the last night

「最後の夜」

...

今日はこの部屋で過ごす最後の夜だ。

この用賀のアパートに来てもう十六年近い歳月が流れた。僕の人生の三分の一以上をここで過ごしたわけである。それは結構な時間だ。もし僕の人生にどこか折り返し地点のようなものがあるとすれば、それはここに引越して来たときになるだろう。

最初の転職をして、最初にもらった冬のボーナスで引越した。M夫妻の会社は、冬のボーナスだけは結構な額だった。僕が二十七歳の冬だったと思う。ちょうどバブルに重なって、世の中がまだ浮かれていた時代だった。学生時代からそれまでは、ずっと高円寺界隈に住んでいた。それも皆見事なまでのボロアパートである。僕はこの用賀のアパートに引っ越してきて、自分が人生の上昇期にあることを(もしかしたらそれ自体勘違いかもしれないけれど)、新しく引越してきた街の幹線沿いにある大きなマクドナルドや、幅員があるのに一方通行ばかりの余裕のある街並みや、ほぼワンブロックごとにある公園の緑や、まだ燦燦と日の当たっていた分不相応に広い新しい部屋を目にするたびに感じていた。実際振り返ってみれば、ここに引越してからの自分が、大人になった自分と言えるような気がする。

それから僕は人生の絶頂とどん底を味わった。盛りのついたようにとっかえひっかえ女の子と付き合ってはセックスしたり、かと思うと世界にただひとり取り残されたような孤独を味わった。身を焦がすような恋や、身を捩るような片思いや、救いようのない失恋を経験した。いい気になって人を救ってみたり、絶望の淵で人に救われたりした。

僕の人生が波のように揺らいでいる間に、いつのまにか目の前に二階建ての家が建ち、日はそれまでの半分も射さなくなり、それとともに部屋は湿気でどんどん重くなり、世の中は前代未聞の不況に陥り、そして僕は鬱病になった。公園のひとつが閉鎖されて有刺鉄線が張り巡らされ、近所の豪邸は空家となった。マクドナルドはマンションになった。

そんな僕を救ってくれた人が居た。そんな僕を雇ってくれる会社があった。世界が少し違って見えるようになった。僕の頭には白髪が見つかるようになった。父も母も年老いた。笑っちゃうけど、希望というものがちょいと見えた気がした。いろんなものを捨てる決心がついた。

最後の晩餐はちょっと高めのカレーだった。夜の道を戻りながら、初夏に嗅いだミモザの匂いを思い出した。この部屋で迎える最後の夜はとても静かだ。キーボードを叩く音だけが響く。すっかり煙草のヤニが沁みついた壁。ところ狭しとダンボールが重ねてある部屋の風景は殺風景だが、それでもいつもの匂いがする。十六年間の匂い。僕の人生。その三分の一をここに置いていこう。あとひと眠りすれば、僕はもうひとつの人生の折り返し地点を曲がる。折り返し地点というのは、なにも一ヶ所だけではないのだ。

感謝します。

written on 13th, oct, 2002

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