insanity

「狂気(2)」

...

日が落ちてからこのところの習いで気が滅入ってきて、ある種の閉塞感に僕は捕らわれていた。いわゆる精神的に煮詰まった状態である。何か気分転換をしたいと思い、散歩がてら駅前までメシでも食いに行こうと歩き始めた。しかし実際のところはまったく腹は空いていなかった。ラーメン屋でつけ麺でも食べようと店に行くと、ちょうど小さい子供を連れた親子連れが食券を買うところであり、僕はなにしろ子供、特に小さい子供が殊の外苦手なので、一旦店を離れて駅ビルのドトールで時間を潰すことにした。壁際の席でエスプレッソを飲むが、気分は一向に上向かない。なんというか、気分というものに上から蓋でもされたようである。スマホでネットを見たり、持って来た文庫本を読んだりしたが、そのうちどうにもいたたまれなくなり、もうどうでもいいやとふたたびラーメン屋に向かった。

辿り着くと、ちょうど食券販売機の前に恐らく僕とそう年齢が変わらない年配の小太りのオヤジが一人佇んでいた。しばらく順番を待っていたがいくら待っても食券を買おうとしないので、「すみません」と声を掛けて先に食券を買おうとした。普通はそうするとどうぞと先を譲るものだが、この男はまったく動こうとはせず、そのうちなにやらぶつぶつ独り言を呟きながらようやく食券を買い始めた。で、小銭を入れようとして取り落とし、床に落ちた。その途端に男は大声で、「すみません、100円落としました、誰か拾ってください」と大声でわめき始めた。こいつはどうもヘンだぞ、と僕はようやく気がついた。周りには僕しかいない。要するにこの男は駅前にある精神病院に通っている類の人間なのだ。僕は男が落とした100円玉を探してあげるどころか、微動だに出来なくなってしまった。正直、ただ薄気味悪かった。係わり合いになりたくなかったのである。よって、男がようやくわめくのをやめて店に入ったときには、男が果たして100円玉を発見したのかどうか、分からなかった。店に入ると、僕は男と離れたカウンターの席に座った。男はカウンターの中でラーメンを作っている店員に向かって、「あの、くるくる回る奴ありますか?」などと訳の分からないことを言って店員を困らせていた。僕らがこの手の人々に恐れを抱くのは、彼らの言動が予測がつかないからだ。人間はよく分からないものに対して恐怖心を抱く。彼らは一見反応が鈍そうでいて、それでいて先程の100円玉を落としたときのように突如としてスウィッチが入ったりする。僕が首を傾げたのは、男の顔つき、表情はどちらかというと不機嫌そうで、ダウン症候群などの知的障害に特有の顔をしていないことだ。これをどう理解したらいいのか、いや、理解する必要はないのだろうけど。僕が常々疑問に思うのは、タマに出くわすこの手の人々が、一体どうやって生活しているのだろうか、ということだ。もちろん家族が面倒を見ていることは想像に難くないが、親に面倒を見てもらっているにしては前述のようにこの男は年を食い過ぎている。こういった奇矯な行動を取る人々が往々にして一人で出歩いている、というのもそう考えてみると疑問だ。さらには……と考え始めると切りがない。大体において今の僕は自分を持て余している人間であるから、自分のことで手一杯で、かくの如き人たちのことをあれこれ考えている余裕はないはずである。

そんなわけで突然現れた人物に気を取られ、つけ麺を食べ終わって店を出て帰途に就く頃合には、僕の上に蓋をしていたものは何処かに行ってしまったようだったが(けして気が晴れた、というものではないが)、歩きながら、そういえば僕は日記によく「精神科の医者に行く」と書いているけれども、もしかしたら読んでいる人の中には僕もこの手の人だと思っている人もいるのではないだろうかという考えがふと浮かび、ぞっとした。しかしながら人間というもの、大なり小なり幾ばくかの狂気というものは誰しもが持ち合わせているのではないだろうか。それがどんな形かというだけで。もしかしたら何をもって狂気と呼ぶか、というそれだけの話なのかも知れない。

written on 13th, oct, 2012

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