my favorite things vol.2

「記憶」

小説書こうと思っている。芥川賞狙ってます。バカなので結構マジ。

先日京極夏彦の新作「塗仏の宴 宴の始末」を読み終わった。

京極は純然たるエンタテインメントとして新作を楽しみにしている作家だ。彼はミステリとしても、ましてや文学作品としても、評価しない人は全く評価しないタイプの作家だろう。それだけアクが強いし、ある種キワモノではある。好き嫌いの別れるタイプ。僕は支持しているほうだが、さすがに今回は力技が過ぎた感もある。相変わらずの伏線だらけで構成自体も伏線になっているという、折原一にも通じるスタイルであるが、この伏線の張り方が度を越す寸前に来ているので分量的にもいささか疲れるところもあるし、それがまた楽しみだったりもする。要はバランスの問題だ。ただ今回はいささか無理があったか...多分余裕のないところで書いたのか?あまり力技が過ぎるとかつての島田荘司と同じ道を歩んでしまうことになりそうで心配だ(確かに近いところはある)。相変わらずの圧倒的な情報量には感心することしきりだが、今回は塗仏の必然性がいまひとつ感じられなかった。まあ、全てを偶然で解決してしまうというかつての森村誠一のような安直さまではまだいっていないが...前作が見事なバランスだっただけに、次作は慌てて書かずにじっくり腰を据えて書いて欲しい(今回慌てて書いたかどうかわからないけど)。早く読みたいのはやまやまだけど。

ところで、この「塗仏の宴 宴の始末」に記憶を操作するという話が出てくるのだが、最近記憶をなくした経験を持つ人とたまたま話す機会があった。その人(女性)は階段から落ちてひと月ほど記憶をなくすという、一昔まえの少女マンガのような経験の持ち主で、僕も興味津々で話を聞いた。その人の場合は程度が軽かったらしく、まず家族や友人が誰だかわからない、自分がなぜここ(病院)にいるのかわからないということからスタートして、見たことはあるが名前が出てこないというふうに徐々に回復していって、一ヶ月後には元に戻ったということだった。僕はアルコールが全然飲めないので、酔っ払って覚えてないという経験もないので、記憶をなくすという状態がなかなかピンとこないのだが、もしもう少し症状が重くて自分が誰だかわからない、自分の顔も覚えていないという状態になったらどうなるのだろう?鏡を見たときに、この人だれ?と思うのだろうか?もっと症状が重くて自分が男か女かも忘れてしまったら、あ、私は女だったんだと思うのだろうか?もっと症状が重くて自分が人間であることすら忘れてしまったら、あ、私は人間だったんだと思うのだろうか?もっと症状が...やめとこ。

ちなみにこの人は駅のホームから突き落とされて骨折でいま入院しているということなので、みなさんもホームで先頭に並ぶときはくれぐれも注意しましょう。あ、オレじゃないよ、押したの、念のため言っとくけど。こういうヘンな目に何回も会う人というのはいるもんだ。UFOに誘拐されたという人は何回も誘拐されるし...要するに一種の類は友を呼ぶってやつだな。

以前アメリカのアーティストで記憶喪失だったことがウリ(!)のジョン・パーというシンガーがいた。ホントかよ。1曲だけ名曲があった。

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