dream

「ラビリンス」

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フロイトの「夢判断」を読んだのは随分昔の話で、もうすっかり中身は忘れてしまった。いずれ通説で言われている通り、夢とはなべて暗示なのであるとすれば、初めに現実ありき、ということか。僕などは見たいとも思わないが、予知夢さえも己の願望の投影であるとすれば、いずれにしても夢とは現実を後から追いかけてくるものであるのだろう。夢を構成するものが記憶の断片であるならば、それもむべなるかなである。

最近やたらと夢を見る。すべて悪夢かそれに近いものだ。楽しくて幸せでずっとこのまま見続けていたい、などという夢は久しく見ていない。よしんばそんな夢を見たところで、どうしても続きが見たいと無理矢理二度寝してしまうのも、所詮現実逃避と考えれば虚しいことである。大体近頃ときたら、まずまず楽しい夢かと思っていても、次第にさながら迷宮をさまようかの如く、静かに崩壊するカオスへと迷い込んでしまうのだ。フロイト流に解釈すればどうなるのか知らないが、夢などというもの、自分の意思である程度はストーリーやら展開やらを変えられるものだから、どこかこんな都合よくうまく行く筈が無いなどと思っている自分がいるのだろうか。

幸せでなんのストレスも無い人は夢など見ないのだろうか?少なくとも悪夢は。果たして夢を見ないほど現実に満足するなどと言うことはあるのだろうか?もしあったとしてもそれが幸せなのだろうか?それとも夢など見る暇も無いほど疲れ果てて深く眠る方が幸せなのか。そう言えば僕にもかつてしばらく夢を見ない日々があった。

いずれにしても、夢の細部まで覚えていることなどほとんど無い。起きて朝食を食べ終わるころにはあらかた思い出せなくなっている。先日テレビで、脳は一時的に記憶したものを必要なものと思ったものだけ格納する、ということをやっていた。とすると、少なくとも僕の夢は脳が記憶したくない、或いは記憶する必要が無いと判断していると言うことか。不思議なことに、子供のころに見た夢の方が今でも鮮明だ。学校の校舎の中を飛び回った夢、死刑台の階段を昇る夢...。この死刑台を昇る夢の記憶が一番強烈だ。十三階段を昇る夢。本当に死刑囚が昇る階段は十三段なのだろうか?このとき見た夢は、老婆を殺害して死刑台送りになる、という筋だった。なぜ老婆だったのか。恐らく、未だに読もう読もうと思って読んでいない、「罪と罰」のあらすじでも頭にあったのだろう。この夢が残ってしまったのは、目覚めたときにもしかしたら自分は本当に人を殺してしまったのだろうか、と考えたこと。もしかして、それを記憶の隅に追いやってしまっただけなのではないか、と。たぶん、僕は子供心に自分の中にも人を殺してしまう可能性がある、ということに怯えていたのだろう。いずれにしても僕は考えすぎる子供だった。

やたら長い夢を見ることがある。もし、夢を見ている長さと現実の長さが同じだったら、どこで夢と現実を区別すればいいのだろう?

僕は今でも学生時代からちっとも人間として変わっていない、変わったとしてもほんのちょっとだけだ、などと思っているが、実はそのほんのちょっと変わった部分が大人になったということなのだろう。自分を今でもまるでこれじゃあ少年ではないか、などと思ってはいても、それは世間一般と比べて相対的に思っているだけで、実際に自分が少年だったころとは雲泥の差なのだ。最近、このfragmentsに書いたせいか、高校のころ初めてつきあった女の子のことを思い出すようになった。別にセンチメンタル極まって思い出している、という訳ではないが、そう言えば僕はどう言葉をかけて付き合い始めたのだろう、とふと思ったのだ。あの頃の僕は、いまに輪をかけてシャイだった。いったいなんて言ったのだろう。今では立派なお母さんになっているであろう彼女を見つけて訊いてみたいものだ、などと。ばかげたことだ。そうこうしているうちに、ふと閃いた。僕は彼女に写真をもらっていたのだ。結局僕はふられてしまったわけで、当時一緒にバスで帰るときも、彼女はなかなか目を合わせずに、いつも窓の外に目をやっていた。僕はそれがいつも気になっていて、きっと彼女は自分のことを好きではないのだ、などと心の片隅にずっとちょっとした傷となって残っていた。しかし、考えてみると、僕に写真をくれたり、一緒に帰ったり、喫茶店に行ったり、一生懸命聖書の話をしてくれたりしていたのだ。僕は一体何を引きずっていたのだろう?何を疑っていたのだろう?もっと自信を持ってもよかったのだ。あれ以来、僕はどこか自信を失っていたのだ。女性に対しても、あらゆることに対しても。いまごろ気付くなんて。その意味では僕はずっと愚かで傷つきやすい少年のままだった。

願わくば、あの田舎のバスの中で、隣の席に座っていた彼女がちょっとだけ体をずらして僕に身を寄せてくれた瞬間を夢に見たい。あのときはきっと、少年だった僕は世界で一番幸せを感じていたはずだ。夢でもう一度あのときの自分に会いたい。そして、今度こそ自信に満ち溢れるのだ。あの田舎のバスで。悪夢の代わりに。

さあ、もう寝よう。おやすみ。

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