kogal

「ってゆーかー、なわけだしー」

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あのね、恥ずかしい話なんだけど、パチンコ毎日打つようになってから、生まれてからほとんど買ったことのない定期使ってんだよね。要するに毎日切符買うの面倒くさいし、万が一有り金全部負けてすっからかんになっても帰れるし(笑)。で、ここんところは二子玉川−渋谷っていう定期を使っている。なんでニコタマかって言うと、値段が一緒だから。

今のところ(用賀)に引っ越してきてからもう13年めになるんだけど、車にしても電車にしても、何にしても渋谷経由なんだよね。この13年弱のあいだに会社もいろいろ変わったりもしたんだけど、1年だけ逆方向(横浜)に通っただけで、あとは全部渋谷から市ヶ谷のあいだに収まってる。おかげで新宿・池袋方面はとんと疎くなってしまった。ましてや山手線の東側・北側はもちろん、神田・御茶ノ水界隈もほんとに行かなくなった。昔住んでた中央線沿線なんかは、それこそ仕事でライブがあるとか以外は偶然以外では近寄らなくなってしまった。

行きにしろ、帰りにしろ、何かにつけて毎日渋谷にいるわけで、フリーになってからは打ち合わせするのもほとんど渋谷の喫茶店。ちょっと楽して地元の用賀。そんなわけなので僕にとっては自宅の次に渋谷にいる時間が長いわけで、すっかり自分の地元のような気がしている。かと言って、隅から隅まで知り尽くしている縄張り、なんてことはなくて、意外と自分の動く範囲は決まっていたりする。まあ、犬が小便を撒いているテリトリーのようなもの。悪名高いセンター街なんてあんまり通らないし、HMVが引越したのも最近ようやく気づいた。それだけ最近CD買ってなかったってことなんだけど。

それだけ長いことそれこそ深夜までうろうろしていても、渋谷で恐い目にあったことは一度も無い。一時期チーマーなるものが流行ったときですら、どれがチーマーなのかもよくわからなかったし。ただ鈍感なだけかも知れないが。さっきの犬の小便の話じゃないけど、人間て気づくと意外と自分の安心できる範囲をうろうろしていて、結局気に入った喫茶店とか本屋とかの間をうろうろしてるだけなんだよね。これが山の中ならけものみちが出来ているところだ。

そんな感じなので、10年以上もうろうろしていても常にぼーっといつものところをいつもの感じで動いているという意識があるので、案外世の中が変わっているのに気づくのが遅かったりする。年寄りの散歩と一緒だ。渋谷と言えばコギャル文化のメッカであるわけで、世の若者連中のあらゆるものの走りになっているわけなんだけど。

数年前にいつもの喫茶店でぼーっとコーヒーを飲んでいると、となりのテーブルの高校生のカップルがいきなり喧嘩を始めた。というのも、「てめえ、ふざけんじゃねーよ」と女の子のいきりたった声が聞こえたから。しかし、よく見ると二人ともニコニコして楽しそうである。マジで怒った声に聞こえたのだが。はて、と思って喫茶店を出て道玄坂の信号待ちをしている間に目の前の女子高校生の二人組の会話を聞いてみると、やっぱり「むかつく」とか「うっせえ」とかになってる。こんな感じで朴念仁の僕は世の中にコギャルとかコギャル言葉が発生したのにハタと気づいたのでした。

で、気が付いてみると渋谷どころか行く先々すべての中高生の女の子がいつのまにかルーズソックスを履いていて、品の無い言葉を連発して、同じようなルックスになっていた。多少ロリコンの気が無きにしもあらずだった僕は、選択の余地がなくなってがっかりしてしまったのでした。だって、みんな一緒なんだもの。なかでもどいつもこいつもアクセントからイントネーションまで一緒くたになったのはがっかりもいいとこだ。これではまるで終戦直後に若い女の子全員がパンパンになってしまったようなものではないか(そんな昔知らないけどね)。日本全国総場末の女化が進んでるってとこか。

考えてみると、そんな兆候はもっと前からあって、随分前に女性アーティストのジャケットの打ち合わせかなんかをしたときに、スタイリストの太ったおばさん(僕より10歳は上だと思う)が、「いまどきってかんじ−」なんてしゃべってた。何がいまどきで何がかんじーだ、その前にやせろよおばさん、とその時は内心思ったのだが、メディアの中の連中がこれではね...。

別に分別くさくみんな揃って正しい日本語を話ましょう、などと言う気は無いが、せめていい子とモノホンの馬鹿の区別がもっとわかりやすくなってくれると有り難いんだけど。ま、悪い子の僕が言えた義理では無いが。しかし、昔の少女漫画では、「エースを狙え!」のお蝶夫人みたいに「...でしてよ、ひろみ」なんてキャラクターがいたり、極端だね。

ちょっと前の新聞にこの今の女の子が男言葉を使うことをやけに肯定的に書いていたのを見たが、こんなことでガキに媚び売ってどうすんのかね。宮台某といい、必ず味方につきたがる、理解したつもりになろうとする奴というのは必ず出てくる。こういう人間に限って、当の女の子連中に反撃を食らうと脆い。どうでもいいけど、「むかつく」ってのだけは許せないね、傲慢で。もちろん一番ダサいのは、なんでもかんでも「ちょー」つける奴。どうせ「超」から来てんだろ、オヤジギャグのレベルと変わんないよ。

こんなこと書き始めたのも、ビデオに録画しておいたWOWOWのドラマ「天然少女萬」を見たから。舞台が渋谷で、出てくる女の子がそれこそみんなコギャル。でもおもしろいし、妙なリアリティあったりするんだよね。前に紹介した原田真人の「バウンスkoGALS」もそうなんだけど。ただ、ここで感じるリアリティと、自分の知っている渋谷と妙なズレを感じるんだよね。異次元みたいな。もしかしたらそれがジェネレーションギャップっていう奴かも知れないな、哀しいことに...。

知らんまにやたら長くなっているが、いまさら遅いのでついでに書くと、たまに作詞教室とかやっても思うんだけど、なんだかんだ言ってプロアマ含めてコギャル言葉で詞を書いてくる女の子ってほとんどいないんだよね。普段はしゃべってても歌詞書くだんになると普通の日本語で書いてくる。だいたいこういうのを書いてくるのは男。不思議なものだ。ま、要するに物事を表面だけ見て分かった気になってるという典型的な例だろう。ん?オレもそうか...。

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