once upon a part-time

「アルバイトな日々 その3」

むかしばなしその3...

一体全体、このシリーズ受けてるんだか受けてないんだかさっぱりわからんが、とにかく僕は学生のころにいろんなバイトをやった。長続きしたのは、やっぱりオーソドックスに喫茶店でのバイト。

少なくとも半年近くは続いたと思う。場所は中野のサンモールの脇道を入った喫茶店。このサンモールはブロードウェイへと続くアーケード街で、20年前は比較的垢抜けた商店街という感じだった。しかし、一歩脇道に入ると、有名な(だった?)クラシックというとんでもない古い喫茶店(昔文豪が通ったという)があったり、単館上映専門の映画館があったり、かと思うとゴールデン街っぽい飲み屋街があったり、ようするに古き良き時代の名残が残るところである。僕がバイトしていた喫茶店は、アーケードを入ってすぐ右の脇道を入ったところで、昔ながらのゴミゴミとした飲み屋街の雰囲気そのままの場所にあった。2階が雀荘で、姉弟でやっている店だ。マスターは当時たぶん30代だったと思うが、マージャンと競馬で脇道にそれた、というタイプの人間。

そんな古臭い人間くささの残る場所にある喫茶店なので、それこそいろんな客が訪れる。例えばすぐ近所の美容院の店長のおじさんは、来るたびに火事で亡くした息子の話をしながら涙ぐむ。かと思うと隣のビルの乗っ取りのために居座っているヤクザは、必ずアイスクリームを注文してそのまま持って帰り、容器を返さない。もしかしたら十個以上器を持っていたはず。競馬好きの常連も多く、誰かが万馬券を取った日などはみんなで大喜びしていた。当時僕は競馬のことは全くわからなかったが。マスターも含めてこの店の常連はなぜかアンチ巨人の人ばかりで、当時実は巨人ファンだった僕は、話の流れで「どこのファンなの?」と聞かれ、思わず「中日」と言ってしまって以来、ずっとドラゴンズファンである。(その後、読売新聞の勧誘でひどく嫌な目にあって以来、コテコテのアンチ読売である。)

店の近くにテレビで校長が有名な料理専門学校があって、そこの女子生徒がよく客で訪れていたのだが、ある日会計のときに二人に名前を聞かれたので、「スケザ」と答えた。大学を卒業してから久しぶりにこの店に遊びに来たときに、マスターが「そう言えば、キミがやめた後にファンの子がスケザさんはいますかと訪ねてきたよ」と言っていた。懐かしいなあ...。あの頃はモテたのよ。

マスターの知り合いにはエキセントリックな人も多い。聞くところによると、この店でビニ本の撮影をしたこともあるらしく、マスターも手だけ出演したと言っていた。変わった知り合いでは埼玉県警の丸暴に勤める刑事。彼は仕事で知り合った(...)中学生と付き合っていると言っていた...。もうひとり、設計技師をやっているという見た目は実直で品のいい人。彼は弟が有名な刺青の彫り師(何代目という感じの)をやっている。僕も試し彫りだけしてみないかと誘われたが、丁重にお断りしました。この人の昔話がとてもおもしろかった。彼は生まれも育ちも新宿の歌舞伎町のど真ん中で、同級生には大原麗子(ブリブリいわせていたらしい)とかもいたのだが、その頃の歌舞伎町の中学校はそれは楽しい(?)世界だったらしい。彼の中学の同級生にヤクザの組長の息子がいて、15歳のころには全身刺青が入っていたということだ。その同級生と銭湯に行くと、大人のヤクザがびびって道を開けてくれたそうだ。あるとき(もちろんまだ中学生のとき)彼は、その同級生にうちに遊びに来ないかと言われて遊びに行った。すると、そこは組の置屋(当時のいわゆる娼婦を住まわせる)で、年の頃なら25・6の大人のいい女の人が出てくると、同級生が「女房だ」と彼に紹介したそうである。そうするとその女の人は「うちの主人がいつもお世話になってます」と挨拶したそうである。世の中にはいろんな世界があるものだ...

back