once upon a part-time

「アルバイトな日々 その5」

むかしばなしその5...

どうでもいいが、学生時代はいろんなバイトをやった。

骨折り損のくたびれ儲け、なんて言葉があるが、労多くて功少なしと云うか、タダ働きになってしまうようなバイトというのも多々ある。いわゆるフルコミッション、完全歩合制なんてものは常にそういう可能性があって、ま、いまの僕がそんなようなものなのだが。

最初にそんな感じのバイトをやったのは絵本売りだ。

二十歳の夏、僕は旅先でちょっとした恋をして、東京に戻ってからも気もそぞろで過ごしていた。どうにも気持ちが落ち着かないので、何かバイトをすることにした。それで始めたのが「まんが日本昔ばなし」の絵本売りである。これがまたペラペラの薄っぺらい絵本で、一話ずつ起こしているので当たり前だが、それが三十何冊だかに分かれていて、バラ売りでも単価は結構高かったように思う。こんなもん一体誰が買うのだろうと最初に見たときに思った。これを担当の地区に飛び込みで売り歩くのである。売れなかったら当然収入はゼロ。説明してくれた若い社員に話を聞くと、彼らもほとんど歩合制で、基本給はほとんどタダなのだそうだ。名前だけは出版社になっていたが、酷い会社もあったものである。僕は飯田橋近辺を担当になり、毎日会社や事務所が入っていると思われる建物に片っ端から飛び込んでいった。考えてみると、僕と云う人間はこの手の飛び込みの営業みたいな仕事はもっとも不得意な部類なので、そんな僕があの夏闇雲に飛び込んでいけたというのは一重に恋の悩みのせいだったのである。それはともかく、当時の僕には毎日違う服を着ると云う概念が無かった。そんなわけで、そのバイトをしているときは何故か毎日黄色いTシャツを着て回っていたのだった。誰が買うのか、などと思っていたわりには若いOLの子がかわいいなどと云って結構何冊か買ってくれたりした。何度か通ううちに、「黄色いTシャツのお兄さんが来た」などといわれるようになった。なんかサンタの変形か危ない人みたいだが。結構売れたと云っても、それでも一週間で五・六千円ぐらいにしかならなかったと思う。結局、馬鹿馬鹿しくなって辞めた。ホントに、ホントに暑い夏だった。

確かその翌年だったと思う。僕が本格的に無駄骨のはしごをやったのは。

仏文の後輩に体育会系のやたら真面目なやつがいて、こいつが広島の高橋慶彦のファンで、そんなことはどうでもいいのだが、彼がいいバイトを見つけたので一緒に行きましょうとやたら熱心に誘うのだった。こいつはなんにつけてもやたらと熱心なのだったが。そんなわけで彼と一緒に僕は新宿の高層ビル(確かNSビルだったと思う)に行ったのだった。よく分からずに着いてみると、いきなり講習会である。なかには今で云うリストラされたような背広のおじさんも混じっていた。話を聞いてみると、なんのことはない、よくある電話勧誘の英会話教材売りである。講師を勤めるのが20代の結構いい女でこれが部長だというのだ。タマに顔を出す社長はパンチパーマのおっさんである。研修は一週間あると云う。二日目、三日目と顔を出しているうちに、なにやら怪しいぞとさすがに気づき始めた。一緒に行った後輩のMが社長と世間話をしたところ、どうやら同じ広島の出身はいいのだが、Mいわく、間違いなくヤクザだと云う。通っているうちに仲良くなった女子大生ふたりも交えて昼食を食べながら、どうもあの部長という女も社長と出来てるみたいだし、第一教えてることが詐欺同然だ、ということに一同気づき始め、みんなで一緒にやめようということになった。ということで結局一週間近く通って一銭にもならなかった。

バイトをやめて数日後に、電話番号を交換していた女子大生のひとりから電話があって、いいバイトがあるから一緒にやろうと云われた。この子は結構かわいい子だったので、何も考えずにやることにした。行ってみると、家庭教師のバイトである。ところが、話を聞くと普通の家庭教師ではなく、なんと云うか、営業を兼ねた家庭教師だった。要するに、担当地区を決められて、その地区の中学生のリストを渡され、やっぱり飛び込みで訪ねて相談を兼ねたサンプルの指導をやって生徒になったら報酬がある、というものだった。なにやら解せないまま、僕は目白の担当になった。住民票から作ったらしいリストを手に目白の中学生が住む家を一軒一軒訪ね歩いた。中には門がオートマチックになっていて玄関までやたら歩く豪邸もあれば、昔から住んでいる長屋みたいな家もあった。豪邸は応対は一応ていねいなものの門前払い、話を聞いてくれるのは商店街の家とか、庶民の家、悪く云えば貧乏臭い家だった。要は試しに一度問題を渡してタダで教えてくれるので、タダならいいか、と云うわけだ。僕は案外素直な昔の中学生相手に、玄関先でここはこうでなどと一生懸命教えたりしたのだが、感謝はされるものの結局元の発想が発想だけに全部タダ働きで終わった。気がつくと紹介してくれた女の子もさっさと先に辞めていたので、また馬鹿馬鹿しくなってすぐに辞めた。

ボロアパートでタダ働きの二連発をやってしまったと途方に暮れていると、また例の女の子から電話が掛かってきた。いいバイトを見つけたと云う。僕はまたやることにした。なにしろ、この女の子はかわいいのである。噂によると彼氏はいるらしいが。

今度は乃木坂の芸能プロダクションの仕事である。しかも映画のスタッフを集める仕事だ。おお、マスコミの仕事でしかも映画だ、かっちょいい、などと思いながら乃木坂のマンションに行った。行ってみると、プロダクションとは云っても、昔なんとか童子だかなんかをやってたと云う(山城信伍じゃないよ)社長と、後は秘書兼電話番らしい女の子のふたりだけの事務所である。話を聞くと、今度劇画を原作にした映画を作るので、出演する女優をスカウトして欲しいと云う。しかし、素人なので最初は研修を受けさせるのだと云う。つまり、金を取るのだ。要するに、今で云うただのモデル勧誘と一緒である。僕は何が苦手と云ってナンパが一番苦手なのである。しかし、仕事だからしょうがない。一応新宿まで行ったものの、恥ずかしくてなかなか声をかけられない。そうしてうろうろしているうちに自分の方が例の映画が安く見られるだのなんだのの会員券の勧誘に引っ掛かってしまう始末。なんとか逃げ出し、途方に暮れながらも一世一代の決心をしてひとりの大人しそうな女性におそるおそる声をかけた。

「あの、女優になりませんか?」
「すみません、わたし婚約したばかりなんです」
「す、すみませんでした」
考えてみるとお互いになんで謝ったのかよく分からないが、結局僕が声をかけることが出来たのは彼女だけだった。うなだれて乃木坂の事務所に一応戻り、成果なしの報告だけして帰ろうとした。事務所のマンションを出ると、後ろから呼び止められた。振り向くと、秘書兼電話番の女性である。ちょっと話があると云うので近くの喫茶店に入った。話を聞くと、彼女はバイトで、僕と同じ学生だった。彼女はいきなり、あそこ危ないから辞めた方がいいよ、わたしも辞めるから、と云うのだ。彼女の話によると、どうやら資金繰りにやたら困っている様子で、家賃は滞納しまくっているわ、果てはダスキンのレンタル料も払えないわと云う状態らしく、映画を作ると云う話もどうやら眉唾らしい。

こうして、その年僕はタダ働きのハットトリックを達成したのであった。

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