5年生存率

3月20日、月曜日。

ツイッターで5年前にご主人を癌で亡くされた方とやりとりをしていて、そういえば僕が悪性リンパ腫という癌になったのもちょうど5年前の今ごろだと気づき、日記を検索してみた。すると、5年前の昨日(日付的には一昨日)に悪性リンパ腫だということが判明していた。そのときの日記を読み返してみると、自分で言うのもなんだけれどなかなかよく書けていて読み物としても面白い。やけに冷静で客観的に書いている。不思議なことに。ちなみにPET検査と生検を経て正式に悪性リンパ腫と診断されたのはそれから10日後である。

前述の日記でも分かるように、最初に悪性リンパ腫と告げられたときに医者に「どれぐらい生きられるのですか?」とストレートな質問をしたら、「んー、そうだね、5年以上の生存率が70%とかいう数字はあるけど……」というなんとも歯切れの悪い答が返ってきたのだけれど、ふと気がつくと5年生き延びていた。というわけで、一応70%という5年生存率の最低ラインはクリアしたというわけだ。

あのころ、癌だと言われて真っ先に頭に浮かんだのはW杯まで生きていられるだろうか、ということだった。当時史上最強と言われたザックジャパン。僕は無事生き延び、ご存じのようにW杯でザックジャパンは惨敗した。凄い落胆して脱力したのを今でも覚えている。なんていうか、日本が勝つところが見たくて生き延びていたようなところがあったから。結局日本は一勝もあげられなかった。だが僕はまだこうして生きていて、次のW杯に日本が果たして出られるのかどうかを確かめようとしている。

朝はなんとか10時前に起きた。今日は休日(春分の日)だけれど相場はやっている。ところが眠い。何しろ昨夜寝たのが明け方の4時だ。あまりにも眠くて昼になろうとする頃合に挫けてベッドに潜り込んで昼寝、目が覚めたら2時を回っていた。今日は例の町内の精神病院に入院している叔母を見舞いに行こうかと思っていたのだが、昼寝から目が覚めて遅い昼食を摂り、それから相場のポジションを取ったりしているうちに時間がなくなってしまった。今日は夜に音楽を教えてくれという人と打ち合わせをする予定が入っているので、母のところには夕飯前に顔を出した。

夜、8時半に隣町のモスバーガーで待ち合わせ。先に着いてカフェオレを飲んで煙草を吸っていると、町役場に勤めているという彼がやってきた。30代後半で子供もいるという話だったが、バンドでベースをやっているということもあって見た目は青年っぽかった。以前アップしていた作詞講座のホームページは既に削除していたので自己紹介がてら自分の経歴をまず一通りざっと話したのだけれど、何しろ長いこと生きているし会社を7つも替わっているので話は長くなる。で、結局のところ一言で音楽と言っても何を教えてもらいたいのかが具体的によく分からなかったので、その辺を詰めた。例えば作曲を教えて欲しいということであればそれはそれで分かりやすいのだけれど、どうやらそうでもないらしく、コードや終止形の基本的なところを譜面に書いて説明すると、どうやらそういうところから教えて欲しいということで、ポップミュージックの楽理の基本から習いたいということのようだった。気がつくと1時間半ほど話していて、人に教えることはもとより、初対面の人と話し込むということ自体が実に久しぶりだったので、僕の方がある種緊張してしまい無理やりテンションを上げざるを得なくてやけに疲れた。なんだか支離滅裂な話になってしまったような気はしたのだけれど、とにかく二週間に一度ぐらいのペースで教えるということに。特に予定は立てず、都合がよくなったら電話をもらうことに。僕の方は特に準備はしないよ、それで食えるわけじゃないから、と釘を差しておいた。実際のところ、生徒を10人以上抱えているのでもない限り、カリキュラムを組んで準備や用意をしてやるのは採算が合わない。時給が異常に安くなってしまう。まあ今回も気分的にはほとんどボランティアみたいなものなので。

世の中にコミットするのもなかなか大変だ。だがしかし、とにもかくにも僕はまだ生きている。そのことに感謝するしかない。

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