wonder-ful world vol.2

「不思議なこと その2」

gambling awayに書こうかこっちに書こうか迷ったけど、こっちに書こうかな。

不思議なことと言えば90年の有馬記念。そうオグリキャップが勝った有馬記念である

恥ずかしながら、実は僕もあのレースを見て目頭を熱くした(というよりボロボロ泣いたに近いか)一人である。あのレースを見た直後は、「信じられないものを見た、奇跡を見た」と思ったのである。つまり世にも不思議なことが起きた、という印象である。これは少なくともその前年から競馬を見てきたひとなら、多かれ少なかれ感じたことではないだろうか。

有馬記念直前までの極度の不振、直線で馬群に沈むオグリキャップは、その全盛期の強さを知るものにとっては、それこそ「信じられないもの」であった。オグリキャップも怪物ではなく、やっぱり馬だった(当たり前か)ということを痛いほど再認識させられた。と同時に敗戦を重ねるかつての王者に、「かわいそう」という憐憫の声が数多く聞かれ、有馬記念出走時には、すでに燃え尽きてしまった馬を走らせるのは馬主のわがままという非難の声も多かった。(実際この馬主はウマ使いが荒かった。)

この直前までの過程を見てきたものにとっては、最後のレースで優勝を飾るというのはとてつもなく不思議なことに見えたのだ。あのレースに関しては、その後さまざまな分析がなされた。ひとつにはペースが異常に遅かった(確か同じ日の900万条件戦よりも勝ちタイムが遅かった)ことを取り上げて、盛りの過ぎたオグリキャップでも勝てる条件が揃ったということを述べる解説者も多かった。乗り替わった武豊のマジック(うーん)と書いた新聞もあった(大川慶次郎もそんなこと言ってたような)。一方では、強い馬が強い勝ち方をしただけ、というクールな見方もあった。そうなのよ。ものすごく簡単に言っちゃえば、その前まで調子が悪くて、その日は調子良かったんだもーン、とオグリキャップくんに言われればそれまでの話なのだ。だってそれぐらい強い馬だもの。要するに、そこまでの経過を見てなくて、あの日たまたま有馬記念だけ見たひとは、みんななんでウルウルしたり、興奮しまくってたりしたのか、それこそ不思議だったはず。あの日の「不思議」は僕も含めたオグリキャップを追いかけていた人々の主観の中に存在していて、それこそ主観の集大成みたいなものだったのだ。

というわけで長くなりそうなので、今回はこの辺で。不思議なことはまだまだある。

次回につづく。ちなみにメジロアルダンから買ってはずしました。

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