May 19, 2004

さて、特に書くべきことがない。今日はビデオで「アキラ」を見た。3度目かな。

最近読んだ本。ティム・オブライエン「ニュークリア・エイジ」、嶽本野ばら「鱗姫」。例の「世界のすべての七月」があまりに面白かったので、もう一冊、村上春樹訳のオブライエンを読んでみた。やたらと分厚い本で、いつ読み終わることやらと思ったが、案外早く読み終わった。この小説は本国アメリカで随分と評価が低かったようだが、たぶん主人公が途方もない小心者で臆病でおよそ男らしくない、自己肯定にばかりいそしんでいる男だからか。感情移入できないということかも。確かに、女性の方には申し訳ないが、女の腐った奴というのはこういう奴をいうのだろう、というダメ男。読み始めがうんざりするのはこの辺かもしれない。だが、それを越えるとすいすいと読めた。ま、主人公に悪態を吐きながらだけど。何を隠そう、この僕も大変な小心者だ。大概の人は多かれ少なかれそうだろう。よほどの脳天気でないかぎり。そういう意味では主人公を躍起になって否定したくもあり、その実、どこか自分を重ねてしまい、いつのまにか嫌々ながらも感情移入してしまっているのかもしれない。この時代を生きた人間は、この主人公と同じようになんかしら核戦争の恐怖に捕らえられた経験があるはずだ。かく言う僕もその一人である。僕はこの主人公やオブライエンよりも10歳ほど下なのだけれど、60年代というものを振り返るという意味でも面白い小説。60年代と言えば、僕の中では68年という年が印象に残っている。覚えているのは、68という数字だけなのだけれど。この年に何があったのか調べてみると、三億円事件、東大安田講堂の占拠、ソンミ村の虐殺、それにアポロ計画で初めて月面の映像が映し出されたこと。その他にも、金嬉老事件やら十勝沖地震やら。学生運動真っ盛り、そしてベトナム戦争と、何かと慌しく、騒がしい時代だった。最近気になっている若手の作家(阿部和重とか)が何故か68年生まれが多いのは、僕にとっては奇妙な符合だ。嶽本野ばらの書く女(男もだけど)はどうしてこうもいけすない女ばかりなのだろう。高慢で自分勝手で自己中心的で自己愛の塊のような。それでいて、面白く読めてしまうから困ったものだ。どうにも彼らの価値観というもの、美意識というものは生理的に受け付けないのだけれど。一種、フリークス、グロテスクなものを不快に思いながらも好奇の目で見るのと似ているのだろうか。それとも、どうにもいけすかない連中が崩壊してしまう瞬間を見たいだけなのかもしれない。ま、ろくでもない主人公という意味ではこの二つの本は共通性があった。

書くことあるじゃん・・・。

Posted by Sukeza at May 19, 2004 01:13 AM | TrackBack
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