たので当然のように11時半起床。本日は4時半に精神科の予約があるので、その前に母のところに行くにしても時間が余る。さてどうしようかと思いながらひとまず時間潰しに業務に行ってみる。すると、打ち始めて2回転だか3回転で確変が当たり6連チャンというあまりに嘘くさい展開になったので即ヤメ(なんだか気味が悪いくらいツイているので)、そのまま母のところに面会に行った。

すると、今日の母はまったくもってフツーーーーの顔をしていた。喋る言葉もはっきりしていた。昨日点滴を終えて出てきた母は明らかに目つきがおかしかったので、一夜明けてそれがまるで嘘のように、ちょうどいびきをかいてひたすら寝続けていたここ三日ばかりの前の状態に戻っていた。ことここに至って、ようやくほっとした。昨夜0時を境に、物事はなんだか嘘くさいぐらいに好転していた。10日から11日になった途端にいいことづくめ。禍福はあざなえる縄の如しというが、それにしても……。不思議なことに、母は昨日のことをまったく覚えていなかった。救急車に乗ったことも病院で点滴したこともまるっきり覚えていなかった。同じく不思議なことに、三日前に弟が来たことは何故か覚えていた(だが昨日弟が来たことは覚えていない)。

弟に電話をして母と話をさせながら、なんだか万事がすべていい方向に向かっているような気すらした。しかしながら、肝心の母の左足のむくみと傷はまったくよくなっていないのだ。もろ手を挙げて喜べるわけではない。

4時半ちょっと前に精神科に行くと、待合室では誰も待っていなかった。なんだか上手く行く日はなんでも上手くいくのかな、などと思った。それでも誰も待っていないのに30分近く待ったのだけれど。

ともあれ、昨夜0時からの不思議な流れを追ってみるに、人生悪いことばかりがひたすら続くわけではないのだな、という風には思った。とはいうものの、まだまだ僕は半信半疑である。根がどちらかというとペシミストだから。少なくともオプティミストではない。せめて昨日の夕方の時点で母が今日ぐらいの感じになっていれば、鹿島が優勝したときにもっと喜べたんだがなと。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

霹靂

11月10日、土曜日。

今日、母が倒れた。

昼過ぎに特養から電話がかかってきて、母が昼食後に意識を失って冷や汗が凄いというので、救急車を呼んでもいいかということだった。車で特養の母の部屋に行くと、救急隊員たちがストレッチャーに母を乗せるところだった。気のせいか、母の髪が一気に白髪になったように見えた。救急車に乗るころには母の血圧は50台まで下がった。どこの病院に運ぶかということで、心臓血管外科にかかっている県立中央病院に運んでもらうことにした。僕も救急車に同乗するように言われたが、帰りのこともあるので自分の車で病院に向かった。

バイパスを走りながら、ありとあらゆる最悪の想像をした。亡父に母を助けてくれるよう何度もお願いした。病院の救急救命センターに着いたときには母はもう診察室の中だった。待合室で待っていると、付き添ってくれた看護師が出てきた。心電図やCTなどの検査をしているという。しばらく待つ。一体どれぐらい待っただろうか、診察室にようやく呼ばれて入ると、当番医から検査の結果心臓にも脳にも病状はないということだった。感冒症状(つまり風邪)と脱水症状が見られるので、そういうことが複合して起きたのではないかと。血圧は130台に戻ったという。それを聞いてほっとした。母は点滴を受けていた。入院はせずに点滴が終わったら帰っていいということだった。母はちょっと話しかけてみても具合が悪そうだった。むくんでいる足が痛いと言う。点滴に1・2時間かかるというので後はひたすら待った。病院に向かうときに電話をしておいた弟が仙台からやってきた。病院内のスタバがやっているというので、ラテを買ってきて駐車場の車の中で煙草を一服した。戻って10分後ぐらいに母は車椅子に乗って出てきた。すっかり憔悴しているように見える。話しかけても目つきが少し変だ。精神的にも調子が悪くなっているようだった。母を特養の車に乗せると、外はもう日が翳っていた。そして、帰り道にはもう真っ暗になった。

帰宅したときにはすっかり疲れ果てていた。昼食を食べる時間がなかったので、5時半ごろに蕎麦屋に行って早めの夕食を摂った。今日は起きたのが11時過ぎだったのに、肩が尋常じゃなく凝っていることもあって疲労から8時ごろにはもう眠くなった。ところが今日は(というか明日はというか)、深夜0時にACLの決勝2ndレグ、ペルセポリス対鹿島の試合があるのだった。そんなわけで風呂に入って、決勝が始まる前にこの日記を書いている。

それにしてもまったく、今日がこんな日になるとは思わなかった。一夜明けてどんな日になるかなんて、その日になってみないと分からない。それにしても最近、気がつくと看護師の子と一緒に過ごす時間が多い。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

極私的センチメンタリズム

11月9日、金曜日。

大概の場合、センチメンタリズムは私的なものである。そして日記もまた、極私的なものだ。だからそこに客観性はそれほど必要ない。ときと場合にもよるが。もしくは書く目的にもよるが。

20年前、このサイトを立ち上げてちまちまとHTMLを書いて更新していたころは、それを読んで何百キロも遠くの人が自分に恋をするなんて想像もつかなかった。本の中にしか登場しないはずの人物からメールが届いたり、(僕以外の)誰もが知るバンドのギタリストからメールが届いたりするなんてことも想像できなかった。最初はグーグルなんてものはなく、検索エンジン(ヤフーぐらいしかなかった)は誰かの推薦がなければ登録できなかった。業界の人間に知られると嫌だからというので、わざわざヘッダーに検索ロボットを回避する一行を入れてたりした。つまり今でいうSEO対策とまったく逆のことをしていた。今でいうググって出てくる数なんてたかが知れていた。数えるほどしかなかった。だから自分と同じようにネット上にサイトを持っている人と繋がるのは結構簡単だった。メールをやりとりして電話で話したり実際に会ったり、住んでいるところが近い人とは一緒に食事をしたり、文章が上手いなあと思っていた京都のゲイの人に歌詞を頼んだりした。それは現在のように誰でも書けるブログが無数に存在しているのとは違って、ぽつんぽつんと存在する点と点を結ぶようなことだった。

そんなわけだから、神戸のケイが写真を送ってきたとき、なんでこの子はポーズを取っているんだろうと不思議に思ったものだ。僕はまだ、彼女が僕に恋をしていることを知らなかった。ケイはジノ・ヴァネリの「I Just Wanna Stop」のコードが知りたいとメールしてきた。だから譜面を書いてファックスで送ったのだった。いくら彼女の実家が東京だからといって、まさか神戸から用賀までやってくるとは思わなかった。そもそも彼女は人妻だった。

そんな風にして僕らの遠距離恋愛は始まったのだったが、当時はまだMDというメディアがあって、ある夏の日にケイが送ってくれたMDにこの曲が入っていた。

実際のところ、センチメンタリズムに浸ることなど簡単だ。なんかのスイッチを押せばそれでいい。今ならそれはマウスかスマホだ。

こんな風にして、クリックひとつで思い出すことができる。自分の代わりに、必ず誰かが覚えていてくれる。

————————————

母は今日特養のかかりつけの医者に診察してもらい、風邪と診断されたそうで、風邪薬と抗生剤が出たそうだが、風邪に抗生物質が効かないことはいまどき誰でも知っている。今日も母は見るからに具合悪そうで、食事もほとんど摂っていないし、水さえもなかなか飲もうとせず、ひたすら寝ていた。

そういえば昨日弟が持ってきた先日の甥っ子の結婚式での写真を見ると、僕は昔のようにがりがりに痩せておらず恰幅がよくなったものの、思ったほど見てくれは老け込んでいなかった。ただそれが実際そうなのか、それとも写真だからなのかは分からないし、多分にこの5年で自分は途轍もなく見た目が老け込んでしまったと思っていたせいかもしれない。

今日が昨日ではないように、今の僕は20年前の僕ではない。あなたが20年前のあなたではないように。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

Something, kinda love

11月8日、木曜日。

夜、久しぶりにビートルズを聴いた。日付が変わると同時に全世界同時発売でホワイトアルバムのスーパーデラックス版が出るというので、ホワイトアルバムの冒頭を少し。正直なところ、アルバムの1曲目が「バック・イン・ザ・USSR」ということも忘れていた。いつごろからビートルズを聴かなくなったのだろう? 確か20代の中頃までは、毎年大晦日に帰省するとアナログのベスト盤(赤い奴と青い奴)を全曲通して聴いていたものだ。いつしかその習慣もなくなってしまった。たぶん、ビートルズはイントロからエンディングまで全部知っている気になってしまったのだろう。

高校のとき、山形市内の名画座でビートルズ映画の三本立てをやっていて、入れ替えがなかったので二回し、つまり六本続けて見た。僕がビートルズを聴き始めたころ、ビートルズは既に解散していた。小学校まではほとんどクラシックしか聴いたことがなく、中学に入ってから何故かマカロニウエスタンのサントラ(つまりエンニオ・モリコーネ)を聴くようになり、その次に聴くようになったのがビートルズだった。最初はポール・マッカートニーが好きで、生まれて初めて買ったシングル盤もポールの「Live and Let Die」だった。それが気がつくとジョンの方が好きになっていた。たぶんこういう経緯は大方のファンに共通したものだろう。ジョンが射殺されたとき、僕はそれほどショックを受けなかった。世の中というのはそういうことが起こり得るものだと思っていた。三島由紀夫の割腹自殺も、岡田有希子の飛び降り自殺も、そういうことがあり得るのだと思った。むしろベルリンの壁が崩壊したときの方が不思議な感じがした。例えば9.11とか、にわかには信じ難いことも眼前で起こり得るのだ。それは東日本大震災も同じだ。結局のところ、現実というのは何でも起こり得るのだ。

—————————–

夢を見ていた。何の夢だったか。それほど悪い夢ではなかった。何か曲を作っている夢だったか。いずれにせよ10時過ぎに目が覚め、起きようと思って起きたら1時間ワープしていて11時15分だった。

朝食後、相場のトレードをしていると弟から電話がかかってきて、今日こちらに来るということだった。弟は先週末から今週はずっと休みを取っているらしい。2時過ぎに弟夫婦が仙台からやってきた。昨日作ったコタツが役に立った。弟夫婦は母に面会に行き、僕は煙草一本分遅れて合流した。すると母は寝ていた。弟夫婦が来ているからと母を起こすと何やら様子が変だった。まったく呂律が回らないし何を喋っているのか分からない。それに、母は目を開けて起きているのにいびきをかいていた。これは非常にまずい状況なのではないかと思った。一体全体、何がどうしたのか分からないが、何かよろしくないことが起こっている。先日病院に一緒に行った看護師がやってきて熱を計ると7度1分あった。昨日インフルエンザの予防接種をしたのでその影響ではないかという。いずれにせよ特養のかかりつけの医者は今日は休診日だという。母は相変わらず目を開けたまま大きないびきをかいている。最初に部屋に入ったときには横を向いていていびきをかいていなかったので、横を向けてみるといびきは少しましになった。弟夫婦は母を心配しながら仙台に帰っていった。僕も帰宅したが、母のことが気になってどうしようもなく、夜にもう一度見に行くことにした。スパゲッティを茹でて早めの夕食を済ませて6時半過ぎに行き、特養の職員からあれから熱が7度7分まで上がったということを聞く。部屋に入ると母は横を向いて眠っており、いびきはかいていなかった。僕は起こさないように黙ってベッドの脇に座っていたのだが、母が目を覚まし、喉が痛いという。やはりインフルエンザの予防接種が原因っぽい。前述の看護師がまた顔を出す。そのうち母は仰向けになって寝ると、また日中のような大きないびきをかいた。どうやら仰向けになるといびきが出るようだ。僕はじっとベッドの脇でスマホでニーチェを読んでいた。するとまた母は目を覚まし、いびきをかきながら何事が言うので聞いてみると「心配しなくていい」と言っていた。母はまた横を向いたがまだいびきをかいていた。しかしそれも次第に治まってきた。8時になると玄関が閉まるので、7時45分に特養を後にした。駐車場の車の中で、オロナミンCを飲んで煙草を一本吸った。夕方弟がLINEで母を心配していたので、様子を電話で知らせなければならないがなんだか気が重かった。帰宅後、台所で珈琲の生豆を煎り始めて、また煙草を一本吸ってから弟に電話した。

今日がこういう日になるとは、昨日は思ってもみなかった。つまり、明日がどういう日になるのかは明日になってみないと分からない。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

コタツ

11月7日、水曜日。

今日は茶の間のコタツを作った。若干早いかもだが、いまだに座布団が夏のままになってたし、どうせいずれ作らなければならないから。正直な話、弟とその家族を除けばもう何年もうちに上がる人なんて誰もいないんだけれども。茶の間の使用頻度自体、大画面のテレビを見るとき、つまりサッカーの試合を見るときぐらいしかない。最近はJリーグの試合はPC(DAZN)で見るので、代表の試合を見るときぐらいになってる。あとはACLとか。

せっかくコタツを作ったので、午後早速コタツで昼寝を試みたが、なんていうかそれほど快適とは言えなくて必ずしもコタツが昼寝に適しているとは思えない。で、学生時代にサークルの同級生のアパート(江戸川区の平井にあって1階はヤクザの事務所だった)に泊まったときにコタツで寝たことを思い出した。

10時4分起床と今週は似たり寄ったりの時間に起きている。で、相場で勝ち逃げして業務で負け逃げしているというところまで似てる。実際のところ業務に関してはハナから期待値がマイナスだと分かってるのでツキ次第というか単に手持ちの玉を打っているだけに過ぎない。とはいうものの、脳内で換金するとなんだか非常に無駄な行為を毎日やってる感はあり。しかしながらこのところ、東京時間のレートがあまり動かない時間をずっと相場のチャートを見て過ごすということができなくなってる。というか、前はなんでできていたのか。ポジションを持っていれば別だけれど、生来待つということが苦手であるので。

今日の母は僕がいる間ずっといびきをかいて寝ていた。その間、スマホでニーチェの「善悪の彼岸」を読んだ。ニーチェを読むのは実はこれが初めて。そういう意味でなかなか新鮮。これまで哲学書を読んで物凄く影響を受けたり感化されたことは一度もない。たぶんそれは自分の理解度があまりにも低いからだろう。自分はどちらかというと言葉に影響されやすい人間だとは思うのだが。いまだに電子書籍を読むということに慣れておらず、紙の本を読むよりも疲れるというか、どの程度読んだのか感覚的に掴みづらい。いずれにせよ、年齢とともに読解力は随分と落ちていると思う。つまらない、どうでもいいことは覚えているのだが。

カテゴリー: 未分類 | コメントする