death

「死と僕」

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僕の祖母は、僕が高校生のときに亡くなった。胃癌だった。僕が人の死骸というものを見たのは、後にも先にもこのときだけだ。死んでしまった祖母の遺体は、まさに形骸と呼ぶのにふさわしかった。もうそこには何もないのだ、と僕は思った。

とはいうものの、47年も生きていると、いろんな死には遭遇している。僕の人生には、振り返ると、累々と死が連なっている。以前書いた話なのだが、小学生のときの担任が、20年後に同級会をすると、私の経験から1人か2人は死んでいる、と発言して随分とショックを受けた。僕がショックを受けたのはその確率の高さだ。たかだか40人ばかりの生徒の中で、20年生きられない生徒が1人か2人、その確率はとんでもなく高いように思えた。思えば、後に僕がパニック障害にまで至る死への恐怖は、この時点から始まったのではないか、と思う。この先生は罪な先生だと思う。しかし、予言は的中してしまうのだった。

僕の生まれ育った町は、平凡で平和で、絵に描いたような田舎町だった。泥棒すら珍しいほど平和だった。事件らしい事件など、何も起こらないような町だ。それでもたまには小さな事件は起こる。ごくたまにだけれど。子供のころから、僕の周りで起こった「死」を列挙してみようと思う。それも、僕の身内か友人・知人に限って。

子供のころ、遠い親戚である元船乗りで脳梅毒に犯された男が、自宅で郵便局長を勤める兄の首を、日本刀で叩き切った。首は皮一枚だけ繋がっていたという。

小学生のころ、町内に住む叔母が自殺した。叔母はまだ若く、果物ナイフによる自殺だった。風呂場で胸を突いて、ショック死した。

ノイローゼで休学していた高校の同級生が、自宅に泊まりに来た親友をナイフでめった刺しにして殺した。この親友というのは、やはり同級生で、うちに出入りしているスーツ屋の息子だった。刺し傷は50数箇所に及び、殺した後、裏山に逃げて、山狩りの末に翌朝捕まった。

前述のように、高校のときに祖母が胃癌で亡くなった。

このころ、何も事件の起こらないわが町で、大きな事件が起こった。近所の大きなうちで、気の触れた祖母が、一家を斧を持って追い回し、5人殺したのである。まるで横溝正史の小説に出てくるような、猟奇的な事件だった。久々に起きた大事件だった。

埼玉に住む叔父が心臓発作で亡くなった。まだ40代か50代だったと思う。

大学時代は、珍しく「死」というものに遭遇しない時期だった。

卒業して初めて入った会社で、同僚だった同い年の男が、退社を決めてバリに旅行に行って帰ってきてから発病し、半年後に亡くなった。今思うに、死因はエイズだったのではないかと僕は思っている。

旅館に勤めていて、そこで客に見込まれて婿に行った、僕の小中学校の同級生が病死した。これで、あの先生の予言は的中したわけである。

僕が27歳のとき、中学校の同級生で防衛医大に進んだ友人が、コタツで孤独死した。恐らく心不全とか、そういうものだったと思うが、とにかく突然死だった。

その翌年あたりだったと思う、大学の同級生で、同じサークルだった友人が癌で亡くなった。彼は同級生と結婚して大手広告代理店に勤めていた。

30歳のころ、大学で同じクラスだった長野の友人が自殺した。自殺というのは随分後になって聞いた話だ。したがって、原因やどうやって死んだのかは分からない。内気でいい奴だった。

中学校のときの同級会に出たら、同級生の女の子の父親が首を吊って自殺したことを聞いた。ちなみに、僕の実家の近所のお爺さんも、電気コードで自殺している。

30代の中盤ぐらいまでは、これといった死には遭遇しなかったと記憶している。

母方の祖母が病死。

最初に入社した会社で当時編集長をやっていたH氏が病死。アルコールが原因だったようだ。葬儀に行ったかつての同僚の話によると、晩年は貧困で悲惨だったらしい。

このサイトを立ち上げ、最初にメールを通じて遭ったアーティストの女の子とちょっと付き合う。彼女は2年後にマンションの4階から落ちて死んだ。事故説と自殺説に分かれたが、背の小さい女の子だったので、僕は自殺だと思っている。

母方の叔父が病死。熟年離婚をして、心臓病で死んだ。

かつて仕事で随分と世話になった、作曲家の井上大輔氏(本名忠夫)が首吊り自殺。奥さんが長年酷い躁鬱病で、ずっと付きっ切りで看病していた。

町内の叔父が病死。

最初の転職で入ったM任谷夫妻の会社で、僕に音楽業界のノウハウを教えてくれたNが病死。僕よりひとつ年下だと思っていたが、実は2つ下だった。

まあ思い出すかぎり、ざっと書いてみるとこんな感じだ。一応年代順に書いたつもりだけど、ところどころ怪しい。それは僕のすっかり弱った記憶力のせいだ。こうして書いてみると、思ったよりは少ないな、とも思った。僕ぐらいの年の人間としては、多いのか少ないのか分からない。親戚に関しては、もっといると思うのだが、なにしろ覚えていない。いずれにしても、僕のような人間でも、たったの47年間で身の周りの人がこれだけ死んでいる。「死」とはなんだろう? 僕は「業(ごう)」だと書きたいが、もしかしたら運の尽きかもしれない。僕は20歳のころからパニック障害になり、死を酷く恐怖するようになった。それは「無」の象徴であり、「未知」の象徴であった。以後四半世紀近く、僕は恐怖に苛まれ続けた。パニック障害も治った今、僕はもう少し「死」というものを客観視できるようになった。先ほど書いた、「業」や「運の尽き」という発想もそこから出てきたものである。つまり、簡単に言えば、「運命」ということだ。僕はなにも運命論者ではないが、人間の死に何事か因縁や原因のようなものをつけるとすれば、そういう運命であった、としか言いようがない。もしも「死」が運の尽きなのであれば、生きている僕にはまだ運が残っているということになる。そう考えれば、少しは気が楽になる。こうやって書き連ねてきた、あの世に旅立った彼らも、何事かを全うしたのだ。それが早いか遅いかの違いだ。僕は以前よりも、死を受け入れる準備が自分の中に出来つつあると思う。まだ悟りを開くほど人間は出来ていないが、それでもただ恐怖していただけのころとは違うと思う。いつそれが自分に訪れるのか、それは誰にも分からない。もちろん、僕にも。救いがあるとすれば、そういうことなのかもしれない。ただ、いざ死期を悟ったとき、僕は何を思うのだろうか。いまだに恐怖するのだろうか。それとも、従容(しょうよう)としてそれを受け入れるのであろうか。僕は誰を思い出すのであろうか。何のメロディを口ずさむのだろうか。そして、一番肝心なこと、その先には何があるのだろうか。分からなくていいのである。分からなくて当然だからだ。いったい、僕らが人生について何を知っているというのだろう? 

written on 9th, may, 2007

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