よき日の定義

2月21日、水曜日。

昨日の日記にも書いたように、実に中途半端に生きている僕ではあるが、それでもたまにはいい日も訪れる。例えば今日なんかがそうだった。それは素晴らしくいいとか、最高!というわけではないけれど、たぶん今日はいい日なのだろうと思わせるものがあった。

始まりは実に中途半端で、夢を見ていて同じ場面が何度も繰り返されるようになり、スマホの通知音が2度鳴って起きるともう11時4分だった。しかも、それでも眠かった。たぶん昨夜3時半まで寝床で本を読んでいたせいだろう。どうやら8時間寝ないと眠い人になってしまったようだ。今日は2時に母が地元の総合病院で診察を受けるので、トレードをするのであればスキャル(超短期取引)しかないだろうと思っていた。ところが、昼過ぎに取ったポジションがすっ高値を買ってしまい、そこから買い下がる形になって引っ込みがつかなくなってしまった。損切りしたものかどうか、まだ上下どちらにブレイクするのか分からない。病院の時間が刻々と近づくころには目一杯ポジションを持ってしまっていた。しょうがないので逆指値(ストップ)を浅めに置いてそのままにして出かけることにした。

2時ジャストに病院に到着。いまだに面会制限中だから母に会うのは5日振りだ。30分ほど待って診察。特に処方も変わりはなく、次は5月。母が特養の車に乗るのを確認して、帰りがけに町役場に寄って健康保険税を払った。帰ろうとすると、駐車場で声をかけられた。見ると、5年前にこの田舎町に戻ってきて初めてちょっとした恋心を抱いた役場のHHさんだった。彼女は僕のことを、僕の顔をまだ覚えていたのだ。しかし、第一声が「タカナシさん」と僕の名前を間違えていた。5年振りに見るHHさんは5年分年を取っていた。大塚寧々っぽかった容色も若干衰え、確かにおばさんにはなっていたが、まだ十分魅力的なおばさんだった。たぶん彼女の方から声をかけられなければ気づかなかっただろう。母のことを訊ねられたので若干立ち話をして別れた。それまで、ときおり彼女を思い出したときに、左手の薬指に指輪をしていないのは独身だからなのか、といつか訊ねたいと思っていたのだが、結局そんな勇気はなかった。第一声で名前を間違えられた(気がした)ので若干心の腰を折られたというか、久しぶりに会えたというか顔を見れた嬉しさとともに、落胆する気持ちもどこかにあったのだ。

それでも帰宅後、今日は久しぶりに母とHHさんに会えたということだけでもよき日なのではないかと思った。特にHHさんに会えたというだけでいい日なのではないかと。で、そのままにして出た相場のポジションはまだ生き残っていた。見ると、外出した直後にプラスに転じて、それからまた含み損になっていた。それから何度も下を試すような動きをしたので固唾を飲んで見ていたが、4時半過ぎにプラスに転じたところですぐに利確。ちびった気がしないでもないが、結果的にその後の展開を考えるとこれは正解だった。そんなわけでやっぱり今日はいい日なのだとまた思う。

夕飯を何にするか迷っているうちに5時になってしまい、米を仕掛けていないのでスーパーに買い物に行って弁当を買ってきた。夕食後はACLの水原(韓国)対鹿島の試合をコタツに入って見た。結果は1-2で鹿島が勝った。前半金崎のゴールで0-1とリードすると、PKをGKのスンテが止めるビッグセーブ、後半も金崎が押し込んで0-2としたが、終盤にここまで八面六臂の活躍をしていたスンテが最後に股を抜かれて失点。しかしそのまま1-2で試合終了。水原にボールを回される時間が長かったし、ピンチも何度かあったがそのたびにクォン・スンテがことごとく止めた。ポゼッション率は高くはなかったが、今日の鹿島は総じてコレクティブに闘えていたので、正直後半は負ける気がしなかった。

というわけでやっぱり今日はよき日だった。しかもそれはまだ続く。夜はオリンピックのスピードスケート女子パシュートの決勝。日本がオリンピック新記録でオランダを下して金メダル。なんかいいことづくめではないか。

とはいうものの、今日は夜になって大杉漣さんの訃報も届いた。普通、僕は故人に「さん」をつけることはないのだが、大杉さんには「さん」をつけたい。彼は熱狂的な徳島ヴォルティスのサポーターで、しばしばツイッターに一般席で試合観戦している姿の写真がアップされていた。ここまで本気でJリーグのチームを応援している俳優は滅多にいない。訃報には驚いたし残念だ。66歳。一体どういう順番で天に召されるのか。

それにしてもしかし、今日見たHHさんの顔をもう忘れかけている。ずっと記憶に残っていた顔と違っていたのに困惑し、そして時間が経つに連れて曖昧になっていく。彼女と今日たまたま出会ったのはなんだか再び軽い失恋をしたような気がしないでもない。結局のところ、彼女にとって自分がどのような存在なのかなど計る術もない。もちろん勇気もない。結局なんだか甘酸っぱい記憶だけが残っていく。それでも今日はよき日なのだろうか。たぶんそうなんだろうな、と。

というわけで村上春樹訳のエルモア・レナード「オンブレ」読了。

ツイッターのタイムラインで書評家が絶賛していたのでちょっと期待し過ぎた部分もあるが、どうにもレナードではなく村上春樹が語っている感が終始抜けなかった。僕が読みたかったのはレナードであって、村上ではない。いずれにせよ、これはレナードのごく初期の、しかも書き捨てた作品(西部劇であることがそれを示している)だから、レナード感が薄いのも仕方ないのかもしれない。レナードの小説に必ず出てくる、どこか憎めない非常に魅力的な(それでいて徹底的に非情な)悪党は出て来ない。それが残念。

それにしても、どうして今日のHHさんの顔を思い出せないのか? そして、彼女は本当に僕の名前を間違えたのだろうか?

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