不調、悪の教典

とにかく今日は1日中体調が悪かった。朝から吐き気止めを飲む始末。昨日から髪が本格的に抜け始めたので念のためにニット帽を被って業務に行くが、帰ろうと店を出た途端に吐き気がして急に気分が悪くなる。どうなることかと思ったが、駅のホームで吐き気止めを飲み、なんとか無事帰宅、しかし、調子が悪いことに変わりはない。帰って帽子を取ると、帽子で押し付けられていた頭の部分、たぶん髪の根っこが痛い。これも抜ける兆候なんだと思う。実際、髭も触ると痛みを感じるようになり、何もしなくても2・3本抜けた。これだけでも十分憂鬱だが、その後も退院直後のような体調、なんとなく気分がすぐれないし力も入らない。夕方、たぶん5時ごろから1時間半ほど昼寝するがそれでも回復しない。象徴的なのはコーヒーを飲んでも美味しいと思わず、逆に気分が悪くなってしまう。味がいまひとつ分からないので食欲もないが、腹だけは減るのでセブンイレブンで冷やし中華を買って夕食にする。まずいとも思わないが、うまいとも思えない。なんとなくダルいのかなんなのか、とにかく何かをする気力もないし出来る状態でもないので、ソファで横になって本を読むのが精一杯、おまけに間の悪いことにPCの調子までが悪い。チェックディスクなんかもやってみるが、ときどきなるDVDドライブを認識できずにハードディスクが空回りをする状態が止まらない。これを書いている今もそう。まあそんなわけでいろんな意味で散々な日だが、貴志祐介「悪の教典」読了。最初からそんな気はしていたが案の定、貴志のそれまでの作品同様の凡作だった。先日絶賛した高野和明「ジェノサイド」同様、「このミス」と「週刊文春」で1位、山田風太郎賞というところまで同じなのだが、「ジェノサイド」を読んだ後だと筆力、ストーリーテリングの力量の差は歴然としている。貴志の欠点は過剰さ、つまりやり過ぎるところと、読者の心理レベルが自分と同じかそれより下だと思っている、つまり独りよがりになってしまうところだ。終盤に向かって大団円を作ろうとすればするほど、エスカレートしすぎて荒唐無稽になってしまうところはどの作品も一緒、結局は漫画になってしまう。小説的リアリティ、つまり小説世界の中でのリアリティだから何でもありなのだが、写実的なリアリティを盛り込もうとすればするほど、それが構築出来ていない。まあ簡単に言うとシラける。一言で言ってしまえば筆力とイマジネーションが足りない。小説を書く作業というのは基本的にひとつのアイディア、インスピレーション、モティーフ、あるいはひとつのシーンのイメージといったものから始めるのだが、それを展開する力がない、という印象。過ぎたるは及ばざるが如しというが、小説の場合は足りないぐらいの方がまだマシ、というか意図的であるならば過剰であるよりはその方がずっといいし、筆力も必要となる。ま、以降この作家を読むことはないだろう。

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