砂の器

2月27日、火曜日。

どうも今日が火曜日だったということがピンと来ない。いずれにせよ、起きる時間が遅過ぎるのだ。今日もくだらない夢を見て起きたのが10時58分。ちと救い難い。昨夜は寝たのが3時半と遅過ぎた。午後からちらちらと細かい雪が舞い降りて、夕方ごろには本降りになって少しだけ積もった。先ほど玄関の鍵を掛けるときに確認したら、今のところはまだ雪かきしなくてもいい程度。何しろ起きた時間が時間だから何を始めるにも中途半端、朝食後の珈琲を飲みながらツイッターのタイムラインを追っているともう昼。昼過ぎから相場のトレードを始めたがなんとなくポジションを取ってすぐ損切り、逆のポジションを持ってまた損切りと往復ビンタ。結局その後はその損失分を取り戻すのに費やす。といっても夜のトレードでまた若干の損切りで結局トータル微損。ホントに何もしてないのと変わらないぐらいの。

今日は夕方に映画を一本、アマゾンのプライムビデオで見た。野村芳太郎監督「砂の器」。この映画は高校のときにテニス部の同級生である中野と学校をさぼって映画館で見て号泣した映画だ。なんで学校をさぼってまでこの映画を見たのかというのは今となっては定かではないが、とにかくあのころは何をするにもまず学校をさぼるということに意義を見出していた。何の意義かということはともかく。そんなわけだからこの映画を見るのは少なくとも三度目で、ディテイルまで全部覚えている。それに不思議なことに(むしろ不思議でもないのか)見るたびに泣けない映画になっていく。ラストの演奏に被る回想シーンでボロ泣きしたのだが、一体自分はどこのポイントで泣き始めたのだろうと思って見たが、泣こうと思えば泣ける箇所は何度もありよく分からない。橋本忍と山田洋次による脚本が実に巧みで、初見ならまず泣ける映画に仕上がっている。で、映画館で見た高校生のときはただただラストシーンが圧巻だったのだが、二度目に見て以来、どうも劇中の音楽がクラシックにしてはお涙頂戴のセンチメンタリズムだけの通俗的なものに思えて、それが妙な違和感となって号泣できなくなってしまった。最後が演奏シーンなので、この音楽が気に入らないとどうしても完璧には入りこめないのである。今回のバージョンはデジタルリマスター版で非常に画質もよく、今見ても映像的にはよくできている映画だと思う。今となっては音楽だけがちと残念。丹波哲郎がいい役者に思えるから不思議。ちなみに映画を一緒に見た中野は、僕に学校をさぼることとパチンコを教えたろくでもない奴である。だがテニスだけは上手かった。

「砂の器」を夕方から一気に最後まで見たので、今日の夕飯は久々に少し遅くなった。夕食後、これまたなんとなくであるが、駄作を撮ることでは右に出るもののいない佐藤純弥監督の「人間の証明」を見始めてしまった。なんていうか、ジョニー山中の主題歌だけ聴こうかなと思って見始めたのだが、案の定冒頭から退屈なシーンの連発、もちろんこの映画も見たことがあるし原作も読んでくだらない作品だということは知っている。岡田茉莉子は唖然とするほどの大根役者だ。だが不思議なことに人間というものは、途中まで見ると先を見たくなってしまうものなのだった。なのでずるずると今3分の2ぐらいまで見たところ。

それはともかくとして、もう5日も連続して10時前に起きれてない。このままでは人間としてどうにもならない。どういうわけか最近は7時間睡眠では起きられないようだ。では一体何時間寝れば気が済むのかよく分からないが、とにかく寝るのが遅過ぎるのは確かっぽい。努力目標として、2時には寝るようにしたい。我ながら実にレベルが低いが、せめて9時台には起きたい。

それはそうと、縁側のテーブルに置いてある二鉢のゼラニウム、このところずっと(たぶん1ヶ月ぐらいか)水をやるのを忘れてとうとう枯らしてしまった。ずうっと大事にしていたのに。残念。ダメ元で今日水をやってみたが、それでもダメならなんか違う花の鉢植えを買ってこよう。

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