おとうと

9月26日、土曜日。

予定外に早く起きたので午前中業務をしていると、弟から携帯に電話があった。お彼岸の墓参りと母のところに顔を出すために仙台から来るという。それでなくても眠くてしょうがなかったので昼過ぎには帰宅、そのまま書斎のソファで昼寝。何やら夢を見た。弟が来た音で目が覚める。

久しぶり(といってもお盆以来だが)に会った弟はなんだか老け込んだように見えたが、たぶん気のせいだろう。人間は一ヵ月やそこらで歳を取ったりはしない。一般的には。台所のテーブルを挟んで珈琲を飲みながら弟と話をして、なんだか少し救われる。というのも、この家は本当に誰も訪ねて来ないから。そんなわけだから、弟が帰ると途端に寂しくなる。

今日は一日中蜘蛛の巣のようにうっすらと眠気が頭に貼りつき、どうにもぱっとしない一日、そのせいかどうか夜になって精神的に不安定になる。相変わらずドグマチールのせいでやたらと腹が減る。昨夜の強烈な空腹感がどうも頭から離れない。冷蔵庫に気まぐれでスーパーから買ってきたおでんがあったので、母のところから帰宅後Jリーグの試合を見ながらおでんで夕飯を食べてみる。そもそも僕はおでんというものを食べ慣れていないし好んで食べないので、果たしておでんがご飯のおかずになるのかどうか非常に懐疑的ではあった。実際食べてみると、やっぱりおかずにはならないなと。味噌汁の代わりにはなるけど。それではおでんは一体どういうときに食べるものなのだろう? アルコールが飲めない僕にはその辺がよく分からない。まあそんなことを言い始めたら鍋ですらご飯のおかずにはならないと思うのだが、僕は鍋というものも滅多に食べないのであった。

心配していたわりには食べると満腹になった。ところが、満腹なのにも関わらずまた空腹が襲ってくるのではないかと気になってしょうがない。心配でしょうがない。いても立ってもいられなくなって、車でスーパーまで行っていろいろと買い込んだ。いつ腹が減ってもいいように。病的な空腹への恐怖心、強迫観念。こうなるとほとんど強迫神経症だ。そもそも元来僕は何かにつけて強迫神経症の気味がある。心配性やら貧乏性というのもその辺の匂いがする。しかしながら、この調子で空腹が怖くてストレスで食べ続けると太ってしまう。実際、僕の後にユーミンのディレクターになった女の子(もう女の子という歳でもないと思うが)は、ストレスで「ゴーストバスターズ」に出てくるマシュマロマンみたいに倍ぐらいに太ってしまった。確かに今の僕はいささか痩せすぎではあるが、この歳になって今からぶくぶくと太るのではぞっとしない。以上、まあ想像上の話なのだけれど。

確かに、食べるている間はストレス発散になる。困ったことに。と、買ってきたポテトチップスを食べながら思う。だがただでさえ胃潰瘍と思われるので、暴食は禁物だ。アメリカに行くとよく見かける暴力的なデブはひたすら食べ続けているのだろうけど。

今日はレンタルの注文をしていたDVDが3枚届いた。根岸吉太郎監督「遠雷」(大好きな映画だ)、シドニー・ポラック監督「コンドル」(もう一度見たかった)、それと未見のデヴィッド・フィンチャー監督「ゴーン・ガール」。せっせとリッピングして焼く。夜になってNetflixでマーティン・スコセッシ監督「シャッター・アイランド」の続きを見るが、どうにも気が滅入ってしまって一時停止しまくりまだ途中のまま。繰り返し挿入される追想や悪夢のシーンが陰鬱すぎて。恐らく意図的にだろうが血の色が不自然なくらい真っ赤で(スコセッシにしては意外に思えた)まるでペンキのよう、そういう意味ではCGを多用した視覚効果にしても多分に演出過剰というか幻想的というか演劇的というか、見る者を不安にさせるという効果は発揮している。だがただでさえ不安定な精神状態なのだからこれ以上不安定になりたくない。なんだか自分まで狂ってしまうのではないかという妄想を覚える。

今窓の外の庭先で何かの鳴き声がしたが、例のタヌキの子供たちはまだいるのだろうか。あれからすっかり姿を見ないけれど。

そんなわけで、僕はただ寂しいのです。

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