waiting

「待つ」

...

僕は待つことが何よりも苦手だ。ところが困ったことに僕はいつもなにかを待っているのだ。

刻限が決まっているものはまだマシだ。いや、マシでなどあるものか。例えば人と時間を決めて待ち合わせているとする。時間を一分でも過ぎようものなら、僕の心には既に疑念の芽が生え始めている。十分過ぎようものならあれこれ想像は膨らんでいく。なにかあったのだろうか。なにかアクシデントが。例えば電車に乗り遅れるとか、今まさに出ようというときに電話がなってそれが長引いているとか。はたまた時間通りかその前に来ると僕に待たされるとでも思ってわざと遅らせているのだろうか。二十分を過ぎ、三十分を過ぎるころには、僕のアタマは疑念が渦を巻いてフルスピードで回っている。なにかとんでもないことが起こったのではないか。彼もしくは彼女はちょっと遅れた分を取り戻そうと赤に変わったばかりの信号を走って渡ろうとして車にはねられたのではないだろうか。今頃は既に最寄の救急病院に救急車が到着したころで、あわただしく車輪付きのベッドを救急用の入り口から滑り込ませ、薄暗い廊下を走らせながら救急隊員が何事か専門用語で出血量だの骨折箇所だのを病院の人間に告げているところではないか。ちょうどERのように。そして一団が通り過ぎた後におもむろに白衣を着たエリック・ラ・サルが振り向いて空手のようなガッツポーズをしているのではないか。そして手術中のランプが赤く灯るのだ。いや、やっぱりそれは馬鹿げている。第一、あんな黒人の医者が居る病院など日本には無い筈だ。もしかしてあるのかも知れないがそれは滅多に無いことで、僕の待ち合わせている人間がその病院に入る確率はほとんど無いに等しい。そんなことはどうでもいいか。だいたい、彼もしくは彼女は果たして来るのだろうか。三十分遅れて連絡も無いというのは尋常でない。いや、もしかしたらそれぐらいは平気な人も居るのかも知れないが少なくとも僕にとっては尋常ではない。僕はすっぽかされたのか?実は自分でも気付かないうちになにか酷く気に障ることを云ってしまって傷付けてしまっていたとか。いや、それぐらいならいくら朴念仁の僕にも思い当たるフシがある筈だ。それより何より、そんなことを根に持っているのなら何故待ち合わせなどするのだ?もしかしたら僕をさんざん待たせて待ちぼうけさせることが目的なのだろうか?そんな途方もない悪意が僕の知らないうちに僕の周りを満たしていたのだろうか。果たしてこれ以上待つべきなのか、それとも帰ってしまうべきか。それも怒って帰るべきなのか。いや、果たして怒るべきなのかそれとも嘆くべきなのかもまだ判然としない。無闇に怒りを覚えて得することなど何も無い。とすると...つまり、いったい僕はどうすればいいのだ?

と云うぐらいに僕は待つのが苦手なのだが、これが期限が決まってないものだともっと始末が悪い。

たとえば電話だ。いつ来るか分からない電話。それを待つほどじれったいものはない。いつと決まっているわけではないから、どこまで待っていいものやら分からない。第一、そもそも来ると決まっているわけでもない。僕は気もそぞろだ。付けっぱなしのテレビもアタマに入らない。眉間に皺を寄せて深刻な顔で話すアナウンサーの伝えるニュースも耳に入らない。気を紛らわそうと淹れたコーヒーに口を付けながら、思わずちらと電話の方を見る。もちろんそれはうんともすんとも云わない。もうひと口啜ってはたと考える。こんなことは馬鹿げている。このコーヒーを飲み終わるまでに電話が来るなどと云う確率は一体どれぐらいなのだ?今晩かかってくるかどうか分からない。明日かも知れない。明後日かも、来週かも知れない。それより何よりもうかかって来ないかも知れない。何かのアクシデントが起こっているかも知れないし、第一相手はとうに僕のことなど念頭にないのかも知れない。それどころか忘れているかも知れない。はたまた明確な意志をもって、僕には二度と電話をすまいと悲壮なまでの決意をしたのかも知れない。ああ、馬鹿げている。こんなふうにじりじりと電話が鳴るのを待つのは。それ以前にこんなことを考えること自体が馬鹿げている。時間の無駄だし人生の無駄だ。いや、果たしてそうだろうか?何も待たない人生なんてそれこそ無駄ではないか。

気がつくと僕はまたちらと電話を見ているのだった。

やっぱり僕は待っているのだった。なにかが起こるのを。なにかがやってくるのを。そしてやっぱりあれこれ考えてしまうのだった。こんなふうに人は焦るのだ。そして僕は気を紛らわすためにもう一杯コーヒーを淹れながら、ちらと電話を横目で見るのだ。

written at 10th, apr, 2001

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