myself

「Sukezaと云ふもの」

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前にもちょろっと書いたが、Sukezaというのはハンドルネームでもなんでもないのである。単に僕の学生時代のあだ名である。でもって、「Sukeza」というバンドもやっていた。今でも学生時代の友人はみんな僕のことをSukezaと呼ぶし、サークルの後輩とかは僕の本名を知らない奴も結構いたりするはずだ。学生時代、心理学かなんかの授業で同じ仏文のクラスの女の子と、そのいとこ(だったと思う)の違う学科の女の子と隣り合わせたことがあった。その子(いとこの方)が僕のノートかなんかを覗きこんで、「えー、Sukezaって本名じゃなかったんですかー?でもぴったりー」とマジで驚かれた。妙なところで名が通ってたりしていたのだが、それにしてもそんな本名の人っているのかね?実際。

要するに嘘が苦手なのだ。インターネットを始めとするネット上のコミュニケーションの一番の特徴は匿名性ということだと思うのだが、僕は案外とこいつが苦手だったりするのである。匿名性というのは自分にとっては便利なものなのかも知れないが、逆の立場で考えると相手が信用できない。つまり、コミュニケーションしている相手が本来のキャラクターなのかどうか、ひいては真実なのか虚構なのか、まったく信用できない。ネットおかまなんて未だにいるんだろうな。よく日本人は何を考えているのかわからないと、特に欧米人が言うが、多分単一民族国家で島国であったことからくる国民性なんだろう。全米ライフル協会やら乱射事件やらで最近とみにアメリカの銃所持問題が話題に挙がっているが、アメリカという国はインディアンを除くと全員よそ者の集まりなわけで、とりあえずは誰も信用できないというところからスタートしている。そう考えると、銃をみんな持つところから始まったのは無理からぬことではある。それと現在の銃問題は別個のものではあるが。いまだに雑多な国の人の集まりであるから、コミュニケーションがストレートでイエス・ノーがはっきりしているのは当然のことである。出所も何も見知らぬ同士が、できるだけお互いに疑心暗鬼に陥らないようにしようとするが故のことだろう。ネット上の匿名性というのは逆の意味で、いったいどこまでが本当で、どこまでが本音なんだろう、などと常に頭にちらついてしまうのが哀しいところ。僕が掲示板が苦手なのも、そんなところにある。だいたい掲示板ていうのはテンションが高いところが多くて、特にそのためのハイなキャラクターみたいなものを作る(演じる)のが苦手な僕は、なかなかそこまでのテンションになれないのだ。あとはROMを非難したりとかの排他的なところもね。

その辺あんまり突っ込むといろんな人に嫌われそうなので元に戻ると、えーと、なんでSukezaになったのか書こうか。僕が物心ついてから似てると言われたものを思いつく限り順番通り列挙すると、

キツネ(笑)→野口五郎→ジェフ・ベック→市川染五郎(現在松本幸四郎)→京本政樹→国広富之→役所弘司→徳永英明。

てな感じで、要するに前にも書いた大学に入った年にみんなであだ名を決め合ったときに、ちょうど松たか子の親父がNHKの「黄金の日々」という大河ドラマに主演していて、「スケザ」と呼ばれる役を演じていたときだったのだ。ま、それだけのことなんだけどね...。

驚いたことに僕ももうすぐ40になる。うちの母親が、最近僕が優しくなった、と言うのだ。裏を返せば、いかに僕が若いころクソ生意気で、好き勝手やってたかということでもあるのだが。実際、就職の面接のときなどは役員の年寄りにやたらウケが悪かったし、会社に入ってからもなにかと上司とぶつかったりした。とにかくそういう意味では生意気だったのだ。もし、母親の言うように僕が優しくなったとすれば、それだけ年をとったということか。その分だけ僕はいろんな意味で傷ついてきたし、それ以上に人を傷つけてきたことにようやく気づき始めただけなのである...。

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