January 22, 2005

最近読み終わったのは、アントニオ・タブッキの「遠い水平線」。最近の村上春樹を、カタルシスが得られないとよく評しているのだけれど、タブッキのこの小説もプロット自体から読後のカタルシスが得られるかというと、難しいところである。それどころかプロットが完結しているのかどうかすら怪しいところがある。しかし、タブッキの小説というのは、読んでいる最中にカタルシスが得られる。不思議な作家である。飽くまでも静謐な文体。たとえビビッドなアクションを書いていても、どこか淡々としている。これは文体のカタルシスということなのだろうか? しかし、それでは村上春樹と変わるところがない。タブッキの小説は巧妙に織り成された構成と、入り組んだ織物のような心象風景が絶妙にかつ一定の心地よいテンポで進んでいく。もちろん、個人的にはプロットでカタルシスが得られる「供述によるとペレイラは……」がもっともお気に入りなんだけど。

今日はDVDで映画を見た。相米慎二の遺作、「風花」。浅野忠信と小泉今日子という、どうやってもうまくいきそうにない組み合わせ。考えてみれば、浅野ともっとも競演が多いのは小泉の元亭主である永瀬正敏ではないのか? そのミスマッチっぽさが、配役上というか、ストーリーには上手くハマっている。どういうわけか、この映画も淡々とした映画である。相米の映画は嫌いではないが(「光る女」が好きだ)、この映画はどういうわけか、途中ポーズを押して台所に行ったりすることが多かった。僕がこらえ性がなくなったのか、それともこの映画が退屈なのか。ヴェンダースの「パリ・テキサス」に象徴されるように、往々にしてロード・ムービーというのは一見退屈なものではあるが(「パリ・テキサス」は大好きな映画である)、この映画に関してはいささか凡庸の域を出なかった印象。少なくとも、新たな発見というものはなかった。

Posted by Sukeza at January 22, 2005 10:27 PM
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