this year

「今年というもの」

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まだ幾日が残ってはいるものの、もういい加減今年というものを総括しても構わないだろう。総じて、今年は何もなかった、という印象だ。とにかく何も残らなかった。考えてみれば、今年はワールドカップという、サッカー好きにはもっとも堪らないイベントがあったのだが、それすらあっさり敗退したことで、何か遠い昔の出来事のように思える。

とにかく今年はツイていなかった。何かをいつも待っていて、結局その何かはいつも来ない、ということの繰り返しだったような気がする。僕は待つのは苦手だ。それが、特に今年の後半は、いつも何かを待っていたように思う。ということは、結局、僕は受身だったのだろうか? そうなのかもしれない。自分から動くことが何か億劫だった。もちろん、鬱病という病気のせいもある。今年は総じてよかったが、たまに不安定になったりもした。今年の後半は貧乏に悩まされっぱなしだったが、それで鬱屈するということはなかった。ということは、僕の鬱病は、トータルでは快方に向かっているのではないだろうか。

とにかく、終わってみれば、何も変わっていない、という一年だった。少し髪が伸びたぐらいだ。それと少しは老けたのかもしれない。僕はいたずらに歳をひとつ取ってしまったのだろうか? この一年というものが、僕の一生の中でどれだけの意味を持つものなのかはさっぱり分からない。ただの休暇のようなものだ。ある人に、それって悠々自適じゃないですか、と言われたが、そもそも貧乏で窮していること自体が悠々自適とは呼べないし、何より、退屈な時間が長かった。退屈な人生ほど退屈なものはない。その意味では、人生そのものが退屈であるというほどは退屈してはいなかったが、これまでの人生の中ではもっとも退屈な時間の多い一年だった。

さて、来年はもう少しマシな年になるだろうか? たぶん、なるだろうと確信している。何故ならば、今よりも貧乏なんてことはあり得ないし、今年より退屈ということもあり得ないような気がするからだ。ま、今年である意味井戸の底に辿り着いたような感じだ。まあ、井戸から出られないということも考えられるが、井戸が快適になるということは考えられないか? む、やっぱり井戸という比喩はやめよう。憂鬱になる。なんか、村上春樹みたいだし。とにかく、今年、僕は一度底まで辿り着いた。後は上を向いて歩こう。

written on 27th, dec, 2006

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