内部被爆、13階段、退屈死

そんなわけで今日はPET検査なので、朝食が食べられない。一応8時20分に目覚ましをセットしておいたが、その前に起きた。食えないのでひとまずコーヒーを飲みながら(糖分がないものは飲んでいいことになっている)一服していると、その場は朝食抜きもそれほど気にならない。やたらと遅れる埼京線を見越して、早めに到着するように出発、受付の45分前に病院のある駅に到着、駅前のドトールでエスプレッソを飲みながら時間を潰す。と、じわじわと空腹がやってくる。食べたい、というよりは腹減った、という感じで、一度そう思い始めると頭の中が空腹で満たされる。遅刻の許されない検査の受付に5分前に入り、すぐ呼ばれて検査着に着替える。履いているスリッパをふと見ると、放射線/核のマーク、検査室に呼ばれて放射性物質の入った薬を注射されていると、目の前のゴミ箱にはバイオハザードのマーク、検査技師は金属の遮蔽板を盾に僕を見ている。なにやら物々しい。で、薬の注入が終わると、休憩室みたいな部屋で1時間待ってくださいと言われ、カーテンで仕切られているスペースに入るとゴージャスな歯医者の椅子みたいなものが。前々から言っているように、僕は何が苦手と言って待つことほど苦手なものはなく、一番相性が悪いのは歯医者の椅子なのだった。それに時間の感覚がないので1時間と言われると途方もない時間、平安時代から大政奉還までぐらいに思えてしまう。もちろん腕時計は外してあるし、壁にも時計はない。そんなわけで気の遠くなるような時間を過ごした。薬が回ってくるに連れ、身体中が火照ってくる。寝ようかと思ったが、通路を隔てた向かい側にいる爺さんが5分置きぐらいに今にも死にそうな咳をするのでそれも適わない。まあでも不思議なもので、病院というのは特殊な空間であるために、開業医の待合室で待っているように10分で具合が悪くなる、というようなことはない。なんつーか、宇宙空間でスペースシャトルの中で放心しているような感じ。500年ぐらい経過したところで名前を呼ばれ、検査室に入る。で、約30分CTの撮影(だと思う)。目をつむっていたので動いているのか動いていないのかよく分からなかった。終わるとまた30分休憩、その間に徳川幕府が日本を制定し、長い退屈な時代が延々と続く。と、また名前を呼ばれ、今度は20分ぐらいですから、と言われたが、もちろん僕には30分も20分も違いは分からない。今回はちらちら目を開けてみていたら、ほとんどの時間、動いていないことが分かった。たまに少しだけ移動し、そのままじっとしていることしばらく、そのうちまたちょっとだけ動く、という感じ。そのうちお疲れ様でした、という声で拷問のような時間がようやく終わる。

会計を済ませて外に出ると空腹と空きっ腹に放射性物質を身体中に入れられたせいで、ほぼ死人、とにかくなんか食べなければ、とよろよろと駅に向かい、朝入ったドトールでサンドウィッチとエスプレッソの今日初めての食事をするが、なんだか食べた気が全然しなかったのはあまりにも長い間食べなかったせいだろう。帰りの電車で席に座っていると脂汗が出てきた。気持ち悪い。普段存在しないものが体内にまだ残っているので無理もない。地元の駅に到着すると、まだ食い足りないのでスーパーで食べ物を少々買い、帰途に就いたはいいものの、気分が悪いのと疲労とで歩き始めてすぐに遊歩道のベンチで休憩。そんな感じでやっとのことで帰宅、サラダとパンを少々食べ、ソファに横になって本を読んでいたが、少し寝るかな、と思って目をつむったはいいがどういうわけか今日に限ってなかなか眠れない。ああでもないこうでもないと体勢を入れ替えているうちに眠りに落ちたらしく、酷い悪夢を見る。携帯が鳴って起こされた。元妻からだった。話し終えると頭ががんがんに痛い。何故だろう、痛み止めを飲んでいるのに。30分ぐらいすると頭痛は治まり、まともなものを食おうと近所の洋食屋に行ってピラフを食べる。戻って高野和明の「13階段」を読み終わる。非常に面白かったが、ひとつ、些細ではあるが重要な瑕疵があり、全体を通しても難点はあるが、普通にエンターテインメント小説として読む分には誰も気づかないだろう。よくここまで取材したな、と感心するぐらいディテイルまで書き込まれており、巻末の参考資料を見るとずらっと専門書が並んでおり、よくこんなにたくさん読めるものだと感心する。その中には1冊、僕が最初の小説を書くときに参考にしようと買ったものがあったが、結局僕はその本をロクに読まなかった。いずれにしても面白かったし、未読の本は山ほどあるが次に読みたいというものが特に思いつかなかったので、同じ作者の評判になっている「ジェノサイド」を買おうと本屋に向かう。で、「ジェノサイド」と入院したときに読む用に長尺のカズオ・イシグロ「充たされざる者」を購入。しかし、いくら分厚い本だと言っても、ハードカバーと文庫本を買って3500いくらというのは高いなあと思う。帰りがけにフルーツなぞを購入、帰宅してから食べる。と、することがない。I泉さんに2回電話してみたが留守電、Facebookは何故か閑古鳥、こうなると電話する相手がなかなか思いつかない。しょうがないのでディストーションをかけたギターをひとしきり弾いてみるが、何故かつまらない。要するに今夜は退屈でつまらない夜なのだ。それにしても異常なぐらいつまらない。僕が異常なのだろうか。このままでは退屈死してもおかしくない。思い余って、同じく癌を患って生き残った、KララシャのYカリに電話した。で、話を始めたと思ったら名古屋から帰る途中で運転中だと言うことで話は途中で終了、もう電話する相手は思いつかない。時既に11時を回り、深深と夜は更けていくが、何も起こらない。なんでこんなに退屈なんだろうと疑問に思うくらいつまらない。つまらないと思っているからつまらないのだろうか。これ以上つまらないのは耐えられん、と思い、シャワーを浴びていつものように四つ切りにしたトマトに塩を振って食べ、ぼんやりとネットの記事とかを読んでいるうちに日付が変わってしまった。そんなわけでこれを書いているが、時間を見ると1時。まったくもってよく分からない1日。

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