May 17, 2008

終わった。すべて終わった。月曜の昼には彼女は退院するだろう。それですべて終わり。終了。僕の心、脳内は空っぽだ。中空にだた「終」「Fin」といった文字が浮いているだけだ。

医者との話し合いは5時半ごろから始まった。僕はまず、病院のやり方は交渉になっていない、ということを言った。それに関しては、医者は肯定も否定もしなかった。ただちょっとうなずいただけ。医者は、「起こり得る合併症」であるという見解を改めて展開した。病院としてもその見解にまとまったと。また蓋然性云々の話をすると水掛け論になるし、組織としての見解に異を唱えてもこの場合あまり意味をなさない。僕が指摘したのは、手術費等を病院側が負担するのに、どうして入院費に関しては食道の傷が原因で延びた分までこちらが負担しなければならないのか、という点である。これに対して医者の理屈は、合併症である以上、食道の傷の治療もすべて治療の一環である、だから本来であれば全部請求してもいい筈だ、というものであった。卑怯なり。開き直りか。と思ったものの、一応理屈としては通っている。僕はとにかく、病院の対応には誠意が感じられない、特に交渉のやり方にまったく誠意がない、と述べた。これについてはまた肯定も否定もしなかった。僕はとにかく怒っている、どれぐらい怒っているかというと、院長に土下座して欲しいくらいだ、と言った。向こうはまた肯定も否定もせず、ただ沈痛な面持ちをするのみだった。僕はさらに続けた。僕のような立場に立たされた者がこういう場合に考えをつきつめると何に到達するか分かりますか? テロリズムです。中国の福建省って知ってる? あそこはとんでもなく貧乏なところで、福建省から来た人間は皆不法入国者だ。とにかく、何でもやる連中なのだ。僕が連絡すれば日本の人口が一人減る。それぐらいのことは考えるのだ。てな具合に。時間はそろそろ2時間を越え、場にはどんよりと疲れた空気が淀んでいた。僕が覚えたのは絶望でも怒りでもなく、疲労だ。結局、怒っているのは僕一人で、問題はただ僕一人の気分の問題に思えてきた。何をどうやっても病院という旧態然とした組織は変わらない。僕一人が自分の怒りを抑えこめばこの問題はけりがつくのである。要するに、話は単に僕の気分の問題、という気がした。医者に入院費は一日あたりどれぐらいになるのか訊いた。すると、医者はPCを操作して、入院費を示した。それは考えようによっては高く、考えようによってはそんなものか、という値段だった。ひとまず、今回の請求額を調べてくれと僕は言った。医者が携帯でどこかに電話して、55万円になります、と言った。僕は高いとも安いとも思わなかった。ベースのAが脳の手術をしたときに、10日間で80万かかった、という話を聞いていたからである。病院の負担は、室料だけで100万。トータルすると恐らく200万ぐらいは病院の負担になっているであろう。案外と妥当なセンかも知れない、と僕は思い始めた。これ以上話をこじらせて、顧問弁護士と話をしたとしても、事態は一向に変わらないだろう。ただ延々と怒りと疲れが続くだけだ。僕はしばらく沈思黙考した。というのはウソで、何も考えずにぼうっとした。それからまた考えた。これは僕一人の問題だ。そこで僕は結論を出した。これで終わりにしましょう。そちらの意向で了解しました。僕はもう疲れた。この39日間、僕は一日も休んでいない。もう終わりにしましょう、と。僕は立ち上がるとドアを開けて面談室を出た。誰か、若い担当医かなんかが何か声をかけたような気がしたが、何も聞こえなかった。僕はもう空っぽになっていた。病室に戻ると、彼女に「終わったよ」と言った。彼女はありがとう、と言った。

結局のところ、誰も勝っちゃいないし、負けてもいない。すると、僕の怒りは一体何だったのか、ということになるが、今となってはもはやどうでもいい。僕にあるのはただの空虚と、物凄い疲労感だけだ。実際、この39日間は、僕の人生の中でもっともヘヴィな39日間だった。収まるべきところに収まったのか、それは僕にも分からない。ただ、僕にやれることはもうない。僕はもう何もしなくてもいいのだ。

この39日間、毎日電話で話をしてくれた1番弟子のI泉さん、ありがとう。感謝します。

Posted by Sukeza at May 17, 2008 02:09 AM
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