strawberry

「いちご」

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最近、ネット上で知り合いが血を吐いた話とか、血を吐いた人に遭遇した話とかを聞くにつけ、またぞろ昔のことを思い出した。

血を吐いた人は胃潰瘍らしいが、考えてみれば慢性の神経性胃炎である僕が未だに胃潰瘍になっていないことが奇跡に近い。そもそもうちの家系は祖父母の代から胃腸が弱く、皆胃を切ったりしていると云うこともあり、そんなわけで僕は幸か不幸か太らない体質なのだった。たぶんアルコールが飲めないのもその辺りにあると思うが、お陰で未だに少年のような体型を維持しているので少々年もごまけるのであった。

だいたい昔から病弱な書生タイプの人間と云うのは、血を吐くのが相場と云うイメージがあって、今なら胃潰瘍かも知れないが、昔なら肺病病みと云うところだ。新撰組の沖田あたりのイメージである。で、だいたいゲホゲホいいながらも女にモテる、と云うところが相場だと思ったのだが、このところの僕はいったいどうしたことか?

それはともかく、幸い僕はまだ血を吐いたことは無いが、血尿が出たことはある。えーと、一昔ぐらい前になるのだろうか、僕はさる大物アーティストの原盤ディレクターと云うヤツをやっていたのだが、これが年に半年ぐらいかけて一枚のアルバムを作ると云う、ヒマなときはやたらヒマだが忙しいときはアホほど忙しい、と云うサイクルだった。レコーディングの最終段階はロスに行ってやるのだが、この渡米直前と云うのが一番忙しい。スケジュールに間に合わせるために連日徹夜に近い状態になる。この年は渡米前の十日間あまり、毎日朝の6時ぐらいまでスタジオに入っていたので、からだは完全にヘロヘロになっていた。ようやく作業が収拾がついたのが出発前日の深夜である。確かこの年がディレクターとしての最初の年だったと思うが、この出発前日の深夜二時ごろ、作業が終了した時点で、何を思ったか僕の渡米壮行記念にマージャンをやろうと云うことになった。全く馬鹿としか云いようが無いが、雀荘でマージャンをはじめて4時近くになったころに打ちながら居眠りしてしまう状態だった。

で、既に最終回の翌日の明日のジョーのような状態で飛行機に乗り込んだわけだが、飛び立ってしばらくして小用を足しにトイレに入った。なにげなしに見ると、自分のおしっこが赤いではないか。生まれて初めての血尿を目の前にすると、嫌な予感もへったくれも無い、まるで予備知識無しに初潮を迎えたが如く、トイレの中でひとり血の気が引いたのであった。ま、血も出てるしね。大騒ぎになるだろうから、こんなこととても人には言えん、僕は顔に縦線が何本も入ったまま、何食わぬ顔をして席に戻ったのであった。しかし、あの漫画でガーンと云うときに顔に縦の線が入ると云うヤツは誰が最初に考えたんだろうね。うまいこと考えたものである。そんなわけで行きの10時間あまり、僕は必死でこのことを頭から追い出そうとしたのであった。

さて、目出度く無事ロスへと降り立った我々は、うまい店があると云うのでその日の夕食をタイ料理を食べに行くことにした。ちなみに僕はタイ料理を食べるのはこの日が初めてで、例のトムヤムクンなどを初めて食してびっくらこいたりしたのであった。連日の疲れもあり、腰が抜けるほど寝たつもりが、例によって時差ぼけでやたら早く目が覚めたりしながら翌朝を迎えた僕は、なにやら顔の辺りにむず痒さを覚えたのであった。はて、なんだろう、もしかしてシャワーを浴びたせいかな、こっちの水のせいかも、などと思いながらスタジオへと向かい、ロビーで隣のスタジオでレコーディングをやっていた地元のヘヴィメタのバンドと馬鹿話などをしていた。そのうち、例の顔の違和感が次第に増しているのに気付いた。夜が近くなるに連れて、なにやら自分がいい男になっている。いや、なに、いつもこけている頬がちょっとふっくらしていい感じになっている。な、何だこれは、と思いながらも、いつもこれぐらいだとちょうどいいんだがな、などと思っていた。ところが顔は留まるところを知らずどんどん膨れ上がり、瞼やらなにやらも腫れ始めた。要するに頭部全体がむくみはじめたのである。むくみは翌日になっても治まるどころか、どんどん酷くなり、次の日にはまるでエレファントマンのようになってしまい、目の周りが腫れ上がっているために視界は横棒みたいになってしまった。触ってみると頭頂部や後頭部までがぶくぶくとむくんでいる。鏡を見て腰が抜けそうになってしまった。さすがに周りの人達も何事が起こったのかと、大騒ぎ。そりゃそうである。もう僕の首から上は主観的には倍ぐらいに膨れ上がっていたのだ。心配したMM氏やらメーカーのS氏に問い詰められて、とうとう僕は機内で血尿が出たことまで白状してしまった。このことを含めて、MM氏が症状を東京の医大で医者をやっている彼の同級生(N森A菜の手首の手術とか担当)に国際電話で伝えたところ、ウィルス性の腎炎(肝炎だったかな?)の可能性があり、命に関わるからいますぐ入院しろ、と云う恐ろしい通達が来た。とにかく少なくとも半年は入院しろと。もう僕の顔には真っ黒になるほど縦線が。ああ、これで英語上手くなっちゃうなあ、などと訳の分からぬことを虚ろな頭で考えていた。

結局その日はスタジオに行かずにホテルの部屋で留守番しながら、その後の憂鬱な人生に思いを馳せていた。ついでに、かつて腎臓で2・3年苦労したと云う、同行した友達の彼女に、やれ電車にも乗れないだのとさんざん脅かされていた。その翌日になって、日系人の医者をようやく探りあてて病院へと向かった。イタリア人街の隣にある巨大な病院をS氏と通訳代わりのコーディネイターのHさんと訪ね、映画によく出てくるような個人オフィスのような医者の診察室で診てもらった。一通り血液検査だのなんだのと検査を行なったあと、医者がおもむろに僕に尋ねた。
「いちご食べなかったか?」
いちご?はて?僕が日本人特有の歯切れの悪さで考え込んでいると、隣にいたS氏がまるで鬼の首でも取ったように、食べた食べた食べた、タイ料理で食べた、食べた食べた食べたじゃん、と云うので、ようやく思い出した。そう云えば、料理の中にでっかいイチゴが入っていた。しかし、それがどうしたのだ、オレは昔からイチゴは大好きでやたら食っていたぞ。しかし、医者は言うのである。もちろん英語でだが。
「アンタね、それたぶんイチゴのアレルギーだよ」

結局、なんだか納得できないままアレルギーの薬をもらってホテルへと戻った。しかし、その薬を飲み始めたところ、あーら不思議、二日ですっかり元に戻ったのであった。要するに、連日の過労で疲労困憊して体力が弱っていたところに、日本と違う種類のイチゴを食べてアレルギー反応を起こしただけだったようだ。例の血尿も単なる過度の疲労によるものだったようだ。やれやれ。

教訓。極度に疲れているときは見慣れぬいちごを食べるべからず。いちご恐るべし。

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