回顧

10月29日、月曜日。

目覚めると、夜明け前……というのは大貫妙子だが、今日は目覚めると12時8分、お昼過ぎだった。

それはともかくとして、昨夜寝る前にメールをチェックしたら、見知らぬ方からメールがあって、僕の数年前のツイートを見つけて昔の(ネット上の)パチプロ仲間である大阪のKTさんのツイッターアカウントはこれじゃないかというものを教えていただいた。そのアカウントを見るとほとんどがバドミントンのツイートになっていて、「?」という感じだったが、今日ツイッターのDMで確かめたところ、確かにKTさん本人と判明。懐かしかった。彼とコミュニケーションを取ったのは15年振りぐらい?

で、夜になって最近とみに気になっていた、30年前に仕事をした人間で一人だけどうしても名前が出て来なかった人物を、やはりツイッターのDMで業界の人に問い合わせたところ、なんのことはない、ウィキペディアに名前が載っていたということが判明、どうにも思い出せなくて気持ち悪かった名前をようやっと思い出した。その辺の繋がりで当時仕事でやっていたオメガトライブ関連の動画をYouTubeであれこれ見ると、どうも自分の記憶が混同していたことが分かり、ジャッキー・リン&パラビオンのメンバーだと思っていたシンガーが1986オメガトライブの方だったりと、人間の記憶がいかに怪しいかということを身をもって知る。

それにしてもしかし、前述の人物(森口)をどうやっても思い出せなかったのに、名前を聞いた途端に思い出すというのは、人間の記憶の構造とは一体どうなっているのだろうか。以前何かで読んだところによると、人間の記憶は重要度によってプライオリティがつけられて重要なものだけを階層的に覚えている、というようなことだったような気がするが、実際のところは何かのスイッチというかきっかけさえあればどんな些末なことでも思い出すことができるというのは実に不思議だ。そういう意味ではあらゆる事象は脳内のどこか(海馬あたり)のシナプスに留められているのではないかという気すらする。ただそれを引っ張り出すためには、なんらかのきっかけでディレクトリ構造のようなものを辿っていかないと辿りつかない。ただ、我々が考えている以上に人間というものはいろんなことを記憶しているものなんだなと。そういう意味では、完全に忘れるということは実はあり得ないのではないかという気すらしてくる。

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今日はトレードを3回しかしてない。日中と母のところでスマホで取ったものと。明日車検なので銀行に行ったり町役場に納税証明書を取りに行ったりしてたので。さすがに今日は業務には行かないかと思っていたのだが、相場のポジションを利食いした後、夕方近くになってからなんとなく今日も行ってしまった。というのも、以前午後のこれぐらいの時間はむしろ空いていたような気がしたから。行ってみると案の定そうで、昨日の台も空いていた。見ると、昨日は結局5倍近くハマっていた。つまりあのまま追いかけていたら確実に死んでいたということなのか。それとも人が変わればタイミングも変わるのだろうか。ともあれ、頭上のデータを見ると今日は単発が3回。ということは、35%の通常しか当たっていないことになる。どれどれ、ということで打ってみると、今日は当たった。やはり通常。35%が4回続くのかよ、と思いながら続行するとまた当たった。驚くべきことにまたしても通常。しかしここから時短で確変を引き戻して12連チャン。8000発弱のプラス。こうしてみると、確率っていうのはよく出来ているものだなと。なんとなくどこかで辻褄が合うようになってる。そう考えると、徹頭徹尾悪いことばかり続くわけではないということになる。つまり、酷い目に遭ったらその分ぐらいのいいことも起こり得る。もちろん何事も完璧にバランスが取れてイーヴンになるわけじゃないと思うが。いずれにせよエネルギー保存の法則的な、もしくはE=mc2的な何かを感じる。僕らの人生や記憶は、なんらかの公式で等分になっているのではないかと。そんな気がする。

おっと、明日は朝ディーラーが車検で車を取りに来るので、今日は早く寝なければ。しかし、当たり前だが昼まで寝たので全然眠くない……。

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