survive

「パチンコで生きないということ」

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先日、一通のメールが届いた。久しぶり、実に久しぶりのメールである。彼のホームページは更新もしないまま一年以上凍りついたままで、(僕から見て)消息がまったく不明だった。

彼はパチプロだった。確か僕より一回りは年下である。ちょうど僕がこのホームページを立ち上げたころ、僕自身はまだ、パチンコをタマに打つ会社員、という状況で、つまりそのころはまだパチンコというものが好きだったわけだが、そんなころにネット上で見つけたのが彼のページである。そのころはまだ彼もパチンコ中心に打っていて(のちにスロット中心になる)、まず文章が非常に面白かった。僕にはなかなか書けない、ですます調の文体がかなり心地よく、よく夜中に独りでムフフと笑っていたものだ。

今はどうかしらないが、当時は「パチプロ」で検索しても(当時はグーグルなんてまだなくてYahoo中心だった)そんなにHPの数はなくて、しかしそれなりに皆猛者に見えて、つまりプロとして食っている連中というのは、少なくともネット上では少数精鋭に見えた。つまり、京都と言えば誰、大阪と言えば誰、九州と言えば誰、関東と言えば誰(何故か関西の人の方が多かった)という具合に、ネット上のパチプロ界における著名人というものが存在した。僕がときおり打ったパチンコの日記などを書き始めたのがきっかけで、何人かそういった人達とメールなりを交換するようになり、知り合いも増えた。そのうち僕も会社を辞めてフリーになったことがきっかけで、いつのまにかパチプロと呼ばれる人種になっていた。気がつくと彼らの仲間入りをしていたというわけである。もっとも僕の場合は「精鋭」には当たらないと思うけど。

一度でもパチンコだけで生活した経験のある人はわかると思うけど、パチンコ打ちというものは基本的に孤独である。先年亡くなった有名な田山さんは、同じく有名な彼の日記に、丸一日人と言葉を交わさないことも多く、言葉を忘れてしまいそうになる、といったようなことを書いていたが、まさにそうなるのである。おまけに社会的には職業として認知というか公認されていない。つまり、社会的には存在しないも同然である。もちろん、「無職」という本人は存在してはいるが、「パチプロ」たる人間は公的には存在していないのである。毎日ほとんど人と会話のようなものを交わさなくなったころ、僕の居場所はネット上にしかなかった。

そのころできた友人、つまりネット上のパチプロ・コミュニティとも言うべき世界の人達は、唯一自分が存在しているのだ、ということを確認し、認め合える人達であった。このコミュニティの中では、自分は確かに存在しているし、認められてもいる。しかも、僕以外の人達は皆、大概は僕よりは若かったが、巨匠と言うべきプロ達であった。先日久々にメールが届いた彼も、その言うなれば巨匠の一人である。

メールの内容は、主に引越しの知らせだった。僕の知る限り愛知県で食っていた彼が、近所、つまり東京近辺に引っ越してきた。それで、パチプロから脱して雑誌の仕事を始めたと書いてあった。彼が数年前から、同業の神奈川の友人とSOHOを始めようとしていたのは知っていたので、僕は自分のことのように嬉しかった。おめでとうという返事を書いた。

僕がパチプロ生活から社会復帰してまだ半年も経っていない。だが、それは遥か昔の話のように思える。今でもパチンコ屋の前はよく通るが入ろうと思ったことは一度もない。パチンコで食っていくことは、とてつもないストレスの連続だ。少なくとも僕にとってはそうだった。まず、毎日昼間からパチンコを打っている客たちというものが大嫌いである。当然のようにパチンコを打っている自分自身が嫌いになる。いつも巨大なジレンマを自分の中に抱えて生きることになる。ストレスが溜まって当然である。おまけにいつ食えなくなるかという逼迫感もある。結果的に僕は鬱病になって医者に通う羽目になるわけだが、そもそもが胃腸の弱い僕が、せいぜいが胃酸過多で済んで、胃潰瘍にならなかったのは奇跡と言ってもいい。多かれ少なかれ、一見楽しげに毎日を過ごしてそうに見えるネット上の彼らも、日々そういったものを抱えている(筈だ)。だから、例の彼が社会人として新たなスタートを切ったことに、僕は他人事ながらほっとした。

今となっては、当時ネット上に君臨していた彼らも、ほとんどがサイトを閉じたり、休止状態になって、消息がなかなかわからなくなった。ネット上のパチプロ界もずいぶん様変わりしたものだと思う。それに代わって、ネット上はスロットが中心になっているようだ。実際、いま食っていくのならスロットじゃないと難しいだろう。僕はすっかりパチンコというものを打たなくなったし、興味も失ってしまったが、それでも当時の知り合いの日記は読みに行く。本当に孤独だった時期に同じ釜の飯を食った(ような気がする)彼らがどうしているのか、元気でやっているのか。一番近所で、一時同じ店に通っていたこともあるAちゃんも、今は日記を休んでいる。元気なのだろうか。

世間に背を向けて、もしくは世間から姿を消して、自分自身と向き合い続けた数年間を僕は無駄だったとは思わない。そうしなければ見えないものも、そこだからこそ得たものもあった。僕が小説を書き始めたのも、なんとかそこから這い上がって、自分の居場所を見つけようとしたからだ。だが、一度パチンコで食っていた者として、やっぱり社会の中に身を置いた方がいい、と言っておこう。尊敬するだのしないだのと言っても、所詮クローズドなコミュニティの中の価値観である。そもそもそんな風に寄り集まって依存するようでは、自分独りで生きているとは言えない。自分独りで生きていこうと思うなら、なにか他の生き方があるはずだ。所詮パチプロだと言っても、店に依存して生きている寄生虫のようなものなのだ。パチプロ殺すにゃ刃物はいらぬ、釘の一本締めりゃいい。

がんばってね、Tっちゃん。

written on 16th, aug, 2002

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