辺境の夜

11月4日、日曜日。

そんなわけで今日は仙台のメトロポリタンホテルで弟の長男、つまり甥っ子の結婚式だった。

9時20分にアラームで起床、10時過ぎにホテルをチェックアウトしてからちょっと道に迷ったりして会場のホテルに着いたのは10時半近かった。喫煙所で一服してロビーに出るとちょうど叔父(母の弟)と出会ったので一緒に3階へ。控室で親族の紹介(とてもじゃないが覚えきれない)、新郎新婦と親族の写真撮影、それから結婚式、続いて披露宴。どうでもいいが、甥っ子の同僚とか友人とか若い人が多かったのは当たり前だが、スニーカー(一応黒)を履いているのは僕だけだった。ここでもまた場違い感が凄い。20年振りに会った弟の嫁の姉(昔は美人だった)に34年生まれですよね?同じですよね?と話しかけられ、昔はキラキラしてましたよね、原宿とか……とあまりにもケレン味なく話しかけられてちょっと怖かった。これまた20年振りぐらいの披露宴はいろいろ趣向を凝らしているのでやたらと長く、幸せというものは随分と騒々しく疲れるものだった。なんだかんだで終わったのは3時半、身も心もすっかり疲れ果てた。

恐ろしく疲れ果てているのに、そのまま車を運転して帰らねばならない。幸いにして、48号線は上りは恐ろしく渋滞していたものの下りはそれほどでもなく、1時間半ほどで帰宅。帰り道、ちょうどこの町に差し掛かったところで見えてきたこの町の夕暮れは恐ろしく美しかった。昨晩から帰りたい帰りたいと思っていたので、ようやくうちに着いて物凄くほっとした。昨日泊まった部屋の少なくとも倍の広さはある台所で珈琲を淹れて飲む。やっぱりこの町が一番安心する、うちが最高だとは思うものの、どうもそれだけではない。なんだかとても寂しいのである。台所の散らかり具合すら寂しい。それはもしかしたら今日の結婚式で物凄くたくさんの人間と会ったからかもしれないが、どうやらそれだけではなく、もっと根源的なところにさみしい要因はあるように思われた。

6時半ごろに母のところに行って今日の結婚式と披露宴の写真をスマホで見せた。帰りがけにスーパーに寄ってオムライスを買って夕飯。夕食後の夜になって、先ほど感じた寂しさは突如として決定的なものとなった。物凄く寂しい。あまりにも寂しくて、到着時の安心感がどこかに行ってしまった。自分の住むこの田舎町が辺境に思えてきた。その、ただでさえ辺境の町にたった一人でいる、それが恐ろしいほど寂しかった。これは実に不可解だ。僕は18のころから、人生の大半を一人で暮らしてきた。つまり、一人暮らしの生活というのはむしろ僕にとってはデフォルトなはずである。それが何故ここまで寂しいと思うのだろうか。

結局慣れるまでに少し時間を要した。とりあえず何かに没頭する必要はあった。それで例によってBABYMMETALの動画を延々と見たり、「ウォーキング・デッド」のシーズン1を見たりした。そうやってようやくこのうちに一人でいることに少しずつ慣れてきた。「ウォーキング・デッド」のシーズン1を最後まで見て面白かったが、やっぱり昨晩、深夜の仙台の繁華街を徘徊する人々が怖かったのは、ゾンビに思えたからなのだなと。要するにちょっとした対人恐怖症のようなものかもしれない。20年振りに会った同世代女子に異様に元気よく話しかけられて怖かったのもそういった対人ストレスなんだろう。その一方で、誰もいなくなった途端にウサギのように寂しくなるのだから人間というのは厄介なものである。

ひとまずこの二日間で分かったのは、今の僕に欠けているのは社交性とか協調性というよりもむしろ、社会性とか常識といったものじゃないかということ。とにかく疲れた。

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