letter

「手紙」

...

あれからあなたはどうしてますか? 僕はもうあなたの知っている僕ではないし、あなたも僕の知っているあなたではないでしょう。それでも僕は相変わらずひとりぼっちです。最近のことはぼんやりとして曖昧なのに、どういうわけかあなたの顔も声もいまだに覚えています。あなたに初めて触れた感触すらも覚えています。僕が覚えているのは出会ったころのあなたで、最後に会ったころのことはどうしても思い出せません。いつの間にあなたがいなくなったのか、まるで具体性がないのです。僕らの関係が終わりに近づくに連れて輪郭がぼやけていき、夕暮れどきの空に現れるグラデーションのように微妙に揺れ動いて気がつくと日が落ちた後に訪れる闇のようにフェイドアウトしてしまいます。そして僕は自分の影を見失ってしまいます。後には感情の記憶という、考えてみると実にいい加減なものだけが漂っています。だけどそれはとても鮮明です。あなたという存在が僕にとって一体なんだったのか、ときどき分からなくなります。まるでそれが僕が若かったことのしるしだけであるような気すらします。僕らがお互いの感情をぶつけ合って溶け合い、そして反発し、また引き寄せあい、そしていつの間にか遠ざかってしまうというその意味を、あなたが今あのころのあなたとして存在しないことで見失ってしまいます。あなたが残したちょっとした手書きのメモ、引越しの準備をしていてそんなものが出てくると湧き起こるこの切なさは一体なんなのでしょう? そういうとき、恐らく僕は時間というものすら失ってしまうのでしょう。あるいは忘れてしまうのでしょう。ただそこにあるあなたの筆圧、言葉、紙に刻みつけられた思い、感情、それが単なる過去のものであるとはどうしても思えないのです。それが化石であるとはどうしても思えない。それは今、この瞬間にまざまざと存在しているのです。あなたに会いたい、と切実に思います。でもそれは既に通り過ぎてしまった、あのころのあなたであることを僕は痛いほど分かっています。この大いなる矛盾は僕を束の間の混乱に陥れます。過去とは、記憶とは、思い出とはなんなのか、僕には理解出来ない。真実がどこにあるのか、僕の記憶がどこまで正しいのかすら分からない。でもそこには確かにリアルタイムの感情がある。あのときの匂いがある。でも僕には自分が一体何を希求しているのか分からないのです。結局僕は誰もがそうするようにそれらの全てを封印します。完全に忘れることは出来ない、だから封印するのです。でもどうしてそれがこんなにも切なくて息苦しいのか、それを単なるセンチメンタリズムの一言で片付けていいものか、何が正しくて何が間違っているのか、そんな風にただ通り過ぎるだけの感情や疑問が僕の中に確かにあるのです。そう、僕はいまだに考え過ぎるのです。悪い癖です。たぶん、すべてはあるがままにあればいいのでしょう。ただ、不意に、僕があなたがどこにいて何をしているのかも知らないことに気づくのです。存在と不在がまったく等分に自分の中にあること、数学的には足してゼロになるはずなのに、確かに僕の記憶や感情は存在するのです。僕の心のどこかに。

あなたは誰ですか?

written on 27th, oct, 2010

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