邂逅

2月2日、金曜日。

実際のところ、今日の日記はこれだけでもいいかな。今の僕は泣き疲れてもう眠りたいという気分。昨日から泣き続けて、さきほど風呂に入るときに体重を計ったら昨日より300g減ってた。もちろん泣いて太る道理はないし、3週間風邪をひいていた間と同じくらいの量のハナをこの二日でかんでいるので、単純に水分を失ったという意味でも当然なのか。

医者が患者を治すという、考えてみればごく当たり前のことが何故これほどまでのカタルシスを与えるのか。二人の女の想いが報われないという、ある意味よくある失恋が何故ここまで泣けてしまうのか。脳外科医が幕末の江戸にタイムスリップするというそれだけのアイディアで、何故こんなにもすべてが光り輝いて見えるのか。一体どうしたらこんなに幸せな話が書けるのか。何故こんなにも希望がある(ように見える)のか。

僕はあまりにもこのドラマが好き過ぎて、見ている間中これ以上の幸せはないのではないだろうか、と何度も思った。このドラマに出会えたことはまさに邂逅としかいいようがない。そして、自分の人生にはこういったドラマではない、実際の邂逅がなかったように思えるのは何故だろうと思うのだった。

振り返れば、自分の人生の中で本当に好きになった相手に「好きだ」と言ったことがほとんどない。いつもいつも、失う方を恐れて遂に告白しないままに終わる。唯一、電話で好きだと告げた女の子はその数年後にマンションのベランダから落ちて死んでしまった。詰まるところ、僕にとって一番難しいのは想いを伝えることなのだった。そして、気がつくといつも諦めてしまう。諦めることに慣れてしまう。自分が本当に欲しい大概のものは手に入らない。

このドラマが素晴らしいのは、その、本当に欲しいものが例え手に入らなくても、それ以上のものを手にする可能性が人生にはある、ということだ。もしくは、言い方を変えれば自分がいつの間にか手に入れたものが、欲しくて欲しくてたまらなかった、ついぞ手に入れることのできなかったものよりも実は素晴らしいものであった、などということすらあるということだ。

うーん、上手く言えないな。僕はただただ胸が一杯で、ただそれを伝えたいだけなのだ。あまりにもこの第1シリーズが好きなので、完結編はしばらく見ないでおこう。

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もちろん今日はそれだけではなくて、11日ぶりに母に会った。インフルエンザ警報が出て面会中止になって以来、あまりにも長いこと会っていない(その大半の間僕は風邪をひいていた)ので、今日の午後に特養に電話を入れてみて、別室(静養室)でなら面会できるというので会いに行った。久しぶりに握った母の手は物凄くあったかかった。僕が冷え性で手が冷えているからというだけではなく。

朝は相変わらず寒くてよく眠れないで起きることを繰り返しているうちにだらだらと遅い時間に起きるということを繰り返している。今朝は10時7分に寒くて眠れないので起きようと思った瞬間に1時間20分ワープして、11時33分起床だった。単純計算して8時間半ぐらい寝床に入ってはいるのだが、実際のところは熟睡できている感じがまったくない。かといって寝不足感があるわけでもない。実に中途半端だ。ただ毎朝毎朝寒くて目が覚める。それの繰り返しだ。……

明後日の日曜日は父の命日。今日は少しばかりの花を買ってきた。

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