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「ある仮説」

愚にもつかない屁理屈...

一体全体、世界の中に自分が存在しているのか、自分の中に世界が存在しているのか、どっちなんだろうなどと考えたことはないだろうか?

結局僕らは自分の意識を通してしか認識できない訳で、それを言い始めると認識ということ自体が意識下の出来事である云々という堂堂巡りに陥ってしまう訳だが、何はともあれ、少なくとも自分にとって自分が脇役などと云う人はあまりいないだろう。

脳と云うフィルターを通して認識していると云うことは、必ずしも全員が同じ認識の仕方をしているとは限らないわけで、例えば赤と云う色にしてみたところで皆が同じものを意識しているとは限らない。例えばある人の意識下に見える赤はある人の意識下では青と認識している色だったり、などと云うことがあってもおかしくないわけだ。

それはともかく、いずれにしても我々がものごとを認識する際には、少なくとも目で見たりとかの五感を通しての場合は一度脳と云うフィルターを経由する分のタイムラグが生ずるわけである。だとすると、僕らは常にワンテンポ遅れて現実と云うものを認識しているわけで、ある意味意識下に於ては常に過去を生きていると考えられなくも無い。このタイムラグを考えると、リアルタイムと思っている現実も、実は経由している脳が作り変えたものである可能性もあるわけだ。コンピュータのプログラムで云うコンパイルと云う奴である。とすると、このコンパイルが常に正確であるとは必ずしも云えない。コンパイルするために使う判断材料が自分の記憶と云うものしか持ち合わせていないとすれば、この記憶自体に歪みがあれば、自分が認識する現実そのものに歪みが生ずるとは云えないだろうか?

例えば先入観などと云うものは最たるもので、所謂デジャ・ヴュなどと云うものもこの先入観もしくは記憶の混乱(もしくは混同)によって生じてしまったりするんじゃないかなあ...まあ、ちゃんとその手の本を読んでいるわけじゃないし、一応大学で心理学の授業とかも取っていたのだが、出欠の返事をしただけだったので単なる思いつきでしかないが。

で、何が云いたいかというと、もしかしたら僕らは現実を作り変えることも可能なのではないか、などと思ったのである。もちろん、当人の意識下での話。つまり、自分の脳と云うフィルターを通して、ワンテンポ遅れてコンパイルして認識する際に、一見リアルタイムに見える現実を作り変えてしまうことも可能ではないか、などと。それは自分に都合のいい場合もあるし、逆の場合だってあるだろう。そう考えると過去の記憶を作り変えてしまうことなど至って簡単である。そんなことは精神病院に行けば、自分がナポレオンだとか云う人だとかが一杯いるわけで、ほとんどガイキチの領域になってしまうが、多重人格、人格分離とかはほとんどリアルタイムの自分すら作り変えてしまうわけで。

とまあ、こんなことを考えてしまったわけで、我ながら暇だなあなどと思うのだが、要するにこの目の前の現実ってホントに唯一無二なのか?などと云う疑問がふと湧いてしまったわけで。

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