anxiety vol.2

「テポドン」

うーん。すごくネガティヴな話題なので読まなくても結構です。

実をいうと、いま僕は非常にネガティヴな状態なのだ。

別に躁鬱という訳ではないが、ちょっと心配のタネがいくつかあって(いずれここで書くかもしれない)、まあ不安な状態なのである。それでホームページを始めたばかりで縁起でもないのだが、「不安」をテーマに書きたくなってしまうのだ。こんなときは誰かに頼りたいのだが、いまは夜中に電話をして弱音を吐く相手がいない。誰か慰めてくれ。

それでもって、一番ヘヴィーな話題で申し訳ないのだが、最近トシをとったせいか(このセリフが増えてくるのがその証拠か?ちなみに僕は外見は若いです)「死」が昔より恐くなくなった。これはいいことだ(多分)。僕は子供のころから死というものを強く意識していて、ずっと恐がっていた。まあ、小学生のころから宇宙のことを考えて「無限」という概念を理解するのに恐怖を覚えていたぐらいだから、センシティヴでマセたガキだったということも(おまけに小心者?)あるのだが、大人になってからもこの「死を意識する」という不安はなかなか払拭できなかった。20代の頃はパニックディスオーダー寸前のときもあったくらいだ。純文学の作家で同じ様に死を意識するあまり、自殺してしまったひとがいたが(名前を度忘れした。)、幸い僕は小心者なので、そこまでの勇気もないし、そこまで悲観的な人間でもない。

この不安について心理カウンセラー状態になって、客観的に分析してみると、多分小学校のときの担任の女の先生が原因のような気がする。この先生は、よりによって最後の授業のときに、僕等に「私の経験からいって、20年後(10年後だったかな?)に同級会をすると一人か二人は死んでいて会えない」というとんでもない話をしたのだった!(oh my god) この話は子供心に非常な衝撃だった。なんせその時のクラスの人数が大体40人くらいだったから、20年として、30年生きられない確率が40分の1(二人とすればなんと20分の1!)だというんだから。これはものすごい確率である。パチンコの確変時より高い確率だ。これじゃあ意識するのも無理はない。まったく罪作りな先生だ。

もっと驚くのは、この話が現実になっていることである。僕の小学校のときの同級生は一人20代で病気で亡くなったし、中学校の同級生も20代で一人亡くなった。確率論まさにおそるべし。ついでに言うと高校の時に同級生が同級生を殺しちゃったのがいるし、大学の同級生で早くに亡くなったひともいるので、そういうことも含めるとそんなに不思議なことでもないのかなあ。それにしてもこの40分の1の高確率をくぐり抜けて自分がまだ生きているということを感謝しなければ。なんかラッキーな気さえしてくるから、それはそれで不思議だ。

それはそうと北朝鮮のテポドンなあ。危ないなあ。よりによってうちの田舎のそば飛んじゃうしなあ。無茶苦茶なことするよなあ。ものすごくエキセントリックなかつアナクロな行動に見えるけど、キムジョンイルが世界情勢と自分と自分の国のことを客観的に捉えてないとはとても思えない。そう考えると余計やばいんだよね。やけくそってことだもん。そのわりにはみんな(日本人)呑気だなあ。気がつくと自分も意外とそうなんだけど。vol.1にも書いたけどこういうことみんなひっくるめて世紀末というんだろうな。くわばらくわばら。

こんなテーマで書いてしまったのも、冒頭に書いた理由だけじゃなく、今日村上龍の「イン ザ・ミソスープ」を読みおわったせいも少しはあるのかもしれない。ラジカルで好きな作家だけどここのところ質が落ちているのが気になる。この作品は最近の中ではパワーのある方だ。無茶苦茶ネガティヴな話だけど。

いずれにしろ、僕はまだ生きている。

back