What’s goin’ on?

11月16日、木曜日。

とにかく寒い。なんでこんなに寒いのかと思ったら、夕方の外気温は3度。今日の最大の懸念は雪だった。朝起きた時点で雪景色だったらどうしよう、もし雪が積もったらどうしようと、そればかりが心配だったが、幸いにして雪は降らなかった。と言いたいところだが、夜母のところでテレビを見ていたら山形でも初雪ということ(それも去年よりも7日遅いらしい。ホントかよ)なので、今日は夕方まで一歩も外に出なかったからもしかしたらどこかのタイミングでみぞれぐらいは降ったのかもしれない。まあたぶん山の方だと思うけど。

昨夜も寝たのは遅かった。3時過ぎ。今朝は9時53分起床。朝方はまだ疲れが残っていた。朝食後に相場の想定をして午前中からポジションを持ったものの、眠くてポジションを保持したまま昼寝。今日は基本的に夕方まで相場のチャートを見ていてずっとトレードしていたつもりだったのだが、結果的には都合4回トレードしたぐらいに過ぎず。途中で損切りを一度したので収支はしょぼい。っていうか凄くしょぼい。

前述のようにとにかく寒かったので、ずっと暖房をつけっ放し。雪が降ってないだけでこれでは冬と大差ない。で、夜母のところから帰宅して夕飯を食べ終わると尋常じゃなく眠くなった。眠気と闘っているうちに気がつくと小一時間が経過していた。なんでこんなに眠いのか。何故人はメシを食うと眠くなるのか。といったような根源的な疑問を抱くのは今に始まったことではなく、考えてみれば会社に勤めていたころも昼食後に尋常じゃなく眠くなって、何も言わずに外に出て公園のベンチで30分ばかり昼寝をしたことが覚えているだけでも3回はある。日吉で1回、不動前で2回。そういうときは必ず外は天気がよくて、当たり前だが雨の日には通用しない手である。今日の場合は暖房をつけていたということも眠くなった要因のひとつのような気もするが、もしかしたら自分の消化能力に比して食べ過ぎているのかもしれない。

それと気になるのは、今日になってもいまだにデスクトップPCの動作が不安定であること。同じようにWindowsの更新をしたノートPCの方は問題なく動いているので、ハードウェアの問題なのだろうか。特にサブディスプレイに表示させているブラウザのVivaldi の動作が重く、表示が頻繁に乱れる。もしかしてディスプレイの問題なのかな? うーん……。もしやと思ってVivaldiのバージョンの更新をしてみたが、動作と表示が不安定なのは変わらず。もしかしてサブディスプレイのために使用しているVGA変換アダプターの問題かと、アマゾンの購入履歴をさかのぼっていたら、メインディスプレイで表示しているFirefoxでも一瞬ポインタが固まる。ほんの一瞬だが。なんだこれ?……やっぱりパソコン本体の問題なのかなあ。

……なんだかいろんな意味で一気に冬モードに突入しそうだ。東京を歩き回って減った800gの体重も2日で元に戻ってしまったし。その、気分が冬になってしまいそう。

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あまり間が空くと忘れてしまいそうなので、件の2泊3日の東京旅行中に考えたことをメモ的に書いておく。まずは……

待ち合わせをする若者たちの中で、自分だけが年を取っている。子供が生まれなくなり、地球上で50代のカップル二人だけが一番若い人間となる世界を描いた、ブライアン・オールディスの「グレイベアド」の真逆の感覚。束の間の、地球上で自分だけがお呼びでないという感覚。ところが同い年のヨウタロウは、僕の抱いた孤立感など微塵も感じさせない、あまりにも自然体であった。何故僕だけがこれほど自分の年齢にコンプレックスを抱いてしまうのか。たぶんそれは自意識の問題で、無意識のうちに僕は周りの自分よりも若い(あるいは若いと思われる)人たちとどこか張り合っている、あるいは張り合いたがっているんじゃないかと。それが自分だけが年を取っている、自分だけが58歳であるというようなコンプレックス、あるいは先入観のようなものになっているんじゃないか。ところがヨウタロウにはそういった他人と自分を比較するような自意識がほとんど(まったくといってもいい)感じられないのだ。いや本当に、どうすればヨウタロウみたいに尋常じゃなく肩の力が抜けるのだろうかと。

意外なことに、久しぶりに東京に向かう前はどちらかというといまや田舎者になってしまったというコンプレックスを感じるのではないかと危惧していたのだが、それはむしろまったくと言っていいほどなかった。それよりも、前述のような世界中の人間が全員自分より年下なのではないかという奇妙な孤立感を強く覚えたのだった。

その年齢コンプレックスに密接に繋がっているんだけれども、今回の旅はもしかしたら僕がセックスをする人生に於けるラストチャンスかも、と思っていたのだった。つまりそれは裏を返せば、山形の片田舎の実家で一人暮らししているとそういう機会はもうないだろうなと常日頃思っているということでもあるのだが。では何故東京に行けばラストチャンスがあるのかというと、まず単純に風俗というものがある。デリヘルもあるしソープもある。デリヘルは山形にもあるが、利用するとなると途轍もなく面倒な手順を踏まなければならないような気がする。それにデリヘルってのは昔のホテトルとは違って……まあいいや、とにかく、実際僕の泊まったホテルは赤羽のダークサイド、つまり風俗街の方にあったわけだし、自分さえその気になれば出かけるなり呼ぶなりということは出来たはずなのである。電車が池袋に近づいて角海老(ソープランド)の看板が見えたとき、あああそこに行けばいいのかな、とか思ったのだけれど、実際問題としていまだかつてソープというところに行ったことがない。っていうか、ピンサロすら行ったことがない。そういうところに平気で行けるのであれば、そもそもあれこれ考えない。

このパターンを何故実行に移さなかったかというと、もし勇気を出して呼ぶなり行くなりしたとしても、恐らくいい思い出にはならないだろうし、それどころかコンプレックスを悪化させて嫌な気分になるだけだろうと思うからだ。

もうひとつのチャンスは、連絡さえすれば(そしてタイミングさえ合えば)僕と寝てくれる可能性のある女性が、3人ぐらいは思いつくということだった。ただ僕はハナからこれを選択する気はなかった。何故なら、そのうちの誰かひとりと都合よく寝れたとしても、それはただ僕の人間関係をのっぴきならない、ややこしいものにしてしまうだろうからだ。だから彼女たち誰にも連絡は取らなかった。

詰まるところ、どっちにしても後悔するのがオチ、ということが分かっていた。そしてたぶん、(もしかしたら人生最後の)セックスをしていたら(もしくはそうしようとして出来なかったら)、今回みたいに楽しい旅にはならなかったと思う。もちろん、想定外の出会いがあって楽しい思い出になるセックスが出来たなら一番よかったのかもしれないけどね。正直それは今回に限っては非現実的だ。

というわけで、今回はそっち方面にエネルギーを使うヒマもなく、ジェットコースターのようにあっという間に過ぎた三日間で正解だったのだ、と思うのだった。

ああやっぱり、メモどころか長文になってしまった。それに、こんなことは敢えて日記に書かなくてもよかったのかもしれない。つまり、そこまで自分をさらけ出す必要はない。たぶんね。だが書いてしまったものはしょうがないので目をつむってそのままアップするなり。

って、3時じゃないか。何をしているんだ、俺は。

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