今日も明け方に目が覚めたような気がしたが、彼女と電話で話したところによると地震があったそうである。地震に気がつかないということは、そこそこ熟睡できてたってことなんだろうか?
田舎に帰って以来、父がもっとも影響を受けた人物のひとりということで小林秀雄を読んでいる。これがまた非常に難解である。創作はまだしも、批評ともなると半分もわからない。それも、小林が二十代に書いた文章というのだから、驚くべきはその教養である。ここまで難解であると、分からない人にとっては単なるペダントリー(衒学)ということになりはしないだろうか? すべからく、あらゆる批評というものはそういった傾向にある。果ては、書いた当人よりも難解で深い洞察をしたりするというようなパラドックスも生じる。哲学というのは、ただあるがままの物を言葉によって記号化したものに過ぎない、と思う。ある哲学・主義が生まれると必ずそれを否定したり対抗する主義が生まれるものだが、それも結局、同じ物を違う側面から見て述べているに過ぎないのではないか。つまり、両者の述べていることは本質的には変わらない。それどころか、あらゆる哲学者・批評家の発言というものは本質的に同じであるということができる。その意味では、哲学や批評といったものの行き着く先、終着駅というものが僕には見えない。
Posted by Sukeza at May 7, 2005 10:57 PM