there and back

「往き、そして帰り」

...

夜の高速を、ひたすら西を目指して走っていた。

そのころ僕はローバーの3500という、スコットランドヤードがパトカーに使っている馬鹿でかい車に乗っていた。ブレーキが鳴るのに悩まされ、おまけにパワーステアリングのオイルが漏れていたので週に一回はボンネットを開けて自分でオイルを足したりしていた。終いにはエアコンが壊れたし、とにかく手のかかる車だった。

神戸を過ぎる頃に夜が明け始めた。その頃から瞼が重くなったので中国自動車道の名も知らぬサービスエリアの駐車場で仮眠をとった。三十分ほどの浅い眠りでも、居眠りの危険から脱するには十分だ。気がつくともうすっかり明るくなっている。僕はエンジンを掛け直した。

ようやく岡山の市内に着いたのは日曜日のまだ朝の八時前だった。初めて訪れた人影もまだまばらな街は、それでも思ったよりもずっと大きな街だった。この街は何処か懐かしくて落ち着く気がした。何故だろう。たぶんそれは根ざしているものなのだ。この街に住む人々のほとんどは、ここに根ざしている。恐らくそれは大方の地方都市、田舎に共通する感覚でなにも特別なものではない。しかし、僕にとっては特別に感じられた。それは彼女がここに居るからだ。彼女の生まれた街。そして彼女の逃げ帰った街。

彼女とは近くのファミリーレストランで出会った。歳よりも若く見られがちな僕から見ても、彼女は若く、綺麗だった。しかし、彼女は僕よりもひとつ年上で、人妻だった。そして母親でもあった。

本当の秘密などというものは滅多にない。僕らが同じベッドの中で眠る明け方、僕は彼女の亭主からの電話で叩き起こされた。そして電話機にはリダイアルボタンという厄介なものが付いていることを思い知らされた。彼女は怯え、帰る場所を失った。都内の従妹のマンションに数日泊まったあと、彼女は実家のある岡山へと帰った。しばらくして、彼女から電話があった。実家ではなく、同じ市内の妹のところに居るという。何度か電話で話しているうちに、僕はとにかく迎えに行かなければと思った。迎えに行かなければと。僕は闇雲に車に飛び乗った。

不慣れな土地なので、とにかく中心地の普段は賑やかそうなアーケード街のそばに車を停めた。幸いにして開いている喫茶店が見つかったので中に入ってコーヒーを頼んだ。寝不足のぼうっとした頭で僕は何を考えていたのだろう。何をしていたのだろう。とにかく、電話のかけられそうな時間まで時間をつぶした。

九時をまわったころに店内の公衆電話から電話をした。何も知らせてなかったので、受話器の向こうからどうしたのという驚いた声が聞こえた。それはやけに明るく元気な声に聞こえた。それにやけに平和で呑気な声にも。

出鱈目に来たわりには、彼女の居る妹のマンションからは案外近かったらしい。三十分ほどして彼女は店にやってきた。満面に笑みをたたえて。日焼けして心なしかふっくらしたその顔はやけに健康的に見えた。

僕らは何を話したのだろう。突然彼女が倉敷に行こうと言い出した。わたしの好きな喫茶店があるから。

休日の倉敷までの道は、いったいどうしたんだろうというぐらい混んでいた。延々と車の列は続き、一向に進まなかった。それでも僕らはちっとも苦にならなかった。ようやく辿り着いた蔵屋敷の並ぶ観光地の喫茶店でふたりでコーヒーを飲んだ。休日の店内はやはり混んでいた。そこでも僕らは何を話したのだろうか。僕らはとてもはしゃいでいて、とてもハイになっていた。久しぶりに会えた嬉しさと、何か酷く無茶なことをやっていて、そのさなかに居ることに。まるで台風のさなかに居るように。

岡山に戻る道もまた混んでいた。僕は一緒に帰ろうとどこで切り出したのか。朝の喫茶店か、往きの車中か、倉敷か、帰りの車中か。一緒に帰ろう。とにかく岡山に戻るときは既にふたりでそう決めていた。

市内に戻って彼女の妹が住むマンションのそばに車を停めて、彼女が荷物を持って出てくるのを待った。荷物をまとめて妹と話しているあいだ、僕は車の外に出て近くの自動販売機で飲み物を買って待った。日が暮れてきた街で僕は何本か煙草を喫った。

結局、中国人と同棲している彼女の妹と顔を合わせることはなかった。ようやく出てきた彼女を乗せて、帰りの高速に向かった。市内を抜ける途中で、彼女が外を指差した。あそこがわたしの実家なの。彼女の指差した方を見ながら、生まれてから彼女が過ごしたであろう日々を、束の間通り過ぎるスピードと同じ速さで思った。

高速に乗って東に向かう頃にはすっかり日は落ちていた。雨が降り始めたのはいつごろだったろうか。途中真っ暗な神戸で一度車を降りたときにはまだ降っていなかった。大阪を過ぎたころか、いつのまにか物凄い雨になっていた。本物の台風が来ていたのだ。しかし、このころには僕らはもうそれほどはしゃいではいなかった。僕らはすっかり疲れ果てていた。僕は僕で前の日からほとんど寝ていなかった。どしゃ降りの中、ひたすら東を目指して車を走らせた。どこかのサービスエリアの駐車場に車を停めて、手を繋いでふたりで少し眠った。

車中で彼女が撮った僕の写真がある。僕はハンドルを握って一心不乱に前を見つめている。それは何も高速でワイパーを動かさなければならない雨のせいだけではない。ただひたすら彼女を迎えに行って、一緒に帰ることだけを考えていた。それ以外何も考えていなかった。この先何があるかも。

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