souvenir

「回想」

...

そこまで考え込まなくてもいいのに、と僕は僕自身に言う。そこでまた僕は考え込んでしまう。問題は、何を考えていたのか分からなくなってしまうことだ。何を考えるべきか、と僕は考える。所詮、それは堂々巡りにしかならない。それは構造的な問題だ。そんなことは分かっている。じゃあ分からないことは何? すべて。だから僕は考える。何を考えるべきかを。ほらね、やっぱり堂々巡りなんだ。僕はぐるぐると回っているようなものだ。もしくは、一歩ずつ後ずさりしているようなものだ。だから、時が進んでも僕は一向に同じ場所にたたずんだままだ。そして辺りを見渡す。季節が変わる。人が変わる。ふと自分を鏡で見る。髪に白いものが混じっている。これは何? 僕は同じ場所にたたずんだまま、年老いているのか? こうしているあいだにも、少しずつ何かを忘れ、何かを失っているのか? それとも単に僕は取り残されているのか? きみはもう僕のことを忘れてしまったのだろうか。誰もかも、僕のことなど忘れてしまっているのだろうか。それとも、ごくたまに思い出してみるのだろうか。僕という人間がいたことを。しかし、その僕は僕ではない。それは僕が失った僕だ。きみがきみでなくなってしまうように、やがて僕も僕という人間ではなくなる。いや、とっくに僕は僕でなくなってしまっているのだ。だから僕は考える。何かを取り戻せはしないだろうかと考える。混みあうドトールの窓際の席でカフェ・ラ・テをすすりながら、すっかり緑に包まれた遊歩道を歩きながら、公園のベンチで木々のざわめきを聞きながら、自分の打つパソコンのキーボードの音を聞きながら、僕は考える。僕はどんな僕だったろうかと。

written on 3rd, aug, 2006

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